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檀廬影 a.k.a DyyPRIDEの人生に影響を与えた3冊 負の感情を捨てる 

文:宮崎敬太、写真:有村蓮

 ラッパー・DyyPRIDEは常に激しい葛藤を抱えていた。幼少期から差別に苦しみ、喧嘩に明け暮れ、酒に溺れ、精神は破綻した。リリックは、身体的にも精神的にも痛みを感じさせる表現が多かった。所属していたグループ・SIMI LABを脱退したのち、DyyPRIDEは檀廬影として小説『僕という容れ物』を書き上げた。この物語からも彼の苦しみを感じる。だがそれでもこれまでラッパーとして発表してきた楽曲と比べると、いくばくかの救いを読み取ることができた。今回の「読書メソッド」はそんな檀廬影 a.k.a DyyPRIDEの人生に影響を与えた3冊を紹介してもらった。

胸の内で怒りを燃やしたマルコムXに共感

 ガーナ人の父親と日本人の母親を持つ檀は、これまでの人生でさまざまな差別を受けてきた。『僕という容れ物』の中にこんな一節がある。「差別主義者の目を見ていると幼少期に耳に胼胝(たこ)が出来るほど聞かされた『ガイジン国に帰れ!』という台詞が頭蓋内に響いた」。学校や会社のようなコミュニティ内はもちろん、街角や電車の中のような日常生活でも“違う人間である”と思い知らされた。彼は怒り、戦い続けた。結果、精神を強烈に疲弊させ、現実感喪失症候群を患った。生活は徐々に荒んでいった。そんな彼に影響を与えたのは『マルコムX自伝』だった。

 「僕はアメリカの黒人のようにリンチされることはなかったけど陰湿な差別を受け続けていました。こんなにネチネチやられるなら、いっそリンチされて殺されたほうがマシだとすら思いましたね。だからアメリカの公民権運動にも早い段階から興味を持ちました。マルコムXの自伝を読んだのは二十歳になったくらいの頃です。

 マルコムは子供の頃から成績優秀でした。小学生の頃は『医者か弁護士になりたい』と思っていたそうです。でもそう言うマルコムに白人の先生は言いました。『マルコム、それは無理だ。ニガーは医者にも弁護士にもなれない。ニガーは手先が器用だから大工を目指すと良い』と言いました。しかもおそらく白人の先生も悪気があって言ったんじゃない。それが当時の常識だった。だからこそ余計に根が深かった。マルコムは絶望して不良になります。

 若い頃は俺自身も血気盛んな部分があったから、権利を勝ち取るためには暴力も辞さないというマルコムXの思想にはものすごく影響を受けました。でも一方で、同じく公民権運動の中心人物だったマーティン・ルーサー・キングは『右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい』と主張していたんです。当時は意味がわからなかったけど、いまなら理解できる。マルコムXの暴力はあくまで自衛のためだったけど、そもそも彼は自分の中にネガティヴなエネルギーを溜めすぎたんだと思う。そういうのって、最終的には自分に返ってくるんです。キング牧師はそれがわかっていたんじゃないかな? だから暴力や憎しみの心を捨てろって言ったような気がします」

ビートたけしの生の執着するエネルギーに感動した

 10代後半から22歳頃まで檀は荒んだ生活を送っていた。その様子の一部が『僕という容れ物』にも書かれている。

 「若い頃は酒浸りでした。飲まずにはいられなかったんです。真夏に水も飲まず酒だけ飲んでました。それで体を壊した。22歳の時、SIMI LABの1stアルバムを出すか出さないかくらいの頃。ほぼアル中ですね。血液はドロドロになって、軽い脳梗塞みたいな状態でした。手が痺れっぱなしで、何を触っても常にゴム手袋をしてるような感じ。心も体もボロボロでした。病気をしてからは一滴でもお酒を飲むとライヴで歌詞をまったく思い出せないんです。脳が全然働かないから目がよく見えないし文字も読めない。正直死んだ方がマシだと思いました。

 そんな時に読んだのがビートたけしの『顔面麻痺』って本。若い人はあまり知らないかもしれないけど、北野さんって人気絶頂だった若い頃にものすごいバイク事故を起こして死にかけてるんですよ。半年くらい入院してた。一命はとりとめたけど、顔面麻痺が残ってしまった。それが今みんなが知ってる顔。普通の芸能人だったら、自分の見た目が大きく変わってしまったら引退しちゃうと思うんですよ。芸能人じゃなくたって、麻痺した顔なんて見せたくないだろうし。でも彼はこの本で『どんなにひどい状態になっても人前に出て行く』『俺は生きる』と言っていました。本当に自分の内臓みたいな、他人は見せない、見られたくない部分を晒しています。

