ミュージシャンとして仕事をさせてもらっているので、ツアーなどで全国津々浦々を巡ってきている。それでも、『遠野物語』で有名な岩手県の遠野市を訪れたのはその時が初めてだった。担当するラジオ番組の取材で、東京から新幹線に乗り込み新花巻駅にて下車、レンタカーを借りて遠野市へ一路向かう車窓は、低めの山々の稜線を眺めながらのもので、その麓に点在する町や村をうねりながら抜けていくものだった。それは、僕の故郷の山梨県、南アルプスなどの峻厳な山々に四方を囲まれた盆地から眺めるものとはだいぶ違って見えたのだ。
取材が決まる前は『遠野物語』の著者である柳田国男について、その名前と民俗学を拓いた人であるくらいを知るだけで、作品自体は読んでいなかった。良い機会だと思って『遠野物語』を買って事前に読むことにした。専門的なことはわからないが、民俗学というものは、日本のルーツを辿り、我々が何者であるかを問うものだと理解している。歴史学であれば、きちんと残された史料や文献をもとにして研究し、論理的に一つの見方を提示するものだろう。民族学はそうしたある意味では史料や文献などからこぼれおちてしまっている伝承や民話を真剣に取り上げて、論理的には繋ぐことのできないものたちの点と点をつないで、それをさらに点線で提示していくようなやり方に感じている。物事にこのようなアプローチがあるということ自体が僕にとって新鮮な驚きであった。
遠野市では、いまも民話の語り部たちがいて、外から来たものたちにそれを語ってくれる。今回は、僕は「座敷童」などの代表的な話をいくつかきいた。
旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。おりおり人に姿を見することあり。・・・或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に遭えり。・・・お前たちどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮らせる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、その女も年老いて子なく、近きころ病みて失せたり・・・。
(『遠野物語』岩波文庫、24~25ページ)
座敷童が出ていってしまえば、その家運は傾き不幸に見舞われるともいわれている。この話では、孫左衛門という豪農の家から、二人の座敷童が出ていくところをある男が目撃してしまい、その後、孫左衛門一家は悲惨な目にあったことが書かれている。だが、このようになったその理由がつぎのように語られている。
この凶変の前にはいろいろの前兆ありき。男ども苅置きたる秣を出すとて三ツ歯の鍬にて掻きまわせしに、大なる蛇を見出したり。これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したりしに、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめき出でたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。
(『遠野物語』岩波文庫、26ページ)
語り部の方は、このお話を遠野の方言で語ってくれた。慣れない独特の方言とイントネーションに多少戸惑いながらも、目をつぶってじっと耳を傾けていた。だが、次第に慣れてくると標準語にはない趣が出て来て、不思議と来るときに車窓としてみた遠野の山や川、そして空気ですら僕に迫ってくるような感じを受けた。そして、その語り部の口調は、いつしか座敷童という存在が本当に間近にいるかのように、意味を超えた説得力をもってきており、物語にぐっと引き付けられている自分に気付いた。
この話を聞き終えた後、僕なりに少し考えたことは、人間には越えてはいけない一線があり、踏み込んではいけない境界線があって、その線を守って生きる倫理観のようなものをこうした話は語っているということだった。その一つは、人は生きていくために、誰かの「殺生」によって食べさせられているが、面白半分の「殺生」はバランスや秩序を壊し、その報いを受けるということなのかもしれない。
語り部によると、その昔は、こうした話を子供の頃にさんざん聞かされるとのことだが、それは、それぞれの家のおじいさんやおばあさんが話すことがほとんどだったという。子供のお父さんお母さんは働きに出ているから、自然、そうした役回りになったとのことだった。こうした積み重ねが町や村といった共同体で生きていくために必要な倫理観を物語とともに自然と伝承させていくのだろう。
この座敷童の話などは、決して明るい話ではなく、むしろ、怖い話になる。ただ、こうしたこの世ならざる者たちが出てくる怖い話こそが、子供たちに強烈なインパクトを残すし、何をしてはいけないかを刷り込ませる機能を担ったのだと思うのだ。ふと、僕が子供の頃よくみていた「まんが日本昔ばなし」のことを思い出した。いま一生懸命に思い出そうとして、面白かった話やハッピーエンドの話は具体的にほとんど浮かばないが、恐ろしかった話やそのシーンはいまでも鮮明に思い出す。案外、そんなところでつくられた倫理観が人の根っこになるのかもしれない。
なお、語り部はどの話でも最後はかならず「どんとはれ!」といって終わるのが共通項となっている。これを標準語に直訳すると「どんどん祓え」を意味するのだ。この世ならざる者が出てくる話では、子供は現実と非現実の境界線が曖昧だからこそ、ぐっと引き込まれてしまいそうになる。だから、必ず話の終わりには、「どんとはれ!」といって、現実と日常に戻して終わらせることをしなければならないと語り部はいっていた。しっかりと教訓を教えながらも、きちんと日常への安全弁を用意している古人の知恵に敬服した。僕の遠野の旅路は大変思い出深いものになった。