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「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」 虚実のみ込む創作のすごみ

 ゲームもSNSもなく、さらにはテレビも映画もなかったころ、人々が熱狂した娯楽は芝居だった。芝居というメディアを通じて歴史を学び、また世間をにぎわす色恋沙汰の顛末(てんまつ)を知った。本作は、芝居小屋が立ち並ぶ江戸時代中期の大坂は道頓堀で、実際に名を成した浄瑠璃作者、近松半二の生涯を描く小説である。

 父である儒学者の穂積以貫(いかん)から近松門左衛門の遺(のこ)した硯(すずり)を譲り受け、勝手に近松姓を名乗り始めた半二。幼なじみの並木正三とは切磋琢磨(せっさたくま)しともに芝居作者を目指す仲だ。生身の役者の体が際立つ歌舞伎と、人形遣いと太夫が人形に命を宿す操(あやつり)浄瑠璃は、同じ演目を扱えども表現形式が異なる。あくまで浄瑠璃にこだわる半二は、人形遣いの吉田文三郎の口出しにも貧乏にも耐え、やがて「奥州安達原」などで地位を確立していく。

 目の肥えた客たち、シビアな裏方衆、当たる演目を欲しがる座本、潮目を読む銀主(パトロン)たち。彼らの欲望と駆け引きが混然一体となり、新作が生まれる道頓堀を、半二は「わしがわしであってわしでなくなる」渦のような場所と考える。

 そうした渦から引きずり出されたのが、のちに名作の誉れ高き「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」だった。半二の兄と将来を誓いながら破談されたお末が嫁ぎ先で早世した報(しら)せは、半二にお三輪という登場人物を造形させる。「おなごかて、いっつも唯々諾々(いいだくだく)、引き下がるばかりやない」という町娘の一途さが光る芝居は、人形浄瑠璃界が持ち直し、連日大入りになるほど評判になった。

 創作とは何か、表現とは何か。「筆を握ったまま死んでった大勢の者らの念をすべて背負って書いとんのやないか」。半二という作家の生涯を創造・想像的に補完した伝記の本作は、それ自体をして、虚が実を、実が虚をのみ込むあわいで書くことのすごみを描き出す。大坂弁の語りも小気味よく、高いエンタメ性を保ちながら創作論の一面も持つ見事な一作だ。

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 文芸春秋・1998円=5刷7万2千部。3月刊行。直木賞受賞。担当編集者は「著者と同世代の50代によく読まれている。大阪弁の軽妙な語り口が心地良く読みやすいと好評」。=朝日新聞2019年8月24日掲載