夏目漱石論からBL妄想まで網羅
――本書は、「日本でどのようにアーサー王伝説というコンテンツが受け入れられてきたか」をまとめた1冊です。アーサー王と言えば、ケルト系であるブリトン人の英雄として英国で伝承された人物です。本人やその配下のガウェイン、王妃との不義の恋で有名なランスロットといった「円卓の騎士」、魔術師マーリンなどのキャラクターが中世の欧州で多くの物語になりました。本書では、彼らが日本の文学、アニメにゲーム、漫画、宝塚などのポップカルチャーに与えた影響について、広範囲かつ深くまとめています。まさにキャッチコピー通りの「ぼくのかんがえたさいきょうのアーサー王本」ですが、なぜ手掛けたのでしょうか?
小宮 実は「国際アーサー王学会日本支部」という学会がありまして、そこで2017年12月に「ポップカルチャーとしてのアーサー王」に関するシンポジウムをやったのがきっかけです。同年はガイ・リッチー監督の「キング・アーサー」が公開され、アーサー王伝説風の作品になると言われていたゲーム「ドラゴンクエストXI」も発売されたタイミングでした。
岡本 こういった、学術と大衆文化をつなぎ合わせるような企画は学会でも斬新だったと思います。僕も大学の授業で、日本における中世のイメージがどういう風に広がったか、ゲームなどをネタにして教えていました。
小宮 私も、(スマートフォンゲームの)「Fate/Grand Order」(FGO)をやっている学生と話していて、「先生がいま言っているのは、FGOのキャラのランスロットではなくて、中世の原典の方だよ」などと言うと、彼らも盛り上がる。ここ数年で(アーサー王伝説の話題で)そういった反応が返ってくるようになりました。
岡本 (アーサー王伝説への)機運が高まっていたのはあるかもしれませんね。そこで、大御所の研究者から、Twitter界で活躍している若手まで入れて、学術と大衆文化をしっかり橋渡ししようと意識して本を作りました。
――ゲームやアニメで歴史や伝説上の人物が人気になるたび、初心者向けに彼らを解説した「入門書」がちまたにあふれています。しかし本書は“容赦”がない……。夏目漱石が騎士ランスロットの悲恋を扱った小説『薤露行(かいろこう)』の論考が飛び出します。王妃と禁断の恋をしてしまった彼のありようと、漱石の『こころ』がまさかつながるとは。なぜかキスしたり一緒のベッドで寝たりする、騎士同士の熱すぎる「友情」にBL関係を妄想するコラムもあります。ここまで濃厚な内容にしたのはなぜですか?
岡本 アーサー王物語の解説書が既にたくさん出ていることは知っていました。そこで、一般読者を圧倒するような論文の間に柔らかいタッチのコラムも置くことで、「学問と大衆文化をつなぐ」という本書のあり方を体現する狙いがありました。
小宮 読み易さや執筆陣の豊富さは重視しつつ、学問的なクオリティーで妥協はしたくなかったのです。また、やはり日本で出ているアーサー王伝説の本は偏っている部分もありますし、(中世の原典は)作品のバリエーションが豊かなので、どの作品をピックアップするかでキャラが別のモノになってしまう。そこで、本書ではあえて一次資料を抜粋したりしました。
ようこそ、アーサー王の“沼”へ!
