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「十八世紀京都画壇」 芦雪に感じる新時代の宇宙観

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2019年03月23日
十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界 (講談社選書メチエ) 著者:辻惟雄 出版社:講談社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784065143209
発売⽇: 2019/02/09
サイズ: 19cm/241p

十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界 [著]辻惟雄

 「『画』を望むなら我に乞え、『絵図』を求めたいなら応挙がよかろう」。蕭白(しょうはく)に代わってこんな皮肉を吐いてみたい。京都画壇のもうひとりの巨頭若冲(じゃくちゅう)の奇怪、魔術的装飾、アニミズムも悪くないけれど、我が蕭白の超絶美と泥臭さは創造の宝庫、パンドラの函(はこ)だった。そんな蕭白は五百人にひとりの英傑禅僧・白隠の影響にあったとは本書で初耳。実はですね、私は白隠の書画ではなく養生訓「夜船閑話」の愛読者でありました。ま、関係ないけど。白隠に影響を受けた者は多いが、芦雪(ろせつ)もそのひとり。
 私、最近気になるのが芦雪。若冲、蕭白の過剰な足し算より引き算の芦雪に新しい時空の精神と美学を感じるんですよね。芦雪は蕭白が批判した応挙の弟子だけれど、応挙のいいところ摂りをして、独自の画風を切り開いた。人を食ったシュルレアリスムのオートマチズムな手法で描いた「なめくじ図」は最高! 去来する雑念を追わず、ただ知らんぷりして通り過ごす禅を髣髴とさせる無頓着さ、おおらかさ、おおまかさ、手抜きぶり、物足りなさに新しい時代の宇宙観を感じるのである。
 日本の伝統は型から入って型を抜けるが、芦雪は師の応挙から学んだ型を崩しにかかる「型破り」を創造の核とする。著者の辻惟雄氏もそこんとこを評価。画家にとっての自由は型破りしかないのである。
 芦雪の「白象黒牛図屏風」をご存じだろうか。この絵の前に立つ者は絵を見ることの不安感に襲われる。見ているけれど見えない、そんな何もない空間こそが絵なのである。かと思うと、一寸四方に描かれた五百羅漢図。私が羅漢の数を数えてみたら、三センチ四方の中に本当に五百人の人がいた! この真面目な馬鹿馬鹿しさこそ人間の今日的な緊急課題である。
 「京都画壇」からずれてしまったが、ずれることが京都画壇の奇想であり狂である。まだある辻氏の中の未知の隠し球を期待する。
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つじ・のぶお 32年生まれ。美術史家。東京大名誉教授。著書に『奇想の系譜』『日本美術の歴史』など。