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歌人・高田ほのかの短歌で味わう少女マンガ 渡辺ペコ「1122」

地獄のゴング

続刊を待ち焦がれる漫画が数冊ある。
その中の一冊が、渡辺ペコさんの「1122」、11月22日(いい夫婦の日)が結婚記念日の夫婦の物語だ。
(ペコさんは“先生って呼ぶのも呼ばれるのも苦手です”とのことなので、今回は恐れ多くも“ペコさん”でいく。興奮したときは呼び捨てになることをご了承ください)

ペコさんの語り口は哲学的、かつ普遍性を秘めている。そしてほんのり庶民風味がする。
それはさながらふりかけのよう。

絶妙な韻律に乗せ、ほらこれが食べたかったんでしょ、美味しいでしょう、と計算し尽くされた万人が好む味付け、リズム、量を読者の脳にはらはら降らせるのだ。

読者は、そう。これなの、これが言いたかったの!と、ふりかけが散りばめられた脳みそを大口をあけばくばく食べてしまう(どんどんページが進む)。
そして、あっという間に“渡辺ペコ論”で満腹になるのだ。

たとえばこうだ。

雨風をしのぐ屋根の下で
コンクリで仕切られた無数の空間の中で
あまねく人々が暮らしています
ひとりで
ふたりで
何人もで
それぞれに
たいそういびつに

キラキラルンルンの恋愛感情ではない
ムンムンの欲情でもない
静かで
広くて
暗くて
よく見えなくて
でもそこにはいろんなものが含まれていて
夜の海にも似ているような
そういうのを
愛とか呼んじゃうのは
あつかましいでしょうか

「いちこちゃんも好きだよ」
「じゃあセックスくらいいいじゃん わたしとだってしたって へるもんじゃあるまいし」
「へるよ」
ふうん 
へるの
なにが?
って
聞けない

ペコ、すごいよ…しびれるよ…
やられっぱなしで読み終え、少しのあいだ心地よい疲労感に浸る。そして次巻への渇望が始まる。
Googleの検索窓に「1122 6」と打ち込む。
数字だけのタイトルはコンマ1秒で打ち込めるのがありがたい。(6は巻数)
偶数巻の発売日は二人の結婚記念日(11月22日)に設定してある…!!
恐れ入った、恐れ入ったよペコ&講談社…

5巻、妻であるいちこの不倫を疑う夫のおとやは、いちこのスマホを開こうとする。

「1122」5巻から ©渡辺ペコ/講談社

その指をスマホ画面と合わせれば浮かびあがるあかるい断頭台

そして地獄のゴングが鳴る。

「1122」5巻から ©渡辺ペコ/講談社

悪いのは妻公認の夫の不倫(一年以上)か、夫が知らない妻の風俗通い(一回)か。
…ああ、これ如何に。
とびきり美味しいふりかけが脳にきらきら積もっていく。

わたしもかつてゴングを鳴らしたことがある。
20歳の夏、ふと、日常会話くらいできるようになれたらな、と思い「英会話教室 体験 大阪」と検索してみた。
約 11,300,000 件の中から現れた、“楽しくコミュニケーションをしながら自然と英語が身に付く!無料体験レッスン!”という文言に引かれてクリックした。

セミがワシワシ鳴く日曜日の午後2時、「大人の英会話教室」と書かれたドアを開けると、同い年くらいのピアスをあけた金髪の男性と、ハイビスカス柄のシャツを着たおじさん(推定50歳)、そして茶色の髪に青い目をした女性(推定40歳)がいた。
女性は、自分はアメリカからきた先生だと告げ、「キョウハ モノノナマエ、ネームネ ヲ タクサンオボエマショウ!」とわたしたち三人に名詞が100個くらい並んだプリントを配った。
それから、ホワイトボードに大きく

Tom,Is this a ○○?
No, This is a ○○, Mary.

と書き、三人に交互にトムとマリーになるよう指示した。

三人の間に聞こえないくらいの音量でゴングが鳴った

Tom, Is this a pen?
No, This is a pencil, Mary.

Tom, Is this a Apple juice?
No, This is a Orange juice, Mary.

先生はわたしたちがどれだけ英語を知らないと思っているのか。
しかし、ハイビスカスおじさんはそんな質問にももたついていたので、おじさんには適したレベルだったといえよう。
三人で2周りしたとき金髪ピアス男が突然、お腹が痛い旨を日本語で告げ、逃げるようにその場を出ていった。
がーん
まさかの途中退場とは…しかし彼は英断だ。

もしや、これが終了時刻の17時まで延々続くのだろうか…
一抹の不安がよぎったが、おじさんが真剣な顔でTom, Is this I a gorilla(ゴリラ)?と聞いてきたのでそこで思考は打ち切られ、虚空を見つめながらNo, This is a Chimpanzee(チンパンジー), Mary. と返した。
どうしておじさんがマリーで私がトムなんだろう…なにもかもが間違っている感覚にくらくらしてくるが、マリーになりきったおじさんには逆らえない。
先生がアメリカ人なので英語で聞かなければならないということも壁になり、「17時までこれをするのですか?」という一言がどうしても切り出せない。
いつしか、教室はおじさんとわたしの地獄の耐久レースと化した。

Tom, Is this a photo?
No, This is a picture, Mary.

Tom, Is this a cookie?
No, This is a biscuit, Mary.

日本人同士の会話でもふつうに使うフォトやピクチャー、クッキー、ビスケット。
このやり取りが今後の人生において一体何の役に立つというのか。
途中から、(ほのか、これは仏教の修行だと思え。むかし通っていたお寺で習ったろう。“最高の修行は忍耐だ”)と、英会話を習いにきているのに仏教の教えにすがるという矛盾だらけの思考状態に陥ったりしながら、ようやく17時になった。

おじさんは満足感たっぷりに額の汗を拭っていた。先生は「You are great!」と言ってくれたが、わたしはもう一言も発する気力がなく、 せめてお疲れ様だろ…と心のなかでツッコんで教室をあとにした。