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「どもる」苦しさ、知って欲しい 近藤雄生さん「吃音 伝えられないもどかしさ」

文・写真:高重治香

 吃音とは、「ぼ、ぼ、ぼく」と同じ音を繰り返したり、言葉に詰まったりといった症状のことで、「どもる」ともいう。吃音のある人はおよそ100人に1人、決して少なくはない。けれども、どんな場面で何に苦しみ、吃音が人間関係にいかに影響しているのかは、この本を読んで初めて知ることが多いはずだ。副題にある「もどかしさ」という言葉は、読み進めるほどに重みを増す。

 たとえば、近藤さんが何度も会って話を聞いている、高橋さんという男性がいる。最初に吃音の壁にぶつかったのは、小学校入学の時。自己紹介でどもるとみなが笑い、「どもるのは恥ずかしいことなのだ」と実感した。その後もうまく会話ができずに同級生との距離は広がり、不登校気味に。格闘技が好きで始めた柔道も、練習前後のあいさつでの掛け声が難しく、休みがちな学校の友達と会うのも気まずく、続けることができなくなった。症状はだんだん悪化し、高校に入るころにはほとんど何も話せなくなってしまい、中退。その後に続く衝撃的な事件が、本書の冒頭で紹介されている。

 「みんなが意識もせずにできている会話ができないと、『この人どうしたの』という目で見られます。社会と自分の間に膜ができ、自分だけ隔離されているような感覚です」

 そう語る近藤さん自身も、小学生の頃に兆候が現れ始め、高校生の時から吃音に深刻に悩み出した。友達と喫茶店に入り注文しようとする時や、駅で切符を買おうとする時、ふいにのどが硬直して声がでなくなった。言葉に詰まりそうになると、瞬時に頭の中で言いやすい別の言葉を探すため、常に緊張し、消耗していた。吃音を隠すために、意見があっても言わずにのみ込んだり、その場を立ち去ったりする自分に、さらに落ち込むこともあった。

 朝日新聞の記事でそんなエピソードを紹介した後、記者は知人からメールをもらった。知人は近藤さんと高校の同級生だったといい、「当時は吃音だと全然わからなかった。人しれず悩むものなのですね」と書かれていた。高橋さんのような場合と比べて比較的症状が軽かったのもあるだろうが、吃音にまつわる本人の苦労が、外からは見えにくいことの現れだと感じた。

 吃音のことをよく知らない人が、ふざけているとか、本人の努力不足だと誤解して当事者に接することで、苦悩が深まる場合もある。過去には、しつけの方法が吃音の原因だとされ、親たちが苦しみもした。

 本書に登場する男の子は、小学校に入学後、同級生に話し方をまねされたり、「なんでそういう話し方なの」と聞かれたりして、泣いて家に帰ってくるようになった。母親は、友達の家を回り、まねたりからかったりしないよう頭を下げ、学校の先生に状況を伝えて気を配ってもらうよう頼んだという。

 あるエンジニアの男性は、会社から「吃音を治さなければ正社員から契約社員になってもらう」と迫られ、医師と言語聴覚士のもとで訓練を始めた。しかし、吃音について理解してもらえなければ、根本的な解決にはならないと判断。医師に「言語機能の著しい障害がある」という診断を受けて身体障害者手帳を取得しており、「安心して堂々と働きたい」と、別の会社で障害者枠で働くことを選んだ。なお、この男性の場合は身体障害者手帳だったが、通常、手帳を申請する場合は精神障害者保健福祉手帳が多いという。

 このように、就職や仕事の場面で、困難にぶつかることがある。近藤さんが非常勤で教えている大学でも、講義で吃音の話をすると、必ず何人かから「自分も」という声が届き、就職を前に悩んで相談に来た学生もいるという。

 近藤さん自身の吃音は、29歳の時に突然治った。
 東大で工学系の大学院に進学したが、吃音が出やすい電話の対応が非常に重荷なため、普通に就職することは諦めた。「文章を書いて生活したい」「長い旅をしたい」という温めていた気持ちを頼りに、妻と海外を旅しながらライターとして生きる道を選んだ。

 ライターも話すことが欠かせない仕事だが、不安はなかったのだろうか。
 「そもそも言葉が通じない国ならば、どもっても、外国人だからうまく話せないと思われて、ごまかせるのではと考えたんです」
 実際には、取材の約束を取り付けるために、たびたび苦手な電話をしなくてはならなかった。苦労しながらも旅を続け、中国に滞在中のある瞬間、どもらずに言葉が出たのを境に、吃音がほぼ消えてしまったという。

 夢のような話だが、こんな風に突然吃音が出なくなるのは、きわめてまれなケースだという。治った原因は、はっきりとは分からない。ただ、他言語圏にいる気楽さ、異文化の中に身を起いたことで自分自身を縛っていた価値観や緊張感がやわらいだことなどが、関係していそうだと感じるという。
 「日本では、お店でのやりとり一つにしてもコミュニケーションの型がはっきりしていて、その通りでないと『え、どうしたの』となります。そういう型がゆるい中国の環境も、僕にとっては気楽でよかったのかもしれません」

 だからといって、環境や精神状態だけで吃音が引き起こされるというものでもない、と強調する。まだ十分に解明されていないが、発話に関係する脳の各部位の働き方や部位同士の接続が、吃音に影響しているケースがあるという最近の研究もあるそうだ。原因、治るのかどうかなど、よくわからないことが多いのもまた、周囲が吃音を理解するのを難しくさせているという。
 帰国して数年が経ち、吃音と一定の距離をおけるようになってようやく、取材のテーマにすることができた。しかし、すでに治った自分が、いま悩みの渦中にいる人たちに取材をすることの後ろめたさは、ずっと抱えていたという。また、苦悩をつぶさに書くほど、今まさに悩んでいる人にとっては「救いがない」と感じられるのではと、出版後も悩み続けている。

 「それでも、大変さを伝えることで、結果的に吃音のある人にとって生きやすい社会になれば思いました」

 本書に出てくる当事者や言語聴覚士たちの多くは、吃音を治したいと考え、そのための訓練などに取り組んでいる。一方で、「どもってもいい」という考え方もある。たとえば1970年代に当事者団体「言友会」の中心メンバーらが採択した「吃音者宣言」は、吃音を治そうとするではなく、いかに受け入れて生きていくかを考えよう、という立場だ。
 近藤さんは、「吃音が本人や家族の責任だと差別されていた時代には、宣言に勇気づけられる人もいたと思います。ただ、自分の経験では、どもってもいいんだよと言われても、なかなか本気でそうは思えない社会の状況がありました」

 やはり今年出版された、自らも吃音があり九州大学で吃音外来を開く菊池良和医師の『吃音の世界』(光文社新書)は、治すことより、受け入れながら「人生の選択肢を増やす」ことに重点を置いた内容だ。実は近藤さんは、この本にもライターとして編集協力している。治療の歴史や、「小学校一年生」「二十歳」などライフステージに応じてぶつかる壁と対処法が紹介されている。併せて読むと、吃音と生きる人生の、また違った側面を感じることができるだろう。