データの裏にある真実を読み解くことの大切さ
私は研究畑出身で、『イノベーションのジレンマ』は研究所長をしていた15年ほど前に読みました。既存ビジネスで成功している企業が、ディスラプター(業界の常識にとらわれない革新的なアイデアで急成長する新興企業)の出現にうまく対応できない原因や、ディスラプターになれない要因を解説しています。当時の私に刺さったのは、行き過ぎた性能追求が市場からの乖離を招くという指摘です。研究者や技術者が陥りがちなことであり、身につまされました。今も読み返しています。ディスラプターの出現はいつでも起こりうること。いかに対応できるか、いかに当事者になれるかが、経営の重要なテーマだからです。著者は、新規事業の規模が主流組織の成長需要に対して小さい場合は〝スピンアウト組織〟が必要だと書いています。しかし当社は、同じ組織内で既存事業の拡張と新規事業の開拓を併存させたいとの考えです。この点では、『両利きの経営』(東洋経済新報社)に多くの示唆がありました。濱逸夫会長とは、役割分担をしようと話しています。新規事業の開拓を濱が担い、既存事業の拡張を私が担うというもので、二人三脚でチャレンジを始めています。
私が大学に入る前に通った予備校には教養のある先生が多く、最後の授業で各先生が生徒に言葉を贈るのが恒例になっていました。この際に「社会に出たらデータの洪水に埋もれる。データが本当に正しいか判断する目を持ちなさい」と語った数学の先生がいました。当時はぼんやりと受け止めましたが、『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』は、まさに先生が語られたことを指摘していました。人もメディアも悲観的な世界の見方をしがちなのは、ドラマチックな物語を求める本能ゆえで、本能を抑えてデータの裏にある真実を読み解かなければならない、と。また、貧困、教育、保健、ジェンダー、環境といった社会課題についてのクイズを様々な国で実施したところ、知識層でも軒並み正解率が低かった、ということも書かれています。思い込みで物事を判断することの危うさについて考えさせられました。日本の教育に統計学を組み込んで、高校生くらいから学ばせるといいのでは、という感想も持ちました。
「自分が〜だったら」と想像して読むと楽しい
『シリカと私』は、入社5年目ぐらいの頃に先輩の紹介で読みました。シリカというのは産業界で用途の多い無機化合物で、工業製品を始め、化粧品や医薬品にも含まれています。私は当時シリカを扱っていて、制汗剤にシリカを活用する研究をしていました。本書は、デュポン社で商品化につながる成分を開発しているシリカ研究者の日々の記録です。記されているのは、ノーベル賞級の研究でも大発見でもありません。けれど、好奇心のまま研究に没頭する楽しさや、見当違いや失敗を経て小さな発見をした喜びなどが伝わってくる。自分の境遇と近いこともあって、とても共感しました。
私にとって読書の楽しみの一つは、いろいろな分野の本を乱読して別の人生を追体験すること。昆虫学者になった自分を想像しながら読んだのは、徹底的な観察と生物への理解が詰まった『ファーブル昆虫記』。内容を抜粋した児童書が有名ですが、原書は学術的な価値を持つ大作。ダーウィンに対する批判めいたコメントなど、学者の矜持も感じられておもしろかったです。何より文章がすばらしく、ファーブルの昆虫愛が文字からほとばしり出ている。こういう人がいるから科学の進歩があるのだとつくづく思いました。
私は中学生の頃から鉱物収集が趣味で、また山歩きも好きだったので、自然観察や博物学に親しんできました。高校では考古学や古生物学に興味を持ち、特に好きだったカンブリア紀の化石の本や生物図鑑は今でもたまに眺めます。そうした趣味の延長で、地球物理学者・ヴェーゲナーの名著『大陸と海洋の起源』を読みました。ヴェーゲナーは、世界地図を見て南アメリカ大陸の東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていることから大陸移動説を思いつきました。大陸の移動は今では定説ですが、100年前の当時は荒唐無稽といわれたそうです。本書は、測地学、地球物理学、地質学、古生物学、生物学など様々な角度から説の立証を試みており、読みごたえがありました。