 どういう経緯でこの本を手に取ったのかは憶えてません。でも読んだのは、これからどうやって生きていけばいいのか、本当に途方に暮れている時期でした。だから本屋さんで何かが引っかかったのかもしれない。しかも当時はいつも頭がボーッとしてたから、読み進めるのにもすごく時間がかかった。でも自分自身がギリギリだったから、状況は違えど死線からカムバックした人の赤裸々な告白は、僕にとっての救いになりました。泣きながら読みましたね。北野さんの生の執着するエネルギーに感動したし、どんな形であれ、生まれてきたからには生き抜かなくてはならないって思えるようになりました」

 そして檀は自分の精神、体と向き合って2ndアルバム「Ride So Dyyp」を制作した。

DyyPRIDE ’Pain’

ヨガナンダの人生を通じて「より良い生き方」について考える

 現在の檀には自己顕示欲があまりないという。彼が文章を書いたり、ラップをしたりするのは、自分の経験をシェアしたいとと考えているからだ。ビートたけしの『顔面麻痺』を読んだ時のように、ギリギリの状態から這い上がってきた檀の言葉がいまどん詰まりの誰かの励みなるかもしれない。そう思うようになったのが、3冊目の『あるヨギの自叙伝』を読んでから。この本はヨガのグル、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝で、ザ・ビートルズのメンバーやスティーブ・ジョブズの愛読書としても知られている。

 「僕の祖母はすごく信仰深い人でした。その祖母の知人になんでも言い当てちゃう不思議な人がいて。結婚が決まったりするとその人のところに行って、自分たちの今後を見てもらってましたね。結婚したあとにその人のところに行った親戚がいたんですよ。そしたら『なんで結婚しちゃったんだろうね……』って言われて(笑)。でも数年後、二人は本当に毎日狂ったように喧嘩するようになっちゃって。そういう人が近くにいた環境だったので、僕自身も神秘主義にあまり抵抗がない。普通の人が『あり得ない』って思うことも、俺は『そういうこともあるんじゃない』って思える。

 僕がヨガを知ったのは、たまたま母が持ってた速読の本でした。中村天風という人の自伝で。細かく話すとめちゃくちゃ長くなるので割愛しますが、この人の人生がとにかく波乱万丈なんですよ。子供の頃から秀才だったんだけど、無頼で、右翼になって、日露戦争ではスパイになって、みたいな。なんでそんな人の人生が速読本になってたのかはいまでも謎なんですが(笑)。でも、この天風さんは結核になるんです。当時の医療では治療不可能と言われてたけど、たまたまインドでヨガの先生に会って、超厳しい修行したら治っちゃったんですよ。自分が体を壊してたこともあって、ヨガに興味を持ち始めたんです。それでなんとなくヨガナンダの自伝を読み始めました。

 この本には『これ本当なの?』みたいな話がたくさんあります。例えば、英語が全然話せないヨガナンダがアメリカで数千人の前で説法しようとしたら突然英語が話せるようになったとか、乞食みたいな生活をしてたら富豪の老婆が活動資金を援助してくれるようになったとか(笑)。でも僕がこの本を読んで感じたのは『人は何のために生きるのか』という部分。ヨガナンダの人生を通じて、僕は『より良い人生とは何か?』ということを考えるようになりました。

 以前はマルコムXのように負の感情を溜めて生きていました。『ドラゴンボール』の元気玉のネガティヴ版みたいなやつが、頭の上にずっとある感じ。真っ黒で巨大な負の元気玉を育て続けていました。当時の僕はそれをいろんな人にぶつけてた。失礼な態度をとる人にいきなり絡んだりして。それが自分に返ってきたんです。だから僕は体を壊したんですよ。マルコムXの自伝も、北野さんの本も、ヨガナンダの自伝も、この体を壊した時期に読みました。そこで、負の感情は持っているだけでものすごく自分の負担になるということに気づいたんです。

 そして僕が今思うのは『より良い人生を生きたい』という、ただそれだけ。というか、自分だけでなく、すべての人に良い人生を送ってもらいたい。だから自分の地獄のような経験と、そこで感じたことを晒しています。差別をする人間に対していろいろ思うことはあるけど、それは怒りというよりは気の毒だなって感じ。『あなたもより良い人生を見つけてください』って祈るような感覚ですね」

 取材のあと、檀に「もうラップはしないの?」と質問すると「全然やりますよ。やめるなんて一言も言ってないし(笑)。でもちょっとブランクが空いちゃったから、まずは客演とかがいいかも。あと未発表曲もたくさんあるし。機会があったら発表したいですね」と話していた。