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『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』書評 男性目線のブームに徹底論戦

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2020年03月28日
「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ 著者:長島 有里枝 出版社:大福書林 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784908465116
発売⽇: 2020/01/15
サイズ: 20cm/379,8p

「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ [著]長島有里枝

 「本書は、一九九〇年代に若い女性アーチストを中心として生まれた写真の潮流」を振り返り、再検討を行うものだと冒頭にある。
 著者・長島有里枝はまさにこの潮流を代表する写真家であり、家族と自分のヌード写真で鮮烈なデビューを遂げた後、二〇〇一年に蜷川実花、ヒロミックスと共に木村伊兵衛写真賞を受賞したアーチストである。
 その長島は自らを含んだ〝女性写真家〟たちが写真界で、あるいは言論界でどのように不当に扱われてきたかを、徹底的に資料をあげながら説いていく。
 彼女らの写真は当時の(今もってそうかもしれないが)評論家たちに〝コンパクトカメラの台頭〟と並べて語られがちで、すなわちそこに技術などないというイメージでとらえられた。
 それは例えば本書で度々批判される飯沢耕太郎の言葉を引けば、「自己中心的」「わがままで自分勝手」「能天気」などといかにも若い女性を活写するようでいながら、実は男性優位主義による〝上から目線〟のマウンティングに過ぎないのだと著者は書く。
 自らを客観的に「長島」ととらえて論証を続ける著者は、彼女たちの登場とカメラ付き携帯の普及を結びつける論調にも見事な反論をする。例えば若手登場のピークが「九七、九八年」であり、カメラ付き携帯の開発・発売は「一九九九年~二〇〇〇年頃」なのだと。
 それはつまり若手の女性写真家が〝いかに技術をともなっていないか〟という虚偽を広めるためのフェイク評論なのであり、この流れは当然写真界のみならず、日本のあらゆる「ホモソーシャル(同性間のみで成立する関係)」な社会に当てはまるに違いない。
 事実、長島は「女の子写真」と軽んじられてきた潮流を海外に顕著な「ガーリーフォト」という女性の権利意識に鋭敏な概念に置き換えて語り直そうとする。
 おそらくセルフヌードを撮った時のように、自らを客観的に分析・構築する。
    ◇
 ながしま・ゆりえ 1973年生まれ。写真家。『PASTIME PARADISE』で木村伊兵衛写真賞。『背中の記憶』など。