――巻末には人物・用語の事典や原典紹介もあるものの、主要キャラの説明が1人10行前後と意外にあっさりですよね。
小宮 昭和のゲームの攻略本のノリのように、「後は君自身の目で確かめてくれ!」ということです。ゲームのマップや魔王のヒットポイントとかを全部載せるのではなく、「君が戦って魔王の強さを味わってよ」という。全部おぜん立てしすぎると、読者の楽しみを奪ってしまうからです。
岡本 「アーサー王物語とは何か」を求めている人にとっては、この本を読んでも何がアーサー王なのか分からないで終わってしまうかもしれません。しかし、「何がアーサー王伝説か分からない」のがアーサー王伝説なわけです。「今こんなに日本で盛り上がってる!」という雰囲気が伝わって、そこから読者が自分で原典に行ってもらえればいい。そういう意味で全く入門書ではないのですが、それこそが本書の本質です。
小宮 ここから“アーサー王ライフ”を始めてほしいな、と思います。ようこそアーサー王の“沼”に、と(笑)。これは底なしの沼の入り口なのです。
――ただ、アーサー王伝説に興味を持つと、彼らが実在したかどうかがまず気になります。結局のところ歴史上の人物か、ただの伝説なのかよく分かりません。本書でも、その辺はわざと厳密にフォーカスしていないですよね。
小宮 私自身、アーサー王が「実在したかどうか」という点に興味がないのです。そういう人物を想像することで、どういった作品や歴史観が生まれたかを考える方が刺激的だからです。
岡本 その辺、アーサー王が伝説と歴史の“狭間”で微妙なラインを維持してきたからこそ、創作を生み続けてきたのだと思います。
――文学的に膨らみやすい余地があったと。
小宮 例えば、シャルルマーニュ伝説(中世の騎士文学の1つ。ローラン、アストルフォが有名)などに比べてアーサー王の方が人気があるのは、シャルルマーニュはあまりにも歴史的に実在が証明されていて、いじりにくいからかもしれません。アーサー王は古代ケルトの戦士として記録が残っているのに、(後世では)アングロサクソンの王だとか、みんな好き放題書いてるんですよ。
岡本 そもそも始まりからアーサー王伝説は“微妙”で、いろんな王室の人が自分の祖先だと言い張り、様々な作品ができていったのです。
詩人に“推しキャラ”小説を書かせた貴婦人
小宮 あと、クレティアン・ド・トロワ(12世紀のフランスの詩人)による物語には、「シャンパーニュ伯夫人のマリー様から『愛する王妃のために、いたぶられてもけなげに尽くす騎士の話を書いて』と頼まれたから書きました」などという序文があります。
――現代に当てはめれば、お金持ちが有名作家に自分の“推しキャラ”の同人誌を書かせるようなことが、中世にあったのですね……。
岡本 そう、位の高い貴婦人がパトロンとして(詩人に)書かせたということですね。
――そんなアーサー王物語の内容自体も、かなり“変”です。姫君に誓いを立てる騎士たちが次第にエスカレートして、「服を着ずに戦います」「愛する女性の下着を身に着けて戦います」と訳の分からない誓約を立てるとか‥…。下手すると、今の日本のゲームやアニメのアーサー王たちの方がおとなしいと思えるほど、彼らの情熱の方向は明後日で、度肝を抜かれます。
小宮 現代人の価値観と違う方向に頑張って突っ走っているので、今の価値観に疲れた時に読むと、「そこで鼻血出すの!?」「そこでパンツいっちょなのか」と……。日本の常識なんて、すっきり忘れてしまえる。私たちの価値観が実は当たり前でないことが、原典を読むと分かるのがある意味爽快で、楽しいのです。
岡本 今を生きている私たちの価値観と言うものは、ある程度決まっています。でも中世(の欧州)は遠いし異国だし、私たちの固定概念を変える要素を多分に含んでいるのです。
小宮 多分、予想の斜め上を行く展開や切り口が、まだまだ中世文学にはたくさんあると思います。書いていた人も、高尚な文学を作ろうとかではなく、やはりノリが同人誌的だったりする。職業的に書いていた人もいましたが、大量に流通するものでも無かった。「削りたいからここは端折ろう」「気に入らないから筋書きを変えちゃおう」と(中世の書き手たちは)やっていたみたいですよ。現代の「こういう風にあるべき」という文学作品を自由に突き抜けた物語が、たまに出てきますね。
――ドラクエの設定を流用したような「中世風ファンタジー」が多い日本のサブカルチャーですが、まさにアーサー王伝説は「原典が最大手」。原典の方がよほどカオスで、奇妙な魅力があるとも言えます。ただ本書では、アーサー王伝説のストーリーを正面から扱った日本のコンテンツが近年まで割と少なかったと論じているのが意外です。「ファイナルファンタジー」の剣「エクスカリバー」など、武器やキャラは断片的に出てくるのですが。やはり、有名な「ランスロットと王妃グウィネヴィアの不倫」が、子ども向けコンテンツでNGだったのでしょうか?
小宮 アーサー王の話に興味を持って読もうとすると、「不倫の話じゃないか!」と気付いてしまい、結局はモチーフの部分だけ拾おうと考えたクリエイターはいたのではないかと思います。「ゲームは良い子のための物」と言う側面があったのでは、と。そこに不倫のようなネタをねじ込むと、保護者(からの抗議)が恐かったのかもしれない。テレビアニメも同様ですよね。
岡本 最初の(日本のアーサー王伝説の)小説として漱石が描いたのも、グウィネヴィアとランスロットの不倫関係ですよね。これまで日本人が(アーサー王に)抱いたイメージは、最初の時点で漱石(の小説)が象徴だったのかもしれません。
小宮 また、アーサー王伝説自体、中世にはいろんなバージョンの作品があったにも関わらず、有名になってしまったのはトマス・マロリーの『アーサー王の死』です。これはランスロットが中心の筋書きなんですね。となると、「アーサー王の話=不倫」になってしまう。他の話では、モードレッドの反逆でアーサー王が亡くなる話がメーンの筋書きもあるのですが。
アーサー王は「獅子王」じゃない!?
