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朱野帰子さんが中学生のころ読みふけった「新聞の投書欄」 組織人の姿、思い浮かべて

 最近、長年つきあいのある編集者さんから指摘された。「朱野さんは組織が好きですよね。現代作家さんで、しかも女性では珍しいと思います」
 「そうかもしれない」と思った。

 もちろん組織を書く作家は昔からたくさんいる。ぱっと思いつくのは、山崎豊子さん、横山秀夫さん、そして池井戸潤さん。人気作家さんばかりだ。彼らが描く主人公は権力と対峙する勇気を胸に宿している。組織の中で働く人間にとっては英雄的存在だ。映像化されれば、多くの勤め人たちがテレビの前に座り、ストーリーにのめりこむ。私もその一人である。何度映像化されてもいい。
 ただ、彼らに憧れながら育った私が今書いているのは、働く人々の小さな不安が集まることで起きる小さな事件である。権力を倒しても、問題のある人を排除しても、何も解決しない。そんな物語である。組織人ではなく、組織そのものに私の興味はあるのだろう。組織が大きくなるほど、問題が複雑化して、アンコントロールになっていく過程も興味深く感じられる。

 初めて組織というものに興味を抱いたのは、中学生の頃だったと思う。当時の私は朝ごはんを食べながら新聞の投書欄を読むのが好きだった。投書は高齢者、しかも定年退職者からのものが多かった。彼らの肩書きは「元会社役員」や「元団体職員」だったが、投書の内容と関係ないことも多かった。おじいさんたちが文机に座ってペンをとり、ハガキに「元……」と書き記している後ろ姿を想像しながら、「もう退職したんだから、無職と書くのじゃだめなのかなあ」と私は思った。組織との接続がなくなることはそれほどの恐怖なのだろうか。組織ってなんだろう。二年か三年くらい、その習慣は続いたが、「無職」と書く人は当時は少なかった。

 成長して会社員になった私は、損保会社が主催したリスクマネジメントのセミナーに行かされた。講師は組織を揺るがす不祥事の例として、食品事故の隠蔽を挙げ、「現場責任者だけが罰を受けるシステムを採る企業では隠蔽が起きやすい」と語った。なるほどなあ、と思いながら、私は想像した。もし自分が工場長で、異物混入の可能性に気づいてしまったとしたら。生産ラインの前で立ち尽くして何を考えるだろうと。
 上に報告すれば、ラインを止めることになる。数千万円の損失が出る。大勢の前で面罵されるだろう。左遷もされるだろう。ローンが払えなくなる。リストラの対象となれば子供は大学に行けなくなる。暗い未来は確定だ。それにひきかえ、食品に混入した異物が誰かの健康を害するとは限らない。あるいは混入すらしていないかもしれない。そんなことを数秒考えて、そう私は報告をやめる。きっと誰にも気づかれない。そう思うことにする。
 自分でも情けないが、きっとそう決断するだろう。たくさんの専門家に囲まれた経営者の大きな決断よりも、一現場責任者の小さな決断が、実は組織の生死を左右するものなのかもしれない。そして、その決断を彼にさせるのは、やはり組織そのものなのである。うーん、複雑系。

 だからこそ私は平凡な会社員を書くのが好きなのかもしれない。バタフライ効果ではないが、彼らがもしこういう決断をしたら会社の未来はどう変化するだろう、と想像してみるだけで胸がいっぱいになってしまうのである。
 他の人もそうなのだと思っていたのだが、どうやら違うのだ、ということが編集者の言葉でわかった。編集者とはやはり有り難い存在である。