- A・ブラックウッド他『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』(創元推理文庫)
- H・P・ラヴクラフト『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』(南條竹則編訳、新潮文庫)
- 木内昇『化物蠟燭』(朝日新聞出版)
怪奇幻想文学の魅力に目覚めた中学・高校時代、平井呈一は私にとって、澁澤龍彦と同様に憧れの的であり、心の師だった(中学時代の荒俣宏さんが即、弟子入りを志願した気持ちはよく分かる)。
創元推理文庫版『怪奇小説傑作集1』解説の名調子に魅了され、同書や新人物往来社版〈怪奇幻想の文学〉叢書(そうしょ)に訳載された名訳の数々によって、英米ゴシック/怪奇小説の醍醐味(だいごみ)を教えられた。
このほど刊行された『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』は、右の〈怪奇幻想の文学〉収録作を中心に、近年新刊で読めなくなっていた翻訳13篇(ぺん)に加えて、付録としてこれまたレアな対談や同人誌掲載作、エッセー・書評を満載する至れり尽くせりの内容。平井の起伏多い生涯を端的に跡づけた、紀田順一郎による達意の解説ともども、泰西怪奇文学をこよなく愛した文人翻訳家の本領を窺(うかが)うに足る一巻本選集となっている。
初収録された書評「怪奇文学の魅惑」で、平井は紀田の才人ぶりを評して「それぞれの畑で必らず人のやらない究極のものを摑んで追究する、ひたむきな執念みたいなものを持ちあわせている」と記しているが、これは平井本人にもあてはまる言葉ではなかろうか。
『インスマスの影』は、平井の学統(むしろ芸風と呼ぶべきか!?)を現代に受け継ぐ南條竹則が、ラヴクラフトのクトゥルー神話小説の中から不朽の名作7篇を選(え)りすぐって成ったアンソロジー。
いずれも既訳のある作品だが、南條訳は、佶屈(きっくつ)と評されることも多いクセのある原文を、明晰(めいせき)かつ風格を感じさせる日本語に、よく移し替えている。これからクトゥルー神話の魔界に参入しようとする読者には、最適の一冊といってよいだろう。さるにても、ラヴクラフトが新潮文庫から出る時代になったとは、泉下の乱歩先生や平井翁も、今ごろ一驚しつつ蜂蜜酒(ミード)で乾杯しているのではないか。
平井と南條の翻訳には、洒脱(しゃだつ)な江戸前の語り口という共通点がある。木内昇の怪奇時代小説集『化物蠟燭(ばけものろうそく)』を読んでいて随処(ずいしょ)に感じられたのも、江戸の市井に生きる人々の言葉つきや息づかいを再現しようとする真摯(しんし)な姿勢である。
連作集『よこまち余話』にも顕著に認められた、作者のおばけずき気質――視(み)えない世界の消息を繊細な描写と、考え抜かれた趣向の妙で伝えようとする美質は、本書にも躍如としている。晩夏の夜半、時を忘れて読み耽(ふけ)るのにふさわしい、幽玄な味わいの好著だ。=朝日新聞2019年9月8日掲載