平田オリザが読む
私は哲学を志して大学に入ったのだが、語学が苦手なこともあり、少し日和(ひよ)って近代日本社会思想史という分野を専攻した。卒業論文の対象は中江兆民。卒論の表題は『日本ニ哲学ナシ』という青臭いもので、これも兆民の最晩年の著作『一年有半』の一節からとっている。
中江兆民は余命一年半と宣告されてから随筆集『一年有半』を書き(一九○一年)、さらに「わが日本古(いにしえ)より今に至るまで哲学なし」と喝破して、本邦初の本格的な哲学書(となるはずの)『続一年有半』に挑んだ。だが残念ながら『続一年有半』は、中江自身が希求したほどの学問としての厳密性からはほど遠く、一部破綻(はたん)さえしている。余命幾ばくもない兆民に、それだけの仕事を期待するのは無理だったのかもしれない。
一方、一八八七年(明治二○年)に書かれた『三酔人経綸(けいりん)問答』の生き生きとした筆致はどうだ。当時の政治思想の迷走が、そのまま、滋味あふれる豊かな日本語で綴(つづ)られている。
『三酔人経綸問答』は題名の通り、三人の酔っぱらいが国家を論じる体裁で進んでいく。国権主義を代表し海外進出を主張する豪傑君。理想論的な民主主義論、非戦論を唱える洋学紳士。そしてそれを、現実的に調停しようと試みる南海先生。
いずれにも兆民の姿が遍在し、その苦悩が対話の端々に窺(うかが)える。明治の文学青年たちが、内面だ言文一致だと右往左往していた頃に、政治の世界でこれだけの文学性を持つ作品が生まれていたことは驚嘆に値する。
中江兆民は土佐・高知の産。若くしてフランス語を学ぶ。ルソーの『社会契約論』の漢文訳『民約訳解』を刊行するなどして名をなし「東洋のルソー」とも呼ばれた。坂本龍馬から幸徳秋水に連なる、高知の大(おお)らかなリベラリストたちの系譜の中核に位置する。
兆民が、政治ではなく文学を志していれば、日本文学は別の発展の仕方をしていたかもしれないと考えるのは妄想に過ぎるだろうか。=朝日新聞2020年2月15日掲載