輪の中心になっているのは阪西敦子さん。42歳で俳句界ではかなりの若手ですが、句歴はなんと35年。おばあさんの勧めで7歳の時に句作を始め、それが俳句雑誌「ホトトギス」の児童・生徒の部に投句されたことで「家族が写真を勝手に送ってデビューしたアイドルのように」俳句の世界に足を踏み入れたと言います。
所属する結社「ホトトギス」「円虹」のほか超結社の句会にも参加し、多くの俳人らと交流している阪西さんですが、今回の「日本橋句会」を始めたのは昨秋のこと。俳句仲間の黒岩徳将さん、村越敦さんと知人の結婚式でグラスを傾けながら話していた時に思い立ったのがきっかけだそう。「私が転職して職場が日本橋になったタイミングで、みんな職場が近いね、よく会うけどこのメンバーで句会ないね、って話になって。人づてに(俳句仲間の)何人か職場が分かっていたので、この辺の人に声をかけたんです」。そう阪西さんが言えば、黒岩さんが横で「隠れてやらないと鍛えられないから」と付け足します。
日本橋句会は月に1回、その名の通り東京・日本橋にあるカフェで午後7時にスタートします。とはいえ、仕事の都合などで最初から全員が時間通りに集まれるわけではなく、取材日の6月14日も集まったのは9人中、村上さんや阪西さんを含めて6人。その場でお題(席題)を出して20分ほどで2句作るところから始め、間に合わなかった3人とはその都度、メッセンジャーでやり取りします。この日は兜町の「兜」と証券会館の「証」の文字を席題にすることになり、阪西さんがメッセンジャーで報告、3人は席題句を作りながら会社からカフェへと向かいます。
全員がそろったのは7時40分。それぞれ事前の宿題として用意した5句と席題の2句の計7句を無記名で短冊に書き、それをバラバラにして清書した紙を人数分コピーして選句します。「兜(を使った句)が何も浮かばない」と言いながら村上さんが提出したのは以下の7句でした。(原文ママ)
- 双子らの真中へ母の団扇風
- 冷し酒菜箸太き天ぷら屋
- 薄暗き靴工房にカラジューム
- 紫陽花へ突っ込む雨後の紫陽花へ
- 手の甲で眼鏡をあげて墓洗う
- 免許証の目つきのごとき日雷
- 風死せり兜に鋭き光かな
限られた時間の中で「言いたいことをぶわっと言う句会です」と阪西さんが言うだけあって、講評はしょっぱなから白熱モード。「風鈴やカレーをかき混ぜる猫背」という黒岩さんの句では、「ふわっとした季語の付け方は平成後期、2000年以降の俳句の感じ」「かき混ぜてよかったね、で済ませている作者の価値観は平成」と参加者の一人、大塚凱さんがまくしたてます。続いて句評を求められた村上さんも思わず、「ちょっとごめんなさい、今の聞いてたらあんなに言えないなと思って・・・・・・」とタジタジに。「70%くらい詭弁だから大丈夫です」と村越さんがすかさずフォローします。
参加者の黒岩さん、村越さん、大塚さんの3人は、実は俳句の強豪校出身で、俳句甲子園で舌戦を繰り広げてきた戦友。4人の選に入った人気の席題句「くり抜いて眼涼しき兜焼き」でも、3人が中心となってまたも激論が交わされました。
阪西:最初にちょっとギョッとさせる作り方が上手かなと。なんの目だっけ?と思ったら兜焼きだった、っていう急に最後いい感じになったりして。取ってませんが、黒岩さんはどうですか?
黒岩:俳句を作るときの「やってやったぜ感」が一つひとつに全部表れて、見え透いてるかなと思って。今まで俳句の上手な人がやってきた一つの仕掛けを全部詰めただけみたいな感じが。「焼き」と「涼しき」の両方入ってるところもどうなの?みたいな感じが。
村越:やっぱ「涼しき」が一番許せなくて、その空間にものがなくて涼しいのと、心理的になんとなくプチ残酷なことをやってやったぜ、みたいな背徳感のある爽快感みたいなものを重層的に「涼しき」って言おうとしてるのも見えてきちゃって。
大塚:うまい句で隙がないんですけど、これは80年代以降の俳句界の弊害やと思うんです。古典回帰した(飯田)龍太、(森)澄雄以降の問題やと。それまでの技巧を組み合わせて書くっていう方に転じている感じがします。
阪西:すごい怒られてますが、作者は誰でしょう?
