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牧師がギャングスタラップを聴くのは不信仰? 現役牧師が語るヒップホップとキリスト教

文:宮崎敬太

牧師がギャングスタラップを聴くのは不信仰なのか?

――『ヒップホップ・レザレクション』を書いたきっかけを教えてください。

 この本は僕が同志社大学の大学院で書いた博士論文がベースになっています。修士課程ではネイション・オブ・イスラームについて研究していたので、その流れから博士課程でもブラック・ナショナリズムと宗教に関する論文を書くつもりでした。でもモアハウスの3年生の時、牧師である父から勧められたジェイムズ・コーンの『黒人霊歌とブルース』という本がずっと頭のなかに引っかかっていました。

 この本は教会から「悪魔の音楽」と批判されたブルースを、アフリカ系アメリカ人が奴隷として非人間的扱いを受けていた時代に作り出した霊歌と結びつけて論じたもの。霊歌やゴスペルはキリスト教信仰から生まれた音楽であるから教会で歌われるけれど、ブルースは世俗的すぎるから「悪魔の音楽」とされた。でも、コーンはそのブルースが世俗的な霊歌としての機能を果たしていると言っています。ブルースはこの世の色んな困難について歌いあげることによって、それでも生きていくという思いを聴く人たちに奮い立たせる、魂に訴えかける音楽だからです。このコーンの議論を読んで、僕はヒップホップにも同じことが言えると思ったんです。

――ヒップホップの歌詞にはキリスト教について言及したものがたくさんありますしね。でも個人的にびっくりしたのは、本書で題材になっているほとんどがギャングスタラップだったことです。

 僕はギャングスタラップが大好きなんです。ご存知の通り、ギャングスタラップは社会からあぶれた人たちの容赦ない現実を、時に汚い言葉で詳らかに歌います。では、そういった音楽を聴くことは牧師として不信仰なのだろうか。ヒップホップはキリスト教的にダメな音楽なのか。この問いこそが、この本、そして論文のテーマなんです。僕は教会が見失ってしまったイエスの福音を示すものだと思った。だからそれを論文をとおして考えてみたかったんです。

毎年、ウェスト・エンド地区でマルコムXの誕生日に近い土日に開催される「マルコムXフェスティバル」(著者提供)

――ヒップホップはいつ頃から聴くようになったんですか?

 中学2、3年生くらいからかな。日本にいた時は何を言ってるかもわかりませんでした。でも高校3年生の時にアフリカ系アメリカ人の家庭に1年間ホームステイして、その後アトランタにあるモアハウス・カレッジに進学したことで、徐々に英語のラップも聴き取れるようになりました。あとカレッジでアフリカ系アメリカ人の文化について勉強したので、歌詞の背景にあることもわかるようになった。その経験がなければ『黒人霊歌とブルース』をヒップホップと結びつけることはできなかったと思いますね。

――ちなみにどんなラッパーが好きなんですか?

 本当にたくさんいますけど、本の中で何度も歌詞を引用したStyles Pが大好きです。Ghostface KillahやN.O.R.E.もよく聴きます。最近のラッパーだとDave Eastがいいですね。あと日本の舐達麻(なめだるま)も。「FLOATIN'」はむちゃくちゃ悪いこと言ってるように聞こえるけど、仲間の死がテーマになってて『ヒップホップ・レザレクション』に通じるものがあると思いました。

FLOATIN' / 舐達麻 (prod.Green Assassin Dollar)

着る服すらない。アメリカの貧困層のリアルを歌うヒップホップ

――聖書をもとにギャングスタラップを交えた説教をした牧師がいる、という部分はものすごく驚きました。

 オーティス・モス三世ですね。彼はトゥパック「Thugz Mansion」の歌詞を十字架に架けられたイエスと二人の犯罪者との会話を記した聖書の言葉に絡めて話したりもしているんですよ。アフリカ系アメリカ人のなかには自ら進んで犯罪者になるというより、犯罪に手を染めざるを得ないほど貧しく社会的に弱い立場であることが多い。そういった現状を踏まえて、モスは「神は行いではなく内側に秘めた自分を変えたいという思いを大切にされている」と説いたりもしてるんですね。

――モス三世以外にもそうした牧師はいるんですか?

