戦争末期から戦後まもない時期、日本銀行に入行した人々の中には、自身の体験や眼前の事象を表現することに強い動機を持ち、それらを見事な日本語で書き残した細い流れがある。
戦後間もなく書き上げた「戦艦大和ノ最期」の初稿を、日銀入行後も推敲(すいこう)して極限の客観的描写へと昇華させた吉田満、出征先のトラック島で体験した壮絶な体験を出発点に戦後の「前衛俳句」を牽引(けんいん)した金子兜太など、そこには自身から発せられる言葉への強い拘(こだわ)りがある。
著者は彼らとほぼ同世代に当たり、吉田とは同僚で行内の同人誌仲間であり、「戦艦大和ノ最期」の緻密(ちみつ)な分析でも知られる。軍隊生活の中で体験した日本語を構造化して捉える視点が本書の成立に深く関わっている点で、著者は明らかにその系譜に連なる。
文章教室と銘打たれた書籍の多くが明晰(めいせき)な文章を書くことを目指すものであるのに対し、本書が特別な位置を占めるのは、日本語をいかにして読むか、それも「悪文」をどう読むかに力点が置かれていることである。歴史小説からレッカー移動の掲示に至る豊富な「悪文」例を素材に、機能性を尺度にそれらを細分化していく。自然体で書かれた随想にも意外なところで「悪文」への落とし穴があったりする。その手続きを経て対象を構造化することで何故「悪文」が生まれるのかを示し、同じ文意を明晰な文章へと修正していく手腕は実に鮮やかだ。
この分析手法を筆者は「工学的」と呼ぶ。一見、効率重視の印象を与えるが、冷たく文章を裁断する観はない。その理由は背後に佇(たたず)む著者の文学への該博な知識にある。「工学」には遊びも必要、という著者の言葉が示す通り、楽しむための読書を続けてきた体験の蓄積が本書の見えざる素地となっている。
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ちくま学芸文庫・1210円。24年10月刊。4刷1万9500部。単行本は1979年刊。担当者は「読者の半分以上が30、40代です。名文を書くためでなく、悪文を書かないためというのが、リスクを避けたい傾向に合うのかもしれない」。=朝日新聞2025年1月25日掲載