黒岩:徳将です。
阪西:君かい。
大塚:我々がトラップに引っかかった感じ。
一同:(爆笑)
さまざまな結社に所属している人が集まっていて、一つの句に人気が集中することはあまりないとのことですが、この日最も多い5人が選んだのが大塚さんの「踏めば蛾の掠れることの二三回」でした。ここでも特に、黒岩さんの評が冴え渡ります。
村越:まずすごくリアルですね。「蛾」って季語の本意を言い換えるとこういうことかなって、ちゃんとものに向き合って書いた感がいいと思いました。
村上:何でもないことだけど、やっぱりすげーいいなと。最後の「二三回」っていうのもいいし、っていう感じですね。
黒岩:「踏めば」で始まっていることで「なんだろう」と思わせる力がもう、ここから「俺俳句始まるぜ」みたいな感じがすごい。
阪西:(選評が)今日、変!
大塚:ゾーンに入ってる感じ(笑)。
黒岩:もっと普通にやりましょう。一音しかない季語で、自分で書き込まないといけないから、「二三回」っていうのはそっと撫でてるように書いているようにも思うし、リアルな方に踏み込んでいるようにも思うので、書き方に作家性が出ている。だからこの句よりもこの人に会いたくなる感じがします。
村上さんの俳句は「手の甲で眼鏡をあげて墓洗う」が2名、「免許証の目つきのごとき日雷」と「薄暗き靴工房にカラジューム」もそれぞれ黒岩さんほか1名の選に入りました。黒岩さんいわくポイントは「詩を生み出す要諦は比喩・誇張・錯覚である!」(黒岩さんの師匠・今井聖さんの言葉より)とのこと。
「免許証の写真を撮るときは自分の顔じゃないような顔になって、ちょっと不細工だったり嫌な感じの顔に撮られてしまう、っていうことを含んで言ってる。焦点誇大をよく使ってるなと思いました」「カラジュームが出てくる俳句は初めて見て、画像で検索すると観葉植物の葉っぱがめちゃ鮮やかな形ですけど、つまりカラジューム自体も靴っぽい感じがする。形状の類似性をとらえてる俳句で、『似てるだけやん』で終わらない句が珍しい」
「靴工房には花よりも葉の方が似合うな、っていう感覚で形のことはあんまり考えなかったですけどね」と笑う村上さん。この日は終始、俳句甲子園組の勢いに押されていましたが、最後に感想を聞かれると「今回は俳句もすばらしかったんですけど、講評がおもしろかったですね。平成史とか違うところに飛び火して。俳句に対する精神を感じました」と締めくくりました。
句会後、阪西敦子さんと村上健志さんが対談
――最後におっしゃっていた、「俳句に対する精神を感じた」とは?
