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76年ぶり復刊の岩波新書「日本刀」が電子書籍に 刀剣女子の期待に全力で応えた担当者にインタビュー

文:北林のぶお、写真:山田秀隆 

復刊のツイートが「刀剣乱舞」ファンに大反響

 「刀剣乱舞がなかったら復刊はなかったでしょうね。 」

 『日本刀』が復刊した翌日午前1時のツイート。岩波新書編集部の公式ツイッターを担当する中山永基さんは、あるユーザーのコメントに反応してつぶやいた。きっかけは、新書編集部のアカウントが13時間前に投稿した「76年ぶりの復刊となります。今後しばらく復刊されないと思われます」という告知。ゲーム「刀剣乱舞」のファンを中心に大きな反響を集めた。

 「この夜中のツイートにも、すごい反応がありました。元のツイートをしたのは金曜日でしたが、土日のうちに注文が殺到して、しかもその多くが女性の名前。週明けの月曜には社内に残っていた在庫もなくなり、即、重版が決まりました。『しばらく復刊はないだろう』というツイートは当時の私たちの正直な気持ちで、編集者としては見込みが甘かったのですが(笑)。『刀剣乱舞』の力は想像以上でした」と、岩波新書編集部でSNSを担当する中山永基さんは振り返る。

岩波書店 新書編集部の中山永基さん。公式SNSも担当

 「刀剣乱舞-ONLINE-」は、名だたる名刀がイケメン戦士の姿になった「刀剣男士」を集めて、歴史上のさまざまな合戦場で敵を討伐していく育成型シミュレーションゲーム。2015年1月にパソコンのブラウザゲームとしてリリース(翌年にスマホアプリが配信開始)されると、またたく間に女性を中心に人気を集めた。日本刀にハマる若い女性が「刀剣乱舞」をきっかけに増え、彼女たちを指す「刀剣女子」の語は、この年の新語・流行語大賞にもノミネートされたほど。

 実は、2015年の段階で『日本刀』を復刊する話が編集部内であった。しかし、「刀剣乱舞」を契機にした現代の日本刀ブームは当時始まったばかり。「ゲームファンの方々が、こんな旧字体の昔の本まで読んでくれるだろうか」と判断し、結局、復刊は立ち消えになった。

岩波書店に保管されている1941年発行の『日本刀』(第4刷)。

 歳月を経ても、刀剣女子の勢いは止まらない。「刀剣乱舞」はゲームの枠を超え、ミュージカル、舞台、アニメ、実写映画へと展開を続ける。そして、岩波書店の側も、2019年6月、往年の名著を限定復刊させる「岩波新書クラシックス」の企画が始まり、ついに10月、第6刷として『日本刀』は76年ぶりに復刊した。

 「刀剣女子の方々は、いろんな神社仏閣や博物館に行ったり、関連書籍を読んだりして、とても熱心に勉強しておられます。なので、旧字体の古い本でも楽しんでくれる人はいるだろう、ということで、復刊を決めました」と中山さん。

左が1941年発行、右が「岩波新書クラシックス」として復刊した『日本刀』。岩波新書にカバーが付いたのは1982年から。

紙版はデジタル、電子版はアナログでの製作工程 

 岩波書店ライツマネジメント部の宮下美紀子さんは、『日本刀』重版の知らせを聞いて、何とか電子書籍化できないかと、同部課長の高橋弘さんに相談した。折しも、三木清『哲学入門』、鈴木大拙『禅と日本文化』といった定番ロングセラー100冊を、2019年9月から11月にかけて電子書籍として配信する「岩波新書eクラシックス100」の作業が終わろうとしていた。

 活版や写植時代の本から電子書籍を作るノウハウが、蓄積されつつあった。宮下さんは「旧字を新字に置き換えるだけで、かなり読みやすくなります。これまでの電子書籍化で実感していました。『日本刀』も、もし読者が字の難しさに阻まれてしまっては、もったいないと思ったのです」と語る。
  高橋さんは「ネットでいろいろコメントしてくださる方が多く、購読層は電子書籍に親和性があると感じました」と、電子書籍化に踏み切った理由を述べた。

