長編小説は5年ぶり。梨木香歩さんの『椿宿(つばきしゅく)の辺りに』(朝日新聞出版)は痛みから物語が始まる。静穏な筆致は少しずつ滑稽さを帯びて、主人公と読者を不思議な世界に誘い込んでゆく。
右腕に痛みが走り、「私」はペインクリニックに駆け込む。30代なのに「五十肩、四十肩です」と言われる。名は山幸彦。祖父が古事記の山幸彦海幸彦から付けた。従妹(いとこ)は海幸比子(うみさちひこ)、通称・海子。山幸彦が痛みを覚えたとき、海子もまた、股関節の痛みに苦しんでいた。山幸彦は海子の薦める鍼灸(しんきゅう)院の老女とともに、死にゆく祖母が口にした「椿宿」の地を訪ねる。
梨木さん自身、四十肩、五十肩で苦しんだそうだ。「痛みが起きれば何もできなくなる。理性も屈服して痛みに自分を支配される。いったいこれは何だろうという疑問がありました」。山幸彦に「痛みに耐えている、そのときこそが、人生そのものだった」と言わせた。「痛みを負った者の言葉ですね」
古事記の神話を取り入れることで物語は重層的になる。「古事記の神たちは、これでもかとやっつけられたり、情けなかったり。理不尽な目にあっていて言ってみればリアルです」。古典をベースにした物語は書いていても楽しいそうだ。
命が尽きようとしている祖母に、悲壮感はない。謎めいた言葉をつぶやく姿に滑稽さもある。『西の魔女が死んだ』『家守綺譚(いえもりきたん)』など、これまでの作品でも死者と生者はともに物語に存在し、描かれる現実と異世界はつながっている。
家族でドライブ中、梨木さんだけが「不思議」に気づくことがあるという。たとえば身軽すぎるハイカー。山に消えていった彼は何者、と周りに聞いても誰も見ていない。「普通の人は気にしないところに、豊かさを感じる。1の次は2ではなく、1の次にちょっと遊びがある方が豊かでしょう」
死へのまなざしは穏やか。「そこで終わりではなく、死を迎えつつあるそのときも豊穣(ほうじょう)な時間だと思う」から。「少し先にある死を射程において、できなくなることを受け入れて生きていきたい。死によって周りが潤うような、幸せの連鎖の中の豊かな死もあると思うのです」(中村真理子)=朝日新聞2019年7月10日掲載