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タックルに磨きをかけて東京五輪で連覇する レスリング・土性沙羅さん(後編)

文:熊坂麻美、写真:鈴木啓太(競技写真は©朝日新聞社)

土性さんが漫画「ブラッククローバー」の魅力を語る前編はこちら

ちびっこ時代は毎日レスリングをやめたかった

――土性さんは8歳でレスリングを始めたそうですね。(前編で)最初は成績が残せなかったというお話もありました。

 私の父が高校時代レスリング部で、吉田栄勝先生(吉田沙保里さんの父)に教わっていました。そのつながりで弟と一緒に吉田先生の「一志ジュニアレスリング教室」に入りました。見学したときは楽しそうに見えたけど、やってみたらめちゃくちゃ厳しくて「あれ、全然違う……」って(笑)。

 もともとあまり運動が得意でなかった私は、不器用だし体の動かし方がへたくそで。先生に言われたことができずに毎日毎日怒られました。一緒に始めた弟はわりとすぐに大会で優勝して結果を出したので差がついちゃったというか、複雑でしたね。

――毎日どんな練習をしていたのですか?

 1日の練習時間のうち、ほとんどがタックルの練習でした。吉田先生は「攻めるレスリング」が一番強いという考え方。一度、あまり攻めずに試合で勝ったことがあったのですが、いつも以上にものすごく怒られたんです。「そんなのは一志のレスリングじゃない。攻めなきゃ勝っても意味がない」って。そんな感じでしたから、毎日タックルばかりしていました。

 今は週6日が練習で必ず1日オフがあるんですけど、ちびっこ時代は365日休みなし。本当に大変でした。よくやっていたなと思います。

――ハードですね。やめたくなることはありませんでしたか?

 小学校の頃は毎日やめたいと思っていました。休みがなくてしんどいし、怒られてばっかりで成績も残せないし、先生は超怖いし(笑)。あるとき、「本当にもう無理」と思って「レスリングをやめたい」と母に泣きついたんです。そうしたら、「やめてもいいけど、自分で吉田先生に伝えてね」と言われました。

 私は先生が怖すぎて「やめたい」なんて、とても言えなかった。でも言えなかったから、やめずに続けてこられました(笑)。今思えば母は、私が言えないことをわかっていたんじゃないかなって。

――そこからレスリングが楽しくなり始めた、強くなったと感じ始めたのはいつくらいですか。

 中3のときに初めて海外遠征をして、スウェーデンで開催された国際大会で優勝しました。海外の選手相手に結果を出したことで、ようやく周りの人に認めてもらえた気がしてすごくうれしかったです。

 小さいときから一緒に練習をしてきた吉田沙保里さんがオリンピックで金メダルを獲ってから、世界の舞台を夢見るようになったけど、私にはずっと遠かったんです。でもこの大会で優勝して「自分も世界で通用するんだ」と、やっと自信が持てるようになりました。これ以降、試合でも勝てるようになっていってレスリングが楽しくなったし、自分が変わる転機だったと思います。

――8歳から毎日休みなく続けたタックル練習が実を結んだのですね。

 このときも初めての国際大会で緊張したけど、がむしゃらにタックルにいって攻めた記憶があります。私は普段は引っ込み思案だけど、レスリングでは練習でもポイントを取られたら「絶対に取り返す!」と無理やり技をかけにいっちゃうくらい熱くなります。そういう戦う気持ちも、厳しい練習を積んできたから身についたのだと思うし、吉田先生に叩き込んでもらったタックルは、今も自分の核になっています。

「最後まで諦めない」気持ちで掴み取った金メダル

――マンガ『ブラッククローバー』で、土性さんの好きなヤミ・スケヒロは「限界を今すぐ超えろ」とアスタたちによく言っていました。土性さんはレスリングをしていて「限界を超えた」と思った瞬間はありますか?

 「ピンチから限界突破」という意味では、リオオリンピックの決勝がそうだと思います。残り40秒くらいで2点を追う状況で、タックルにいって失敗して相手に後ろに回られそうになりました。そのとき「ヤバい」と思ったのと同時に「負けられない!」と強い気持ちが湧いてきて。そこからは体が無意識に動いて、一瞬の隙をついてタックルが決まって逆転。この場面は、自分の限界を超える力が出せたんじゃないかなと思います。

――オリンピックの決勝という最高の舞台で、限界以上のパフォーマンスができた理由はどこにあったと思いますか。しかも相手は前回のオリンピック金メダリストでした。

 あとから聞いたら、2点リードされて残り時間が少なくなってコーチたちは「もうダメかも」と思っていたみたいだけど(笑)、私は最後まで諦めていませんでした。ギリギリの状況で限界を超えるには、「諦めない」ことが一番大事なのかもしれません。『ブラッククローバー』のアスタも、ピンチのときに「まだまだ!」と言って周りを驚かすような力を出しますよね。

 決勝で戦った選手は強かったけど、それまで2回戦って2回勝っていた相手。苦手意識はなかったんです。それに、私の前に試合をした(登坂)絵莉さんや伊調(馨)さんが残り時間わずかで逆転して金メダルを獲っていたので、試合が終わるまでなにがあるかわからない、気持ちで負けないぞと思って試合に臨んだのが大きかったです。最後の最後で「勝ちたい」気持ちが相手より上回ったから、金メダルを掴めたんだと思っています。

――リオオリンピックは土性さんにとって初めてのオリンピックでしたが、ほかの大会とは違いましたか? テレビで観戦していた印象では、どの試合も落ち着いているように見えました。

 会場に入ったときは「これがオリンピックかー」と思いましたが、あまり特別な雰囲気は感じませんでした。このオリンピックでは、なるべくリラックスして試合に臨むように心がけていました。いつもだったら試合前は緊張と集中が入り混じって誰とも話せないほどガチガチになるのですが、オリンピック前年の世界選手権のときにコーチに指摘されてから、できるだけ周りと会話するようにしたんです。

 初戦はさすがに緊張しましたけど、その後はほとんど緊張せずにいい状態で試合ができました。たぶん今までで一番調子がよかったです。初戦が終わって「今日はイケるかも」って思いましたから。

――東京オリンピックまであと1年半。これから「一番調子のいい」状態に仕上げていく感じですね。

 そうですね。今考えると、前回のオリンピック前はものすごく濃い練習をしていました。みんなが集中して気迫がこもっていて、いつもの練習とは違うピリピリした緊張感があって。その練習のおかげでリオはみんなが結果を残せたので、「あのとき以上の練習をしないとね」って、絵莉さんたち先輩とも話しています。たぶん研究されてくると思うので、すべてにおいて磨きをかけてレベルアップしたいと思っています。

 ただ、メリハリは大事なので、オフはとことんだらけます(笑)。趣味のマンガでリフレッシュして力をもらって、「東京オリンピックで金メダルを獲る」という自分の夢を叶えるために、応援してくださる人の期待に応えるために、頑張りたいです。