「テクストの外」にある要因
3月末にアメリカのオレゴン州ポートランドで開催されたAWPの年次大会に参加した。AWPとは、「作家および創作プログラムの学会」で、多くの作家と作家志望の学生が参加し、4日にわたって毎日200以上のパネル(討議会)が行なわれた。
アメリカの多くの大学には、創作プログラム(創作学科といったほうがわかりやすいか)など、作家を養成するための制度が存在する。
大学で勉強して作家になる、という考え方に驚かれる方もいるかもしれない。
しかし現在では、アメリカの作家のほとんどが創作学科の出身であり、創作学科で教えている。
この制度の利点は、大学で教職を得ることで、作家の生活が原稿料収入だけに頼るよりもはるかに安定することだ。教育に労力を取られるが、それでも時間をかけて作品を書く余裕が確保される。
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問題がないわけではない。作家の誰もが教員になれるわけではない。いくら全米各地の大学に創作学科があるとはいえ、正規の教員ポスト数は限定されているのだから、実力と運がなければとても職は得られない。
だが学生はもっと大変だ。作品の刊行は容易ではない。文芸誌や出版社へのドアを開いてくれるのは教師だが、教師と学生との関係が非対称であることが問題をはらむ。教師とそりが合わなかったら? 逆に過度に気に入られてしまったら?
今回、AWPに参加して、文学作品や作家を論じるよりむしろ、文学という制度をめぐるパネルが多いことに驚いた。文学の世界もまた、セクハラやパワハラを構造的に生みやすいことを露(あら)わにした#MeToo運動の影響もあるだろう。
実際、「よい作家が悪い振る舞いをするとき、どうするか」というパネルもあった。著名な編集者ジョン・フリーマンなど、大学で教鞭(きょうべん)もとる書き手でもあるパネリストたちが、創作学科という制度においては必然的に連続する「教育」と「出版」の現場におけるハラスメントをいかに防ぎ、これにどう対処すればよいかを真剣に議論していた。
パネリストの一人は、作品中の、現時点では容認されない差別的要素についてきちんと学生に伝える必要性を強調していた。そのために、作品が産出された当時の歴史的社会的状況はむろん、書き手が差別的な言動の持ち主であれば、その事実に注意を喚起しなければならない、と。たとえば、『夜の果てへの旅』を語る際には、作者セリーヌの危険な反ユダヤ主義思想に触れなければ不十分ということだろう。
純粋な文学などは存在しない。一見、非文学的と言える「テクスト外」の要因が、作家や作品の受容のあり方を決定づけることは否定できない。#MeToo運動はその負の側面を鋭く告発したが、その要因が人を幸福にする正の方向に働く例もある。
そのことを、一人の日本人作家に関して、その世界的な人気に貢献した翻訳者と編集者の役割に注目して明らかにしたのが、辛島デイヴィッドの『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』(みすず書房)だ。
村上の文学的な力を確信し、谷崎、川端、三島以降の新しい日本文学の旗手として彼を英語圏に紹介しようとしたエルマーとアルフレッドという編集者と翻訳者のコンビの人間くさい奮闘は感動的だし、英米の文芸関係者の証言からは村上への敬意がひしひしと感じられる。
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僕は、辛島氏と英語で短篇(たんぺん)小説を発表する作家・吉田恭子氏とともに、「ムラカミはアメリカの作家か?」というパネルに参加した。ガラガラのパネルも多い中、僕たちのパネルは大盛況だった。
僕自身は、アメリカでは知られていない「翻訳者としてのハルキ」の日本文学への功績を強調した。村上訳がなければ、レイモンド・カーヴァーは日本でこれほど読まれることはなかっただろう、と。
会場には、知的で優しい笑みが印象的な小柄な白髪の老婦人がいた。
パネルのあと辛島氏と僕は、亡きカーヴァーの妻である詩人テス・ギャラガーの朗読会に行った。500人は下らない聴衆の前で詩を朗読していたのは、あの老婦人だった!
朗読会後、彼女と話す機会があった。あの優しい笑みを満面に浮かべて彼女は言った。「2人の偉大な作家に出会えて、わたしは幸運ね」=朝日新聞2019年4月24日掲載