――本書を読んでいると、例えばゲームから知ったアーサー王伝説の「設定」とは、ずいぶん違う話もずいぶん登場しますね。
小宮 エクスカリバーも、いつの間にか「聖剣」と付くようになりました。アーサー王も、いつからか「獅子王」と呼ばれるようになりましたが、原典の物語にはないんですよね。「Fate」シリーズなど影響力のある(現代の日本)作品から来ているのかもしれない。あるいはリチャード獅子心王(12世紀のイングランド王)からかも。ただ、獅子心王とは必ずしも誉め言葉ではないですよね。「ライオンのように残忍」という側面もありました。日本では誉め言葉になっているのが面白い。
――原典に記されているというより、単に最近のサブカルチャーの中で言及されて広まった「設定」であると。
小宮 そういうことはすごくあります。ランスロットの持つ剣は「アロンダイト」だという話がゲームを通じてすごく広まりましたが、海外の研究者でランスロットの剣の名前を聞いても分かる人はほとんどいないと思います。
――えっ!? 原典に無い設定なのですか?
岡本 むしろ別の民族、アングロサクソン系の(アーサー王伝説と)別の系統のロマン作品の中で言及されているというのはあったと思います。が、どこから来たかはよく分からない。
小宮 昔、学生の時にアーサー王系のサイトを運営していたのですが、閲覧した人がやはり(この剣の由来について)質問してきたのですよ。やっぱり(ゲームやアニメの)作品設定の影響力はすごい、と感じました。
――今の日本ではこのランスロットもゲームやアニメで人気者ですが、騎士たちをいわゆる「キャラ萌え」の視点で愛でている人が今の日本には多そうです。
岡本 最近、書店で本書のイベントに出た時、学生さんからは「どのキャラが好きですか」とか、個別のキャラに関する質問がよくありました。一方、年配の人からは「新選組とか、武士道などを連想しました」という話がでたのです。年代的な違いがあるなぁと。
アーサー王伝説自体も、「円卓の騎士が亡びる」というのがすべての筋書きの大枠にあります。もともと、大きな歴史の中で『平家物語』のような「栄光と没落」といったテーマがこの伝説にはあり、そういった歴史物語としての受容のされ方が明治初期からあったと思います。今はむしろ、断片的なキャラのエピソードに萌える人が多くなっている。「大きな物語」が、ポストモダンによって無くなってきているという流れと、ほぼ一緒なのでしょう。まあ、今はキャラクターが百花繚乱、キャラの時代ですよ!
小宮 「150人いる騎士の中から、“推し”の騎士を選ぶ」みたいな。
岡本 どんどんマニアックなアーサー王伝説のキャラも人気になるでしょうね。
海外にもいた「女体化キャラ」
――ちなみに、Fateのアーサー王「セイバー」のようなキャラの女体化は、日本独特の文化なのですか?
小宮 いえ、米国で最近出た『The Once And Future Queen』というアメコミでは、主人公の女の子がアーサー王の生まれ変わりです。Fate経由で伝わったものなのかもしれませんが。『Camelot 3000』という古いアメコミでは、トリスタンが女性に生まれ変わっていますね。
女体化ではありませんが、海外コミックのアーサー王では「お金を数えるのが好きな守銭奴キャラ」というのもある。日本の方がちゃんと騎士していて、(原典に)忠実じゃないの?ともちょっと感じます。
――2人はアーサー王伝説のファンであり、そして一線の研究者です。最近は就職を重視するせいか、大学でも研究者指向が薄らいでいる話を少し聞きます。でも、ゲームなどのコンテンツや本書をきっかけに、若い人がアーサー王伝説研究の担い手になる流れもできそうな気がします。
岡本 本当に、小宮さんのように面白さを熱く語る人間が増えたら、自然に(担い手も)増えると思います。本書の出版を機に、面白がって来てくれる子は増えると思いますよ。
小宮 今、大学生の間に「ちゃんと就職しなきゃ」「安定しなきゃ」という意識が広まり過ぎていると感じます。勉強は楽しくないもので、楽しいことは追究してはいけない、と。オタクなだけで、その元ネタをもっと読みたいというだけで(研究者として)やってきた私としては、もっとみんな適当に生きてもいいんじゃないかと思います。「うるせー、楽しいからやるんじゃ!」という志の低さの方がかえって(研究の道に)行きやすいかもしれない。「ランスロットの面白い話をもっと読もうぜ!」みたいな感じで来てほしいですね。