(1)柄谷行人著『定本 日本近代文学の起源』(岩波書店、04年刊) 初めて読んだのは定本になる前、80年代だった。そこから学んだのは当たり前だと思い込んでいること、所与のものを疑う態度だ。本書を大学1年生の演習で取り上げた。全員わからないと頭を抱えたがその後、彼らが「わからない」の意味について考えてくれたのは嬉(うれ)しかった。
(2)ミラン・クンデラ著『冗談 新版』(関根日出男・中村猛訳、みすず書房、92年刊) 刊行直後に読んだあと、90年代の終わりに再読した。それがきっかけで突然小説を初めて書いた。夢中になった。それも『冗談』の力だ。
(3)『中上健次全集』全15巻(集英社、95年から刊行) 予約して、刊行のたびに、今はない渋谷の旭屋書店へ取りに行った。読んだ作品が多かったがまとまって刊行されたことに大きな意味を感じた。
(4)阿部和重著『アメリカの夜』(講談社、94年刊) その後、著者の『インディヴィジュアル・プロジェクション』『シンセミア』に圧倒されたが、初めての出会いは新鮮だった。夜のファミレスで一気に読んだ。声に出して笑いながら読んだ。
(5)太田省吾著『なにもかもなくしてみる』(五柳叢書〈そうしょ〉、05年刊) 演劇書で刺激を受けたのはほとんど平成以前の本だ。最も影響を受けたのは太田の『劇の希望』だが平成になる3カ月前の刊行だった。しかし本書からも太田のもののとらえ方がよくわかる。表現を削(そ)ぐこと。なにしろ「なにもかもなくしてみる」だ。=朝日新聞2019年4月3日掲載