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音楽家マヒトゥ・ザ・ピーポーの目の凝らし方、耳の澄まし方 壊れゆく世界で一番優しい響きは「反抗」だと思う

文:福アニー、写真:有村蓮

初めての小説には「大きな革命」に対する皮肉を込めた

 4人組ロックバンドGEZANのギターボーカルやソロ活動、シンガーソングライターの青葉市子とのユニットNUUAMMで注目を集める音楽家、マヒトゥ・ザ・ピーポー。個であり続けることを貫くスタンスや歯に衣着せぬ批評眼、聴く者をハッとさせるライブパフォーマンス、幅広い楽曲と独特な歌詞世界で、日本のアンダーグラウンドシーンを牽引する存在として異彩を放っている。幻冬舎plusで連載中のコラムでは文才も発揮する彼が、自身初となる小説『銀河で一番静かな革命』を幻冬舎より刊行した。

 物語はロックバンドの追っかけを楽しみとする海外に行ったことのない英会話講師のゆうき、新曲が書けず行き詰まりを感じている妻子持ちで遊び人のバンドマン光太、父親のわからない子どもを産んで後ろめたさを感じながら過ごすシングルマザーのましろ、ましろを「お母さん」と呼ばずに飄々と生きるいろはを軸に進んでいく。彼らがかすかに交差するさまを描きながら、突如としてやってくる「通達」――。まずは登場人物の造形について思いを聞いた。

 「書いてる自分にとって都合のいい動き方をしてくれる人や言葉を言ってくれる人も好きだし、逆に華がなくて言いたいことも言えない、自由に飛べない人も同じだけいいと思っていて。物語にとって重要なものもそうじゃないものも、同じ土俵で書きたかったというのはあります。たとえば自分は赤色が好きで。まったく染みがない赤色ってすごくきれいで重宝されるんだけど、影や折り目があったり筋が入ってたり、そういう不完全で曖昧な赤色ももちろん赤色だし。普通に生活していても一色で表せる人っていないわけで、全部が混ざり合った感じを出したかった。

 この話は一応4人がメインになってますけど、このときたまたまスナップして切り取ったのが彼らだっただけで、物語は続いていくんですよね。ピントさえちゃんと合わせれば、どんな人も小説や映画になりうるような生き方をしていると思うんです。世界を変えるというような大きなストーリーじゃなくて、それぞれにちゃんと革命や自由が用意されてる。そのかたちやあり方は全部違うはずで、でも自分の内側にある声にチューニングを合わせるのってすごく難しい。内面から生まれてきたピュアな感覚に思えてるものも、複雑な社会構造にコントロールされて出てきてるものがほとんどだと思うので。なのでこの本は、そういうチューニングを合わせようとする本のような気がします」

 「その星が地球と呼ばれていた頃」という章立てから始まる本書。GEZANのファースト・アルバムは「かつて うた といわれたそれ」であったし、マヒトゥのソロ最新作「やさしい哺乳類」のなかには「まだあの海が青かったころ」という曲もある。この世界が終わったあとの地点から眺めているようなSF的な視点は、どういったところから出てくるものなのだろうか。

 「物事を俯瞰して見てしまうのは、ある種の諦めからスタートしているからかもしれません。たくさんの情報やいろんな人の考えが洪水のようにあふれる中で、ある一定のキャパを超えると許容できなくなって、すごく遠くから自分や周りを見るクセがついてしまっていて。それがそういう言い回しや表現になってるのかなって気はします。

 そんな諦念のようなものを一番最初に突き付けられたのは、小学1年生くらいで、おじいちゃんが死んだ時ですね。死ぬ直前まではみんな人として扱って悲しんでるんですけど、死んだ瞬間モノになったのに周りの人は泣いたり声をかけたりしているのを見た時に、なにか感動的なシーンを作ろうとしているようでしらじらしく思えてしまったんです。自分がとても遠いところからその現場を見ているような気持ちになって。もちろんそうした『終わり』の境界線を引くことで、残された人たちがその人のいない世界を受け入れて、明日からも支障なく人間としての生活を始められるようにする儀式ということはわかります。でも本当は終わることってなんにもないのに、そこに線引きをすることに人間のエゴを感じてしまって、興ざめした気持ちは覚えてます。それはいま、俯瞰していろんなものを見てしまうときの気持ちとすごい似てると思います」

 物語中の「通達」という出来事においても、「死」という赤紙にとらわれているような感覚を受ける。「死=抗えないもの=運命」と聞いて感じるところは?

 「わりと必要以上に死ぬってことを大事として扱ってるし、自分自身も死について大きなものとして捉えてしまってる節はあるんですが……死ってもっとフラットな、たとえばご飯食べて寝て音楽聴いてと並列上にあるような、自然で当たり前のことなんですよね。本当は消える日のことも当たり前の一日で、消えたあとのことも当たり前の一日が続いていくだけで。そういうランプが灯って消えてっていう、それだけのことなんだけど、どうしてもエゴが出てきてしまうから。やっぱり生きてることに期待してるし、生がすべてと思えるから、そこでなにかを残したい、そこに情熱を賭けたいって欲求がわき上がってしまいます」

 そうした死生観を湛えつつ、表題は『銀河で一番静かな革命』とあるのでなにかしら「大きな革命」があるかと思いきや、マヒトゥは目を凝らし、耳を澄まし、それぞれの日常生活を丁寧にすくい取ることに徹している。ここでいう「革命」とはそれぞれが個であること、そして自分の神様を見つけることではないか。そうした「小さな革命」を活写しようとしたのはなぜなのか?

