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幡野広志さん「なんで僕に聞くんだろう。」インタビュー がんを患った写真家が他人の人生相談に向き合う理由

文:吉野太一郎 写真:幡野広志さん(提供)

なるべく言葉を残そうと思った

――体調の方はいかがですか?

 投薬治療のおかげで体調はわりといいんですが、感染症にとても弱いので、インフルエンザや新型コロナといったウィルスで一気に悪化してしまうこともある。心配しながら暮らしています。

――前書きの部分で「なぜか自分に人生相談が舞い込む」ようになって、「ある理由から全部答えることにした」とあります。ある理由って何ですか?

 ウェブ上で残したものって、割とずっと残る。すると、今は3歳半の僕の子どもが将来見ると思ったんです。

 小さい子どもがいて、がんになると、子どもの養育のためにお金を残そうとする方が多いんですよ。でも、がん遺児にたくさん会ったけど、お金は保険金や支援制度もあるから何とかならないわけではない。それよりも圧倒的に「親の言葉が欲しかった」とみんな言うんですよね。

 だから言葉をなるべく残そうと思ったんです。相談も、こどもから相談されたと思って答えています。答えることで、僕がどういう人だったかもわかるだろうし。

僕の弱さを感じて相談するのかも

――『なんで僕に聞くんだろう。』というタイトルが非常に刺激的ですが、なぜ世の中の人は、幡野さんに質問してくるんだと思いますか?

 たとえば女性同士で、彼氏の浮気みたいな悩みを打ち明けるじゃないですか。その時「わかる、私も」みたいに、急に自分の話をする人っていますよね。僕が病気のことを打ち明けたから、私も不幸を告白する…みたいなことだと思うんですよ。

 いちばん最初は、相談というよりも「過去に犯罪しちゃったんです」とか「今、指名手配中なんです」とか、大企業の役員の方が「大きな病気なんです」といった深刻なことを伝えてくる方が多かったですね。僕が墓場まで話を持って行ってくれると思って、人には言えないような話をしてたんじゃないかな。

 そういう人たちは、相談をしているようで実は、自分の話を聞いて欲しかったんじゃないかなって思います。今は少し僕の認知度が上がったので、「聞いてもらいたい」って言う人が多いかもしれないけど。

――周りの人には言えないことだったんでしょうね

 たぶんそうだと思いますよ。僕がもし超健康体で、仕事も順調で妻も子どももいて、幸せの代表選手みたいな人間だったら、誰も相談してこないでしょ。

――こう言うとなんだか失礼だけど、「不幸比べ」みたいなことだったのかも

 たぶんそれだと思うんです。根本的には、僕の弱さみたいなものを感じて相談してきてるんだと考察はするんですけど。

自殺、不倫、売春…いさめるのは簡単だけど

――自殺とか不倫とか売春とか、世の中でいけないとされているものを、頭ごなしに否定せずに、いったん受け止めた上で答えていますね。どうしてですか?

 多くのがん患者さん同様、僕自身も病気になったときに、自殺しようと思ったんですよ。一番つらかったのは「死んじゃだめだよ」って言われること。でも、言いがちですよね。じゃあなぜ「死んじゃだめだ」って言うのか。要は保身なんだと思います。相手のことを思ってるわけじゃなくて、今死なれたら困っちゃうとか、自分が最期の引き金を引いたきっかけになっちゃいけないとか。

 売春も「やめなさい」と言うのは簡単だけど、ではどうやって生計を成り立たせるか、その後どうするかってことを一緒に考えられないんだったら、本人のためにはならないし、やっぱり僕は言わない方がいいと思うんですよね。言って叩いていれば気持ち良いんでしょうけど、意味がない。

 「自殺したい」と相談してきた人は、去年11月に岡山で講演会をやった時に訪ねて来てくれました。「おかげさまで生きてます」って言われて、いろいろ考えさせられましたね。死にたいという人の気持ちを大事にして、「死んだっていいんですよ」ぐらいのことを言っていたほうが、結果として死を選ばないんだなと正直思いました。

――相手の文章に潜む大小の嘘をいろいろ見抜いていますね。「水商売の人を好きになってしまいました」という1行だけの相談から、いろんなことを推測し、「息子が不登校」という相談にも「きれいごと言ってるけど自分の心配ばかり」と、かなり厳しく突っ込んでいます。

 特に若いうちに病気になるとね、きれいごとの波に襲われるんですよ。「病気は必ず治る」とか。そういうのって、一瞬で見抜けるわけです。意味のなさにも気づくし。結局、僕のためじゃなくて、その人が気持ちよくなりたいから言ってるだけなんです。なかなか人間が見えるようにはなりますね。

べったり寄り添っても意味はない

――最近流行った『君たちはどう生きるか』も、おじさんがいろいろ言っているようで「最後は自分で考えることだよ」と突き放していますけど、幡野さんの回答も、結構突き放してるなと思いました。

