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内側の言葉と外側の言葉 柴崎友香

 外国にいてたどたどしい英語でなんとか説明しようとしているとき、子供がしゃべってるみたいに聞こえてるかな、と思うことがある。回答はたくさん思い浮かぶのに、口から出るのは、ごく簡単な単語だけだ。
 日本語でも、わたしは関西弁以外の人と話すとき、特に仕事の場では共通語になってしまって、思ったことが全然言えてへん、とギャップに歯がゆくなる。
 意味としては同じでも、ニュアンスを伝えられず、自分の口から出たその微妙に違う言葉に引っ張られて、ますます気持ちからは逸(そ)れていってしまう(特に、怒りを伝えるのは共通語では難しい)。大阪弁を話しているときとは、人格も変わるような気がする。
 「自分の内側にある言葉と、外に出す言葉が一致してる人ってどのくらいいるんやろう」と以前SNSに書いた。そのときたまたま芸能人が酔って悪態をつく騒ぎがあったこともあって、本音と建て前、裏表、みたいにとらえた反応も多かったのだけど、そうではない。
 たとえば、会話の中で抗議したいことや納得いかないことがあったときに、それをストレートに言いたくても、口から出てくる言葉はなんだかやんわりした愛想笑い混じりのものになってしまうというのはよくある。そこでの立場上もあるけど、なんで自分はこんな中途半端なもの言いになってしまうのかなあ、と悔しさが残る。
 逆に、もっと穏やかに言おうとしたのにけんか腰になってしまう、ということもあるだろう。その人の声の高低でも響きは変わる。真剣に言ってもへらへらしてると怒られて困る、という友人もいた。
 もやもやした感情や明確に言葉で表せないことを声にして外に出すとき、長年にわたって培われた話し方や癖みたいなもの、身体は、思ったより影響する。言いたいことと言えないこと、言ってしまったことと聞こえたことの間で、わたしたちは話している。=朝日新聞2019年5月1日掲載