 「そういう『大きな革命』に対する皮肉でもありますね。不特定多数に当てはまる革命って、基本的に暴力だと思っていて。革命って言葉が用意されてる、されてないに関わらず、SNSのなかで常に飛び交ってるようなことすべてに言えるんじゃないかな。圧倒的な正義も圧倒的な悪も、もう疲れたな、もうそういうのいいよっていう気持ちはあります。バンドを始めたわりと早いうちから、そう思ってるかもしれません。というのも最近、車の中でメンバーと昔の音源を聴いていたんですが、あんまり歌ってること変わってないんですよね。そのときから右でも左でもない、曖昧なところからただものすごく怒ってるという」

「スピードの戦争」に参加したくないって気持ちがある

 取材中、2012年初頭にさせてもらったインタビューで東日本大震災後の音楽のあり方について聞いた時、「ヒップホップは速い、ロックは遅い」と言っていたことを思い出していた。当時の言葉を実践するかのように、2015年にはpeepow名義でヒップホップのアルバムも出したマヒトゥ。とはいえそうした音楽より、言葉を紡ぐ小説、ひいては文学はもっと遅い。書くほうも読むほうも、じっくり腰を据えて向き合うメディアだと思うからだ。いま「遅さ」を求めることについて、表現の速度について、改めて思うところは?

 「いまはあらゆることの速度が速すぎて、しんどいですよね。一日で議論が辿り着くところまで辿り着いてしまうような。そういう『スピードの戦争』に、参加したくないって気持ちは少なからずあります。小説の速度でいえば、担当編集者さんと何度もやり取りをするなかで、自分が書いた文章の一文一文とこんなにゆっくり向き合ったことがなかったので、そうした機会に恵まれたことはすごく新鮮でした」

 『銀河で一番静かな革命』で直接言及されていないものの、自身の活動にそこはかとなく滲み出ている政治性。幻冬舎plusの連載で書かれた沖縄の海のこと、GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord:Documentary of GEZAN」でのネイティブ・アメリカンに対する切実な思い、あるいはGEZAN主宰のレーベル「十三月」による完全DIYイベント「全感覚祭」のステートメント――。たびたび目にする、耳にする「政治」という言葉に、どういう意味を持たせているのだろうか?

 「どう捉えてくれてもいいんですけど、『政治』って言葉を使うときは全部同じニュアンスで使っています。当たり前のように生活している毎日の景色には、いわゆる優しさや正しさの背景には、避けては通れないくらい政治というものが横たわっている気がするんですよね。もちろん目に見える部分と見えない部分はありますけど、社会の基盤はそれによって作られている。だからある意味では2019年に生まれる表現はすべて2019年の政治的なものだと思うし、どれだけ個性的で孤立無援でなにからも影響を受けていないようなものでも、社会に出てくる限り、影響を受けていないってかたちでちゃんと社会的なんじゃないかな。自分は自分のことを、これでも結構社会的な生き物だと思ってるんです。そういう意識がなかったら、音楽にしても言葉にしてもイベントにしても、『政治』に結び付かないだろうし」

 そんなマヒトゥ・ザ・ピーポーは平成元年生まれ。混沌と激動の30年が終わり、平成最後から令和最初という日本の過渡期に、この本とともに立ち会った。これからの自分や周りに対して、この国に対して、率直にどんな思いを抱いているのか聞いてみた。

 「いやもう疲れ果てましたね、本当に(笑)。この国に対しても、全然幸せな国だとは思っていなくて。目に見える形で銃弾が飛び交ってるわけではないけど、兵器のような殺傷能力のある言動で、見えない戦争はとっくに始まってるように感じます。言葉の使い方ひとつで人は簡単に壊れるし、人を簡単に壊すことができるし、殺めることもできる。そういうことにどんどん不感症になっていってるから、過剰に先端を尖らせたもので人を傷つけて、そのリアクションで生を実感するというような。こういうサイクルはそう簡単に収まらないだろうし、この先もっと過剰になって、現実の人を殺すようになっていくだろうなと思いますよね。期待や希望を外に求めるのも荷が重すぎるし、自由があるとすれば、それはひとつひとつ自分の振る舞いで築いていくものなのかなって」

 この夏から秋にかけて、映画の公開、フジロックのホワイトステージへの出演、マヒトゥが毎年中心になって行ってきた完全手作りの投げ銭フェス「全感覚祭」の開催が控えている。歌い尽くされ書き尽くされた世界で、これからどう振る舞い、なにを表現していきたいと思っているのか。

 「『反抗』ですね。これだけ壊れた世界において、一番優しい響きを持ってるものを考えた時に、反抗が一番優しいと思うので。『現状維持』って地獄をずっとキープするようなことだから、それははっきり言って優しくない。俺自身もとっくに壊れてるけど、周りの人のいろんな価値観を吸収して、なんとか二本足で立つことができていて。『反抗』のやり方は変わっていくと思うけど、この構造から抜け出すにはもう破壊するしかないなというのが率直な気持ちです」