僕は男性誌女性誌とわず漫画を読みます。その違いをざっくばらんにいえば情感の女性漫画とディテールの積み重ねの男性漫画。それは少年、少女の頃から変わりません。僕が惹かれる女性漫画は人と人の関係性、そしてその人物を丹念に描いているものが多いです。今回ぜひお薦めしたいのは「坂道のアポロン」。女性向け漫画雑誌で連載され、アニメ・映画になった名作です。
舞台は1960年代、長崎・佐世保。登場するのは、高1の初夏、父親の仕事の都合で神奈川から転入した秀才・薫、札付きの不良だけれど明るく豪快な千太郎、そして、千太郎の幼なじみで面倒見の良い、レコード店の娘・律子。薫は千太郎と出会ってジャズを知り、勉強漬けだった高校生活は一変します。ピアノ弾きの薫、ドラムを担う千太郎は互いに、自らの胸の中に悩み、傷を抱えながら、ときにぶつかり合い、ときに支え合いながら共に歩んでいきます。3人を中心に描かれる物語のエッセンスは情熱、嫉妬、挫折、そして恋。当時の男女の距離感にどこか郷愁を覚えつつ、昔も今も変わらない大切なものがきっちり描かれ、胸の中に深い余韻を残します。大人への坂道を駆け上がる世代特有の、あの不器用さと勢い。でも、みんな優しくて、強(したた)かで。彼ら一人ひとりのしなやかな生きざまがとても眩しいです。
そして、この作品のもう一つの魅力はセッションシーンです。演奏者同士の駆け引きや緊張感、開放感がたまりません。千太郎が舞台に立った文化祭で、ある「事件」が起こるのですが、そこからの展開はじつに痛快。物語、感情、そして音楽が絡み合って突き進む疾走感が心地良い。じつは僕自身、高校時代に地元・横浜のジャズバー「ミントンハウス」に通い、ジャズの世界の扉を開きました。名物マスター・おいどんに教え込まれ、ニーナ・シモン、シーラ・ジョーダン、そして「20世紀で最も素晴らしい声」と称されたサラ・ヴォーンに出会いました。特にサラの「コパカバーナ」は秀逸です。ジャズとボサノバを融合した「ジャズボッサ」に憧れて、勢いでギターまで買い、ボサノバの名手ギタリスト・伊藤ゴローさんに教わってはみたものの、左手の運指もですが、何よりも右手が難しい! コードも旋律も、僕には超絶技巧の世界です。
ビル・エヴァンス、コルトレーン、そしてこの物語の核となっているアート・ブレイキーの「Moanin’」。物語の中に登場する往年のナンバーは、どれも僕が青春時代に聴いてきた音楽です。詳しくは読んでのお楽しみですが、登場人物の想いが音楽と共に紡がれている素敵なシーンがたくさんあります。その曲を知っていると、読んでいるコマからBGMが流れてきます。
言葉は無くとも互いの音に共鳴し、呼応する。セッションをするように、薫と千太郎は、かけがえのない友情を育んでいく。その姿がじつに眩しくて、清々しい。僕は元来、「コイツは俺と親友なんだ」… …そんなふうにやすやすと言えないです。「親友はいますか?」などと聞かれること自体、抵抗を覚えてしまいます。それは言葉にしないで、自分の胸の中で持っておけばいい。僕が最近思うのは、たとえケンカ別れしても、友情は永遠だということです。「片思い」ならぬ「片友情」、つまり片方が思い続ける限り、友情は続く。思いが、いつかケンカした相手の心を溶かすかも知れない。薫と千太郎もそんなふうに、ときに感情をぶつけ合いながらも、互いが互いを一番に思っている。そして「俺のことはあいつが一番よく分かっている」と言い切るのです。そんなふうに言い切れる友がいるというのは、本当に幸せなこと。そう僕は思います。
読み進めているうちに印象に残ったのは、描かれる人物の瞳に、少女漫画にありがちな「星」が1つもない、ということ。彼らは皆、漆黒の無機質な瞳をしています。でも、キラキラと飾られた瞳なんかより、よっぽど「生きている」。この例えが適当では無いかもしれませんが、たとえば仏像や能面を眺め続けていると、ふと精気を感じるような瞬間があります。無機質な中から強烈な「生」が浮かび上がってくるのです。シリアスな場面は特にそう。その漆黒の瞳から涙が唐突に流れたりすると、まるで彼らの心の痛みがそのまま自分に突き刺さったような、強い動揺と衝撃を覚えるのです。彼らは共に喜び、傷つき、ぶつかり合いながら歩んでいきます。そして大人の階段を一段一段上るたびに互いの道は離れてゆき、それぞれ一人で歩むことになります。彼らは振り向かずに人生の坂道を駆け上がっていくのです。その頂から見える景色はどんな景色なのか。ぜひご自身の目で確かめてください。
頂の風景を目にしたなら、ぜひ「違国日記」(ヤマシタトモコ)も手に取って。不器用な35歳の小説家と、彼女の亡き姉の遺児の女子中学生が同居する物語です。ヤマシタさんも人間に敬意を払い、人間同士の間にあるものを丹念に描くかた。必読です。(構成・加賀直樹)