村上:作品のオリジナリティーを求める時に、平成俳句とか何年以前とか以後とか過去にあったものと比べるとか、「私は俳句はこうだと思ってる」とか、そういう熱さを今までで一番感じましたね。特に(俳句甲子園に出場経験のある)若い3人にそれを感じたし、いいなと僕は思ったんです。
阪西:本当に3人は勉強家で、どこでそれを見つけてきたのか?っていうようなことを言うんです(笑)。村越くんがさっき、「桜桃忌と教へて雨とともに消える(凱)」の句で「今こういうのに弱いんですよ。霊的とかファンタジーな句もいいなと最近思ってて」って話をしてたでしょう。ああやって自分の中でスタイルも変わっていくみたいで、ちょっとずつ好きなものに進んでいる感じがしますね。
――村上さんは、この連載にも出ていただいた佐藤文香さんの若手俳人のアンソロジー『天の川銀河発電所』を読んで、阪西さんの句がお好きだったんですよね。今日も「全景の揺れはじめなり七変化」という句を取っていました。(※七変化はアジサイ)
村上:小説を読んでて、こんな一文があったら素敵だなと思ったんですよね。はっきりと何とは言えないんですけど僕、結構オーソドックスなのが好きなんですよ、たぶん。何言ってるのか分からない、ファンタジー的な俳句も分かるようになりたいんですけど、まだ分からないんですよ。やっぱり僕は、ああ確かにそこ気づいてなかったけど、そこ映像にするのかっこいいなとか、美しいなってすごく思うんです。その感覚と、ちょっとそこに気持ちみたいなのが入ってるのを感じてすごくいいな、って思ったんです。
阪西:俳句を4つに分類したときに、一つは自分が頭で練り上げたんじゃなくて、自分が見たと思ったものを作る句があって、もう一つは、そういう風に作ったけどちょっと違って見える句があって、あとは自分の頭で作り上げたけど結構ふつうの景色になっちゃった句があって、最後は本当にファンタジーってそういうことだと思うけど、現実的にないもの、つかみどころがないものを頭で作った句があって。みんなどこかに当てはまるんだと思うんですけど、やっぱり私は、自分の頭で練り上げてはあんまり作らない。見たと思ったものを作るかもしれないですね。今日のメンバーともそこは共通点で、凱くんも結構変な句を作りますけど、今日の蛾の句も「蛾好きなんですよね」ってところからできてると思うし、黒岩くんは自分の頭で作って、それでもすごくリアリティーのある俳句が好きなんですね。
――阪西さんは7歳の時からずっと俳句を続けていますが、その秘訣は?
阪西:会う人がずっと変わるんですよね。村上さんも変わりますでしょ? 毎月句会に行ってるので。
村上:俳句を通して出会う人はそうですね。
阪西:結構会ったと思うんですけど、まだ会いきれない人がいっぱいっていうのがおもしろいかな。
村上:僕、「プレバト!!」に出てるんですけど、1回、夏井(いつき)先生じゃなくて3人の俳人の方が来た時があったんですよ。それでマジで全然言うことが違って、「俺はこれで合ってると思う」とか「私はこれは俳句になってないと思う」ってすごいけんかするんですよ。それはおもしろいなと思って。結局俳句って好みだし。で、僕は行ってないんですけど、その後スタッフに聞いたら、打ち上げみたいな飲み会でもその先生方がずっとそのことで言い合いをしてるんですよ。そういうもんなんだろうな、と思って。自分の信じてるものが一番だ、って思い続ける大事さってあるんじゃないかな。別に遠慮する理由もないし。
阪西:私、俳句甲子園の審査員をして今年で7年目なんですが、全作品を審査する時に、夏井さんの方針で多数決は取らないので、(議論が続いて)ごはんが出てても食べられないっていう罰ゲームみたいなことになってて(笑)。日本橋句会も地名だけで集めてて、地名とか路線で集めると自分では想像しない人が集まるので、傾向が本当にバラバラになるのでおもしろいですね。
こういう句会って、主義っていうよりはその場で出た句に対して、どこがみんなと思ってることが違って、どこが一緒か、突き詰めて言い合えるのがいいんですよね。人の話を聞かないとたぶん分からない、自分だけで考えるとふわっとしちゃうこともあると思うんですけど、だから句会が終わった後に、自分がその句をどう思ってるかっていうのを、もう一回、突き詰めてみるのもおもしろいかなと思います。それが好きだから、プレバトの先生たちもずっと言い合いしてたと思うので。
村上:そうですね、すごいなと思いますね。僕、人の句の読解力がないんですよ、たぶん。
阪西:思ってることを手触りだけでも言ってみるといいですよ。その言葉を拾って「つまりこういうことでしょ」って、ほかの人がゴチャゴチャのものを並べて数式化してくれるみたいなところが句会にはありますから。
【俳句修行は次回に続きます!】