小説もよく読みます。心に残っているのは、バルザックの作品群。バルザックの魅力は、『ゴリオ爺さん』では貧乏学生だった青年が、別の作品では伯爵に出世しているなど、人物の再登場が楽しめること。「あいつも頑張ったんだな」などと知り合いのような感覚で読めるので、若いころに愛読していました。(談)
掬川正純さんの経営論
ライオンは「次世代ヘルスケアのリーディングカンパニーへ」という経営ビジョンのもと、「新価値創造による事業の拡張・進化」「グローカライゼーションによる海外事業の成長加速」「事業構造改革による経営基盤の強化」「変革に向けたダイナミズムの創出」という4つの基本戦略を推進しています。
人々の心と身体のヘルスケアを実現
ライオンは2018年、2030年に向けた新経営ビジョン「次世代ヘルスケアのリーディングカンパニーへ」と、その実現に向けた新中期経営計画を策定した。外部環境の変化をふまえ、将来に向けた変革を加速させるという決意表明だ。
「健康寿命の延伸はもとより、人々の生活習慣を楽しく前向きなものへと“リ・デザイン”することで、心と身体のヘルスケアを実現する。そんな思いを込めた経営ビジョンです。歯みがきを通して親子の触れ合いが増える楽しさや、口臭を気にせず話せる喜びなど、“義務”を超えたヘルスケアの価値を示していきたい」と語る掬川正純社長。企業が果たすべき社会課題としてはSDGsへの貢献を挙げる。
「当社は製品の組成開発において高い環境意識を維持してきました。近年はプラスチックごみの低減を目指した容器の開発なども進めています。何よりも心身両面のヘルスケアに寄与する企業活動そのものがSDGsへの貢献と考えています」
「越境事業推進室」を新設
目指す企業像は「日本生まれ、アジア育ちの世界企業」。昨年3月には「越境事業推進室」を新設。各部署に分散していた越境事業を社長直下の専任部門に結集させることで、事業のスピード感や統一感を高めるねらいだ。グローバルイメージを醸成しつつ、国・地域の事情に合わせていく「グローカライゼーション」による海外事業の成長加速も目指す。
「例えば、当社は歯科医院と連携して予防歯科運動を長く行っています。これを海外で展開する場合、歯科医院の数や歯科医にかかる頻度は国ごとに違い、日本と同じようにはいきません。アイケアにしても、日本における目薬の市場は800億円規模ですが、アジア地域でこれだけの市場規模を持つ国は他にありません。清潔衛生習慣の啓発活動を通じて商品だけでなく生活習慣も合わせて輸出し、中国、マレーシア、タイなどアジア全域で裾野を広げていきたいと考えています」
越境需要を支えるメイド・イン・ジャパン商品の生産体制の強化も図る。昨年4月には兵庫・明石で洗口液の新工場がスタート。2018年11月にハブラシの生産を開始した香川・坂出工場には400億円規模の投資をしてハミガキ工場を新設、2021年に稼働を予定している。さらに昨年4月、新事業創出プログラム「NOIL」を始動。「ヘルスケアの常識を破る事業」をテーマに従業員からアイデアを募集し、採用された案の提案者がリーダーとなってプロジェクトをけん引、外部会社の協力も得て具現化を目指す試みだ。
「私自身、若い頃に小さなプロジェクトを任され、技術開発から製品化までのあらゆる工程に携わりました。原価計算、工場の労務管理、試験生産の設備の組み立て、電気配線までやり、おかげで経験値の幅が一気に広がりました。今度は経営者として社員が挑戦する機会を作っていきたい。竃の薪を扇ぐように、社内にいい風を送って社員の情熱の火を大きくすることが、自分の役割だと思っています」