ドーナツの穴
短歌教室ではドーナツに例えて「一番言いたい真ん中の部分を敢えて書かず空洞にして、その周りを詠うことで読者にその空洞部分を想像させましょう。読者の心を惹きつける技法の一つです。」と伝えることがある。
複雑なせつなさをおぼえる言葉、婚活。
その周辺(お見合いパーティーに行くなど)はなんとなくわかるけれど、中心部(実情)は挑んだことがある者にしかわからない。
ドーナツでいえば、まん中の穴の部分だ。
その穴の中には結婚への憧れや夢、理想……からの現実、苦しみ、悔しみ、ときに偽りなど、矛盾する感情が複雑に絡まり合いながら蠢いている。 (うごめくって春かんむりに虫二匹って書くのか。すごい漢字だ。 )
食べてみたい(知りたい)けれど空洞になっている(見えない)。その穴を最高においしく埋めてくれたマンガが、御手洗直子先生の『31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる』だ。
先生ご自身も前書きで「よもやここまで自分のロクでもないアレコレが世間様のもとに晒されるという事態になって(略)」と書いてらっしゃるが、真面目な女性が真面目に取り組んだ婚活の実情がつまびらかに描かれており、その洗練されたセリフ回し、的確なツッコミに終始爆笑して一気読みしてしまった。
一つ一つのエピソードがうまみたっぷり濃いめの味つけで、ドーナツをむさぼる手が止まらない。
今回はそのなかでも特に印象深いエピソードを紹介していこう。
婚活サイトで先生がつけた自身のハンドルネーム、“蒲焼きさん太郎”。婚活相手から送られてくるメールには当然ながら“さん”がつく。
「蒲焼きさん太郎さんのプロフィールを見てぜひ蒲焼きさん太郎さんとメールからお話ができればと(略)」
・・・
リフレインされることで増す違和感、からの爆笑。この感情の波が、蒲焼きさん太郎というハンドルネームを鮮やかに際立たせている。
対して、手練れの女子はmilk2009やfuwafuwa222などと名づけている。ハンドルネームってこういう風につけるとモテるのか!という衝撃からの感心。
本作には翻訳ソフトを使って(?)送られてきた外国の方の(外国人)のメールには、“肉”というワードが出てくる場面がある。
肉汁仕事、in、内気、
・・・
体力仕事に従事してるけど心はナイーブなんです(アンドレア(41歳・チリ))って言いたいのか…?
わかるようでわからない微妙な線がたまらない。
おゆください
みずください
って原文が気になって仕方ないよ。
動詞がポジティブで、そこはかとない好意を漂わせている、イヴリン(34歳・シンガポール)のメール。
肉を実行し作動しています。
・・・
気になる女性へのメッセージで肉がでてきているのは偶然ではない気がする。翻訳サイトがイヴリンの欲望を直訳したのではないか。
思いが塊となったときの存在感のでかさ、肉。
年収一千万男子は肉のランクを上げてほしいとき「肉上げてください。」っていうのか…!
冒頭で述べたように、短歌教室ではドーナツに例えて「一番言いたい真ん中の部分を敢えて書かず空洞にして、その周りを詠うことで読者にその空洞部分を想像させましょう。読者の心を惹きつける技法の一つです。」と伝えることがある。
ドーナツ技法を使った短歌とは?
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ここで問題。
a.とb.どちらの短歌が心にグッときますか?
- a. 向こうから聞こえる花火はうるさくて それでも思うやまないように
- b. 向こうからうるさいぐらい音がする それでも思うやまないように
a.は“花火”と答えをいってしまったことで、読者に「うるさいって、何がうるさいのかな?」と想像する余地がなくなっている。作者に答えをいわれてしまうと、読者の感情はそこで停止してしまいます。
b.は天神祭献詠短歌大賞に投稿されてきた、野中美奈さんの短歌。“花火”という一番伝えたい言葉をあえて書かないことで、読む人の脳裏に大きな花火が打ち上がります。
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「肉上げてください。」の空洞部分は、ランク。
肉にランクがあること自体知らなかったよ。これぞ究極のドーナツ技法なんじゃないか?一般庶民は一生使うことのないセリフだ。
誰のことも傷つけず笑いに変える抜群のセンス。どんなに悲惨な男性に会ってもすべてはマンガのネタだ、割り切り作品に昇華する不屈の精神。
普段なかなか覗くことができない婚活の実情を我々はむしゃむしゃ頬張ることができる。これほどの贅沢があるだろうか。
肉声を絞りだして描かれた『31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる』は、何個でも食べたくなる、最高においしいドーナツだ。
(2個目が食べたくなったら、先生の旦那さんの婚活バージョン『31歳ゲームプログラマーが婚活するとこうなる』もおススメします。こちらもかなりおいしいよ。)
今回の短歌は結婚された後、ドーナツを食べるときの先生の心境を詠んでみました。
ドーナツの穴を覗いてみればあの「肉上げてください」は遥かなわたし