旅宿で思いがけない本と出会うことがままある。宿泊客の誰かが置いていった本かもしれないし、オーナーが気を利かせて揃えた本かもしれないが、旅宿に本棚があれば、それらを眺める癖がついている。
ミャンマーのパガンという街の宿には、三島由紀夫の『春の雪』があったし、あれは確かポルトガルのポルトの宿だったと思うが、さくらももこの『ももこのトンデモ大冒険』を見かけたこともあった。「え、なんでこの一冊?」と疑問に思う部分もあるのだが、その本の背景やかつての持ち主に思いを馳せるのは、とても楽しい。「この場所で以前誰かに読まれた本」もしくは「この場所のために誰かが選んだ本」というのは、普通の古本とはまた違う味わいがある気がする。
それから、地元で愛される書店があると聞けば、積極的に足を運ぶ。東京ではなかなか見られない、郷土本やローカル雑誌が並んでいることが多いからだ。たとえ海外であっても、書店を見つければ、ついつい吸い込まれてしまう。大して語学はできないので、外国語の本を買うことは稀だが、書店に行けばその国々の文化の一端を見られる気がする。まぁ単純に本が好きということもあるのだけれど、やはり旅先で出会う本は、どこか特別な感じがする。
先月、伊豆半島の東側にある伊東に行った。温泉に入ってのんびりするというのが主目的だったが、標高580メートルの大室山に登り、噴火口跡を周遊するお鉢めぐりをしたりもした。晴れていたので、頂上からは海も山も見通せて、気持ちが良かった。
その伊東の宿に、小さな本棚があった。そこで勝呂弘の『伊豆の文学』(長倉書店)という本と出会った。初版は1988年4月。31歳となった私よりも7ヶ月早く生まれた本で、伊豆半島の市町村ごとにゆかりのある人物や文学作品を紹介している約400ページの本である。
伊豆と近代文学との関係であるが、昭和六年川端康成が「伊豆序説」に「伊豆は詩の国であると世の人はいう。」と謳いあげているようにそのかかわりは極めて深い。また「伊豆は近代文学の宝庫である。」という学者すらあるほどで、この地を舞台や背景とした作品の数は際限なく多い。(2ページ)
伊東の章では、伊東出身の詩人・木下杢太郎(1885-1945)の作品が紹介されていた。
伊東は小生の生れた所で、もし大地に乳房といふものがあるとしたら、小生に取ってはまさにそれです。いふべきことは余りに多く、さりとていまそれを書いてゐるひまも有りません。唯だその景色のことだけいふと、冬が一番美しいと思ひます。雑木山がまつかに燃え、海面は鮮碧、まことにルノワアルの油絵のやうに華美で且つ温純です。(55ページ)
また、歌人・穂積忠(1901-1954)の歌碑の紹介もあった(大室山に行くと歌碑を見られる)。
大室山に落暉の余光しづむとき胸ふかく返るもののひそけき(65ページ)
おそらく、東京の古本屋や図書館で見かけたとしても、手にはとっていなかったであろう本に、こうして出会うことができた。そこに書かれた言葉たちを読んで、知って、その地の違った顔が見えて。これだから、旅先で見つける本は面白い。