 いやいや、そんなにいないと思います。モスはかなりリベラルな牧師です。一般的な教会では、ブルースが「悪魔の音楽」と批判されたように、ヒップホップの表面的な部分だけをとらえて世俗的なよくない音楽だと考えています。説教の中でラップを引用する牧師もいますけど、ヒップホップの上澄みだけを掬って、反面教師的なトピックとして扱うほうが圧倒的に多い。銃、女の子、ピンプ(ポン引き)といったLAギャングの日常を歌ったスヌープ・ドッグの「Drop it like it's hot」を引き合いに出して、「これは聖書的に堕落してる」と話したりね。

――本書はギャングスタラップの派手な側面だけではなく、むしろその背景にある悲しい日常に焦点を当てていました。貧困、ドラッグ、銃、自殺……。そこにはドラマチックな要素がまるでなく、現代のアフリカ系アメリカ人がどれほど抑圧されて、救いを必要としているのかを知ることができました。

 アメリカの貧しい人というのは、着る服すらないんですよ。もちろん食べ物もない。そういう人たちが教会や支援団体による食料の無料配布プログラムに参加して行列を作るわけです。それにラッパーたちがよく歌詞にする警察からの嫌がらせなんて、本当に日常茶飯事。僕がモアハウス・カレッジに通っていた時、夜中にアフリカ系アメリカ人のルームメイトと一緒にビールを買いに出たんです。その地区は道路もろくに舗装されてないようなところだったから、僕らはお店に行くために何気なく車道を横切ったんです。そしたらそこにたまたまパトカーが通りかかって。「お前ら、なんで車道歩いてんねん」と。

 それで身体検査されて。もちろん僕らはただの学生だから何も怪しいことなんてない。本当にただの嫌がらせなんですよ。僕らですらこんな有様なんだから、プロジェクト(低所得者向けの集合住宅)に住むような人たちはどんな目にあってるかってことですよね。貧しい家庭の子は学校でも先生にほとんど構ってもらえない。そういう環境だと彼ら彼女らは、自分の存在に意味を見出せなくなってしまうんです。

――山下さんはアフリカ系アメリカ人の貧困の現場を取材されたんですか?

 取材というか、モアハウス・カレッジにはいろんな地域のいろんな人たちが集まっていたんですよ。大企業の社長の息子もいれば、一族で初めて大学に行くというような人もいて。僕が一番仲が良かったジュウルズってやつは、高校時代にお父さんをドラッグで亡くしているんですよ。いろんな人たちと話す中で、アフリカ系アメリカ人コミュニティの多様性を肌で感じることができましたね。

山下さんが通っていたモアハウス・カレッジの近くにあるウェストエンド地区の街並み。アフリカ文化を伝えるセンターやベジタリアンやカリビアンの美味しいレストランもある(著者提供)

“サウス”の黒人大学で学んだアフリカ系アメリカ人の文化

――モアハウス・カレッジでの経験は本当に重要だったんですね。

 そうですね。一方で周りのヒップホップ好きと「リュダクリスの新譜聴いた?」「ヤバいだろ」みたいな話もよくしてましたよ。「この曲、知ってるか?」とか言って、ヒップホップの知識を競い合ったり(笑)。アメリカのラッパーはキャリアの途中で亡くなってしまう人が少なくないんですが、それを踏まえて"Top five, dead or alive"(生きてる、亡くなってる関係なく、最高の5人は誰か)みたいな議論はしょっちゅうしてましたよ。

――そのあたりのお話はコラムの中にも出てきていましたね。

 いわゆるヒップホップおもしろ話ですね(笑)。箸休め的な感覚で楽しんでもらえれば嬉しいです。僕が住んでいたアトランタはアメリカの南部。ヒップホップ的には“サウス”と言われていて、北部のニューヨークとはかなり違うサウンドなんです。これには、奴隷制が北部で先に廃止されたことが関係していると思っています。南北戦争後、アメリカの北部では法律上は奴隷が廃止されました。もちろん「差別」という目に見えない鎖で縛られてはいましたが。

 一方で、南部の白人は奴隷解放を拒否したんです。その後、南北戦争によってアメリカ全土で奴隷制は廃止されるのですが、それでも南部でアフリカ系が白人と同じ施設を使用することを禁じるジム・クロウ法が作られました。もちろん住む場所にも、明確な人種の境界線がありました。そのため南部では、逆にアフリカ的な文化が色濃く残ったんです。これはブルースにも言えることですが、サウスのヒップホップのリズムにもアフリカのネイティブなリズムの名残がある。No LimitやCash Money(※ともにサウスのヒップホップレーベル)を聴くとそんなふうに感じますね。

ネイション・オブ・イスラームの教団機関紙。他メディアには載ることのない、アフリカ系アメリカ人社会に関する多くのトピックについての記事が掲載されている(著者提供)

――山下さんがアトランタの大学にいた時、デビュー前のT.I.が街角でCDを手売りしてたという話はすごく面白かったです。

 すっごく細い兄ちゃんでね。声かけられたけど、その時はCD買わなかったんですよ。今思えば本当に惜しいことをしました……(笑)。僕が通っていたモアハウス・カレッジは、通りを一本挟むだけでクラック中毒の人が道端で呻いているような場所にあったんですよ。ちょっと行くとプロジェクトもあって。一方では学生も多くいたので、T.I.みたいなストリート出身のラッパーもプロモーションのためにやって来るっていうのはザラにありました。モアハウス・カレッジは黒人大学だったから、白人の居住区に作れなかった、という事情もあったのかも。

秩序の正当性を問う者が悪なのか?

