- 凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社)
- 彩瀬まる『森があふれる』(河出書房新社)
- 寺地はるな『わたしの良い子』(中央公論新社)
人はみな、関係性の中で生きている。私たちは誰かの子どもであり、パートナーであり、友人、知人であるのだ。この人間関係は、絶望にも希望にもなり得る。凪良(なぎら)ゆうさんの『流浪の月』を読むと、そのことがよくわかる。
両親から愛されて伸びやかに育った家内更紗(かないさらさ)は、小学生の時に父を亡くし、その後、母親が出奔。伯母の家に引き取られた更紗は、そこで、誰にも言えない秘密を抱えてしまう。
更紗が放課後に友人たちと遊んでいる公園にいつもいて、ロリコンだ、と陰で噂(うわさ)されている青年、佐伯文(さえきふみ)にもまた、人には言えない秘密があった。ある日、いつものように一旦(いったん)は友だちと帰ったあと、一人で公園に戻ってきた更紗に、文は言う。「うちにくる?」と。更紗が、文の家について行き、そしてそのまま、二ケ月間、文と暮らしたことで、巷(ちまた)では大きな事件になってしまう。
互いに秘密を抱えていた更紗と文が、そろそろと心を寄せていく。穏やかに凪(な)いでいた二人の時間に胸をつかれるからこそ、被害者、加害者と烙印(らくいん)を押されてしまう二人がやるせなくてたまらない。やがて、事件から十五年後、更紗は文と再会する――。
更紗と文の関係は、社会的には容認されないものではある。でも、容認されないことは罪なのか。二人にとってはお互いが唯一の存在なのだ。たとえ流浪を強いられたとしても、そこにあるのはまぎれもない安らかな幸福だ。
彩瀬まるさんの『森があふれる』は、自分の妻をモデルにした私小説で有名になった作家と、その妻の関係を描いた物語。夫婦という限定された男女の関係だけではなく、普遍的な男女の搾取、被搾取の関係までをも、鮮やかに浮かび上がらせている。作家の妻が身の裡(うち)から植物を繁茂させたのは、積もり積もった自由への渇望のあらわれかもしれない。彼女が抱えていたその“芽”は、私たちの中にも、きっと、ある。
寺地はるなさんの『わたしの良い子』で描かれているのは、シングルマザーの妹が置き去りにして行った甥(おい)と暮らす31歳の会社員、椿と、その甥・朔(さく)との関係である。いわゆる“ちょっと難しい子”である朔に手を焼きながらも、大人が望む「良い子」の型に朔を押し込めることを良しとしない椿のふんばり、がいい。会社の同僚でもある椿の親友・穂積との、ほどよい距離の関係もぐっとくる。優しくてしなやかな物語。=朝日新聞2019年10月13日掲載