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高価なものじゃないけれど 津村記久子

 今日はスーパーに行って、どのスティックコーヒーを買うかについて売場(うりば)で十分ぐらい悩んだ。正確な値段は伏せるけれども、十本入り二二〇円の商品にするか、三十本入り四八〇円の商品にするか、というのがその主な内容で、結局十本入りの方を買って帰った。十本入りは一杯二十二円、三十本入りは一杯十六円で、その価格差は歴然としているのだが、三十本も飲めるだろうか? と考え始めたらきりがなかった。今から五か月前である六月にもまったく同じことで悩んでいたのを携帯のメモ帳で発見して情けなかった。その時も十本入りの方を買っている。また五か月後に悩むと思う。

 自宅では五か月に十杯しか飲まないということでお察しかと思うのだけど、わたしはあまりコーヒーを飲まない。嫌いなのではなく、カフェインの含有量が自分の生活パターンに合わせにくいからだ。一日におおむね八時間起きて四時間寝るのを二回繰り返す、という生活をしているのだが、コーヒーを飲む時間によってはうまく眠れなくなる。なので休みの日に外出している時にしか飲まない。普段は紅茶を飲んでいる。カフェインの量が自分の生活に良い按配(あんばい)で、淹(い)れるのが簡単だからだ。紅茶のことでは悩まない。でもたまにものすごくコーヒーが飲みたくなるし、ドラマで観(み)るサーバーが職場にあって好きな時に飲んでいる様子に憧れている。わたしがあれをしたら眠れなくなって仕事にならない。

 同様に値段の距離以上に按配の距離があるものに「カフェのサンドイッチ」がある。カフェに入るのは大抵食事した後だから甘いものを注文してしまうし、一食にもならないのでまったく食べない。憧れると思ったまま十五年ぐらい暮らしている。なのでカフェでコーヒーを飲みながらサンドイッチを食べたらいとも簡単に憧れは達成されるのだが、いざその機会になると、あああこれでは後でおなかがすく、と牛丼屋に入ってしまうことは目に見えている。憧れの敵は自分自身だ。=朝日新聞2019年11月20日掲載