――僕は無宗教なので「信仰」という概念がよくわかりません。海外文学や映画には、教会で赦しを乞うシーンがよく出てきます。また本書を読んでいても「肯定」のメッセージを強く感じました。「信仰」が心にある状態とは、なにがしかの肯定感が得られるものなのでしょうか?

 キリスト教の根幹は聖書ですが、その解釈は教会や牧師によって異なる。「あなたは愛されている!」「誰かに必要とされている!」みたいなことだけを話す教会もあります。僕も多感な中高生が来る礼拝では、明石家さんまさんの座右の銘が「生きてるだけで丸儲け」で、それがIMALUさんの名前の由来になっている、みたいなエピソードと聖書を結びつけて、「肯定」のメッセージを発することもあります。

 だけどそれがすべてではない。神学部の後輩が自分の教会のホームページにこんなことを書いていました。「教会に来ると得るものより失うもののほうが多い」と。教会に来ると、自分が正しいと思っていたことが崩されると言うんです。つまり信仰とはみなが同じものを信じる、ということではないんですね。聖書からの問いかけのなかを生き続けることなんですよ。その中で肯定感を得ることもあれば、逆にわからなくなることもある。

――では「信仰」とは洗礼を受けた瞬間から獲得するものではなく、常に模索し続けるものということですか?

 そうですね。だから信仰がゆらぐことも当然ある。実際僕自身、教会から遠ざかっていた時期もありましたから。僕は高校3年生の時、ホームステイしていたアメリカで洗礼を受けました。きっかけは日本にいたアフリカ系アメリカ人の知人が亡くなったことです。とてもお世話になった人でした。その人はクリスチャンだったので、僕も洗礼を受ければ、その人とつながっていられる、より身近に感じられると思ったからです。

 だけど、その後モアハウス・カレッジに行き、アフリカ系アメリカ人の歴史や文化を研究すると、キリスト教が帝国主義の手先になってアフリカを支配し、現地の人たちのスピリチュアリティを破壊していったという事実がわかってきました。僕は教会に行かなくなった。カレッジを卒業して帰国し、同志社に入ると僕はネーション・オブ・イスラムの研究をしました。だけど僕が在籍していたのは神学科だったので、牧師を目指している人たちもいたんですよ。彼らと話す中で「もう一度教会に行ってみようかな」と思うようになったんです。

――『ヒップホップ・レザレクション』は、山下さん自身の歴史も踏まえた個人的な本でもあるわけですね。

 まさにそうですね。僕はヒップホップの歌詞には、社会の中で弱い立場に置かれている人の視点があると思っています。それは聖書のメッセージにもつながっていくものだと思っています。だから説教でもラッパーの歌詞を引用する。僕は、今後「悪」について考えてみたいと思っています。なぜみんな悪ガキに憧れるのか。それは思うに、悪ガキとはトリックスターだからです。

さまざまな宗教とコミュニティが混在していたウェスト・エンド地区でも、「マルコムXフェスティバル」は非常に友好的な雰囲気だったという(著者提供)

――本の中では「トリックスターは、善と悪や聖と俗といった二項対立で捉えられるものの間を自由に行き来しながら、その境界線を生み出す力関係を暴き出している」と書かれていました。

 学校の構図で言えば、先生は秩序。そこに抵抗する悪ガキはトリックスター。彼らは秩序の正当性を問う存在なんです。逆に言えば、秩序側は正当性を問う者に対して悪のレッテルを貼るのかもしれない。そうなると悪は悪なのか。そういうことをヒップホップから考えてみたいんです。

――面白そうです!

 僕より上の世代の牧師が『ヒップホップ・レザレクション』を読んでくれて、トリックスターの部分が面白いと言ってくれたんですよ。本のなかで文化人類学者の山口昌男を引用しているのですが、その牧師が若い頃に山口らのトリックスター論が流行していたのを思い出したそうです。僕はイエス自身もトリックスターだと思う。なぜなら彼は当時のローマ帝国とそこに癒着したユダヤ人指導者の生み出した社会秩序に挑戦したことで悪とみなされて処刑されている。そして皮肉なことに、そのイエスを発端とするキリスト教は、教会や社会の秩序への疑問を投げかけてくるヒップホップを「悪」とみなしている。でも僕はヒップホップは教会の限界を超えて、イエスの福音を取り戻していると思う。

――日本人にとってキリスト教とヒップホップの関係性はかなりわかりづらいものなので、今回の本は今後の日本のヒップホップにも大きな影響を与えると思いました。

 これは文化の翻訳作業でもあるので、この本が日本語ラップをさらに深く考える軸になってくれれば嬉しいですね。