昭和初期、福岡を拠点に活躍した探偵小説家・夢野久作。その全貌を伝える『定本 夢野久作全集』(国書刊行会)が刊行中だ。この5月に発売されたばかりの第6巻のサブタイトルは【童話】。久作が探偵作家としてデビューする前、地元の新聞などに別名義で執筆していた創作童話71編を収録している。
久作が童話を旺盛に手がけていたのは、大正時代後半である。ちょうど鈴木三重吉の雑誌『赤い鳥』が創刊され、日本の児童文学に新しい波が訪れていた時期と重なっているが、強靱なイマジネーションと、ナンセンスな笑い、オノマトペを多用した独特の文体を備えた久作の童話は、すでにオリジナルな世界を確立していた。たとえば「オシヤベリ姫」「人が喰べ度い」「豚吉とヒヨロ子」とタイトルを並べてみれば、そのユニークさがなんとなく伝わるだろうか。
長年の久作ファンとして数ページの小品にも捨てがたい魅力を感じるが、久作童話の代表作といえばやはり、長編「白髪小僧」ということになるだろう。
いつもニコニコ笑っている白髪頭の少年、白髪小僧に命を救われた美留女(みるめ)姫は、二人の過去とこれから先の運命がすべて拾った本の中に書かれている、と言って両親を驚かせる。姫が〈白髪小僧〉と題されたその本を朗読してゆくと、いつしかページは真っ白になり、彼女は銀杏の木の下に立ち尽くしていた……。
藍丸国という架空の国を舞台にくり広げられる物語は、フィクションの中にフィクションが含まれ、現実と夢がめまぐるしく交錯し、主人公二人の分身があちこちに登場する、なんともややこしい構造をもっている。つまり〈奇書〉として名高い久作の代表作『ドグラ・マグラ』の先駆をなすような、迷宮的小説なのだ。久作はなぜこんな奇妙な小説を、童話という形式で発表したのか。何度読んでも興味が尽きない。
ほかにも愉快な作品が400ページ以上にわたって収録されている。食いしん坊の少年のお腹でお菓子たちが暴れまわる「お菓子の大舞踏会」、魔法使いの口まねをした少女が巾着袋に閉じこめられ誘拐される「クチマネ」、欲張って水だけで暮らそうとした老夫婦が結局は餓死してしまう「水飲み巡礼」。「白髪小僧」をぎらぎら光る大粒のダイヤモンドだとするならば、これらの小品はさりげなく輝く真珠や水晶だろうか。
ナンセンスな着想に大笑いし、ピュアな詩心に何度も驚嘆させられる。大切な花を捨てられた少女のもとに水仙の精が遊びにくる「青水仙赤水仙」に代表されるように、幼い子供の悲しみに寄り添った視点がまた素晴らしい。私が久作の作品を愛してやまないのは、こうした子供時代特有の哀感や孤独が、常に漂っているからなのだ。
これまで夢野久作の全集は二度刊行されているが(戦前にも一度企画されているがこちらは未完)、今回の『定本 夢野久作全集』は国内トップクラスの久作研究者が精力を傾けた、決定版と呼ぶにふさわしい内容である。好きな作家の全集を揃え毎晩一、二編ずつ読み進めてゆく楽しさは何者にも代えがたいもの。一度味わったら病みつきになること請け合いだ。