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#09 それぞれにとって、その時一番のおむすび 穂高明さん「むすびや」

文:根津香菜子、絵:伊藤桃子
ご飯が温かい。はふはふ、するほど舌に熱くはなく、ほかほか、とちょうど良い感じ。おむすびを持った手の指が、ご飯の温かさに触れる。ご飯の味、海苔の味、おかかの味。ひとつひとつ主張を持ったそれらの味が全部、温かさに包まれて、ひとつにまとまっているような感じだった。 (『むすびや』より)

 「おむすびって、不思議な食べ物だなぁ」と頬張るたびに思います。炊きたてのご飯をお茶わんによそって食べるのとはまた違うお米の美味しさや、三角やまん丸、近年流行した「おにぎらず」まで、形のバリエーションも豊富。中に入れる具も、定番の梅干しや鮭、自分では作らないけど、売っているとなぜか食べたくなる「ツナマヨ」など、各家庭の定番や、それぞれのお好みがありますよね。今回は、行楽シーズンにもぴったりな「おむすび」屋さんを舞台にした作品をご紹介します。

 就活で全敗し、両親が営む「むすびや」を手伝うことになった結(ゆい)は、幼いころから家業にコンプレックスを抱いていました。しかし、日々実直におむすび作りに取り組む両親の姿やお客さんたちとの交流を通して、少しずつ仕事に対する向き合い方が変わっていく……という、一人の青年の成長を描いた物語です。著者の穂高明さんにお話を聞きました。

大切なのはSNS映えしない、おむすびのような日々

——おいしいおむすびに欠かせないものと言えば、まずはお米ですよね。穂高さんは宮城県ご出身とのことですが、米どころで育った思い出があれば教えてください。

 生まれは仙台市の中心部ですが、幼少時代は海に程近い郊外の町で過ごし、毎日田んぼに囲まれた田舎道を歩いて幼稚園や小学校へ通っていました。東北の長い冬が終わってだんだん暖かくなり、田んぼに水が引かれる頃になると、子供ながらに「ああ、また季節が変わるんだな」と感じましたね。新米の時季になると、今でも母が仙台からお米を送ってくれるので毎年楽しみにしています。ここ数年は誕生日もなぜかお米が届きます(笑)。

——おむすび屋さんを作品の舞台に選んだ理由は何でしょうか?

 編集者の方との打ち合わせで「次はお店が舞台になる小説にしましょう」と決まった時、なぜかパッと頭に浮かんだのがおむすび屋さんでした。学生の頃に住んでいた都内の街に有名なおむすび屋さんがあって、そのイメージが自分の中にあったのかもしれません。私はどちらかと言うとパンよりもご飯派なので、パン屋さんやサンドイッチ屋さんではなく、おむすび屋さんの物語を書くに至りました。

——「むすびや」には、好きな具のおむすび二つと味噌汁に漬物が付いて500円(!)の「おむすびセット」があります。結の中学時代の国語教師、清美は梅干しと焼きたらこ(その後、焼いていないたらこも追加)、アパレルメーカーのプレスを夢見る佳子はおかかと鶏そぼろなど、それぞれがその時選んだおむすびが、実はその人にとって少しだけ特別な食べ物になっていますよね。穂高さんにとって「おむすび」とはどんな食べ物ですか? 

 私にとっておむすびは「勝負飯」であり、心と体が弱った時に元気をくれる「労(いたわ)り飯」でもある、そんな類いの食べ物です。「さあ、頑張って原稿書くぞ!」と意気込んで食べる日もあれば、締め切り直前に「もう、だめかも……」と弱音を吐きながら食べる日もあります。

 大学受験の時、自分でおむすびを作って持っていったのですが、ずっと緊張していて、お昼休みに食べることができなかったんです。試験が終わった後、ひどくお腹がすいて、駅へ続く道の途中にあった公園のベンチで食べました。少し歪な形につぶれてしまったおむすびを口にしながら「数学全然できなかったなぁ」なんて落ち込んだことを覚えています。予想通り、その大学には落ちました(笑)。

——父親と二人で暮らす中学生の春奈が、担任の清美に連れられて行った「むすびや」で選んだのが赤飯のおむすびです。お祝い事に食べるイメージが強いお赤飯ですが、今ではコンビニでも売られているほど、定番のおむすびの一つになりましたよね。ご自身のお赤飯の思い出はありますか?

 お米や豆類などを水に長時間つけておくことを、北日本の言葉で「うるかす」と言います。子供の頃、台所で小豆を「うるかしている」ボールを見つけると、「今夜の晩ごはんはお赤飯だ!」と嬉しかったものです。年に何度かの、めったにないことでしたから。私にとってお赤飯は、やはり「ハレ」の日に食べる特別な食べ物ですね。なので、作中でもちょっと意味のあるおむすびになりました。

——毎日削りたてのかつお節で作る「本気のおかか」や、自家製の糠漬けや梅干しなど、「むすびや」ではお客さんの口に入るものには手を抜きません。そんな真心のこもったおむすびに込めた作品への思いを教えてください。

 日の当たらない道しか歩くことができないような人の細やかな人生を、手のひらでそっとすくい上げる、そんな静かだけど深い物語を書きたい。常日頃から小説に対して抱いているそんな思いは、本作を書く上でも念頭に置いていました。

 「むすびや」で売っているのは、ごく普通のおむすびです。見た目は地味過ぎて、きっとSNS映えはしないでしょうね。けれども「いいね!」がつかないような、ありふれているように見えることが、本当は日々の大切な一つ一つの要素のはずです。就職活動でつまずいてしまった主人公の結が、両親の実直な働きぶりを見て、そんなことを感じ取ってくれたらいいな、と思います。