 そうですね。べったり寄り添ってもあんまり意味はないと思うんです。質問する人は「どうすればいいですか」と、正解を求めてしまう。失敗したくないという思いなんでしょうけど、自分のことしか考えられない状況に陥っているので、答える人はなるべく広い視野で見た方がいいと思うんです。

 それに僕はあまり「こうしなさい」みたいなことは言いたくない。僕の息子が10年後に読むとしたら、絶対に古くなってますから、その価値観で判断されるのも困っちゃうし。

――なるほど。人生相談してくる人って、諭してもらいたい人なのかなと思いましたが

 説教してもらいたい人もいます。相談文に「ずばっと切って下さい」と書いてきたり。でも子育てでも、説教して効果的だったことは一度もないですね。肯定してほめてあげた方が、はるかに子どもも伸びていくし。

――ご自身で心に刺さった質問というのはあります?

 そうだな、本には出していないんですけど、幼い頃に親の過失で重傷を負った人からの相談があったんですが、その相談のことは、今も考えるんです。哲学のように答えがない問題ですけど、この人にとってどうすることが正しいんだろうかって。

 あとは「一人旅したいけど親から心配される」という女子高生のメール。僕の写真展の最終日に、地方から高速バスを使って来てくれたんですよ。答えた人が直接お礼を言いに来てくれるのは、嬉しかったですね。

――持ち込まれる質問は重いものも多いですが、一つ一つの人生に向き合っていると、疲れたり体調が悪くなったりしませんか?

 多分、文字上のやり取りなので、大丈夫。会って話したらちょっと耐えられない。なるべくなら会って聞きたくはないっていうのはあるかな。

断罪するだけじゃなく、いろんな側面から見たい

――でも結構、会ってお話をされていらっしゃるみたいですね

 辛い人生をずっと聞かされるのはつらいけど、全然違う世界の人と話すのは面白いですね。このあいだも刑務所から出所したばかりの人に「会いたい」と言われて、お話を聞きました。世の中のいろんなことが見えていたつもりでも、全然違う世界の人と話すと、いかに自分が井の中の蛙だったのかということかよく分かります。

 僕は7、8年前、裁判の傍聴が好きだったんですよ。社会的に明らかにとんでもねえ奴だなって思う被告でも、裁判を通して聞いてみると、「大変な人生だったんだな」って思うことがあるんですよ。断罪するだけじゃなくて、いろんな側面で見たほうがいいと思えたんですよね。

――新聞でも雑誌でもウェブでも人生相談コーナーが流行っています。幡野さんの本も発売直後で増刷し、発行部数3万部と好調です。やっぱりみんな人の悩みを読みたいんでしょうか

 僕に相談が来ることも不思議だったけど、今は何十万、何百万という人がウェブで読んでるわけです。なんでみんなそんなに他人の相談を読みたいんだろう。それが不思議ですね。

 自分の相談内容に対する感想も、ネット上にたくさん出てますけど、僕がその人の相談に答えたのにも関わらず、相談内容が少し似ているだけで自分と重ねてしまって、怒り出す人もいるんです。相談者に説教を始める人もいる。人生相談って、相談者も、答える側も、読んでいる人も、その人柄をあぶり出してしまうんだなとよく思いますよ。

否定するより、根拠なく肯定した方がいい

――父親って、男の子に自分の背中を見せたい部分もあると思うんですけど、将来、お子さんが、幡野さんの文章を読んでどんなことを感じてほしいと思いますか?

 散々、いろんな所で「好きに生きてください」って書いているし、「こうすべきだ」みたいにはなるべく答えていないので、自分の人生に必要なものがあれば、くみ取ってくれれば。「うちのお父さんに相談したら何て答えるかな」と推測して、自分で悩んだ時に脳内で僕に相談して、勝手に背中を押してもらったと思ってくれればそれでいいのかなと思います。

 子どもは結局、自分の思った通りには育たない。だったら背中を押した方が得でしょう。こどもが将来の夢を語ったとき、「あなたには無理よ」と言いがちです。たとえばクリエイティブ系の仕事って、宝くじ売り場に並ぶ人と同じで、大金を当てるかもしれないけど外れるかもしれない。そういう時「絶対当たらないよ」と言っているよりも、「きっと当たるよ」って言っておいた方が、当たっても外れても、その人から好かれると思うんですよ。

 僕自身も写真家になる時に、「お前には無理だ」ってすごく言われましたけど、今写真家としてある程度成り立っている状況で振り返ると、過去に否定していた人たちよりも、自信がなかった頃に励ましてくれた人に恩義を感じますもん。10年後を見越した種って考えると、根拠なく否定するより、根拠なく肯定してるほうがはるかにいいじゃないですか。

「好書好日」掲載記事から

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