 紙版の復刊『日本刀』が旧字体なのには、理由がある。1939~43年のオリジナルは活版印刷だ。しかしながら当時の活版は残っていない。そこで、復刊の製作は、古書をスキャンしたデータをもとに行われた。その結果、旧字体のままとなっている。製作コストの問題もあったが、原書の雰囲気をそのまま楽しんでもらうことが「岩波新書クラシックス」の趣旨の一つだからだ。旧字体や活字の懐かしさを歓迎する読者がいる一方で、宮下さんが危惧したとおり、漢字が難しくて読みにくいという意見も挙がっていた。

確認作業に用いたゲラ。旧字体(黄色のマーカー部分)以外にも細かなチェックが行われた

 電子書籍化のゴーサインはすぐに出た。が、「(めちゃくちゃ大変な作業~)」と、公式ツイッターで中山さんが後日談をつぶやいたとおり、予想をはるかに超えて作業は難航した。工程は、まず、紙版の画像データをOCR(光学文字認識)でテキストに変換し、そのテキストで正誤を確認。そのうえで旧字を新字に置き換えていく。この入力のための確認作業に相当な手間がかかった。俗字も含まれており、パソコンで一括変換できるような字は少ない。ほとんどが宮下さんたちによるアナログな作業。漢和辞典だけでなく、文化財に関する書籍やサイト、電子辞書の手書き入力などの力を借り、一字一字と向き合っていった。もはや、考証作業だ。

岩波書店 ライツマネジメント部 課長の高橋弘さん。豊富な経験と知識で、電子書籍化を中心となって支えた

 綿密なチェックによって、活版時代の校正漏れも見つかった。誤解を招きかねない部分には必要最低限の調整が行われた。たとえば、豊臣家が滅亡した際に焼けてしまった刀を呼ぶ際に使われていた「大阪」は、当時の表記「大坂」へと修正した。

 刀身の柄に収まる部分である茎(なかご)の形状の一つ、「鱮(たなご)腹」は、魚へんに「節」の字の表記だったのを正しく直した。「私自身も初めて見る字で、ほかにも本書に特有の漢字が多くありました。文字がつぶれているものは、特定するのもプレッシャーが大きくて、とても緊張しました」(宮下さん)

 共に作業を担当した高橋さんは「薄氷を踏むような思いの仕事でしたね(笑)。それでも、個人的に時代小説が好きなので、『虎徹』とか『和泉守兼定』の名前が出てくると、司馬遼太郎の小説で新選組の近藤勇や土方歳三が持っていたなと思い出して、楽しくやらせていただきました」と語る。

美術品としての日本刀を大事にした本間順治

 そもそも、日本刀研究の第一人者とされる著者の本間順治(1904-1991)は、いったいどういう人物なのだろう?

 本間は、文部省や文化財保護委員会(現在の文化庁)などに勤務し、戦後の刀剣研究に多大な影響を与えた。本間美術館初代館長、日本美術刀剣保存協会会長を務め、渡邉妙子さん(佐野美術館理事長)ら後進の研究者を育てている。

 『日本刀』というストレートなタイトルが示す通り、本書には30代の気鋭の研究者だった彼の情熱が注ぎ込まれている。歴史や製作(鍛錬)、研磨などについて丁寧に説明し、用語解説は挿絵をふんだんに使用。鑑定方法についても触れている。

 現代の読者からすると意外なコンテンツが「取扱と保存」。宮下さんは「当時の刀の扱い方が目に浮かぶよう。錆(さび)でダメにしてはいけないとか、頑張って綺麗(きれい)に保つとか。日本刀が一般の人にとって、今よりも身近な存在だったと思われます」と話す。

山のような付箋(ふせん)が、電子書籍化までの道のりを物語る

 刀を手入れする方法を説明した箇所では「打粉を打つて両三度拭けば大抵は綺麗になる。打粉は研石の粉末で、それを綿に包み更に紅絹などに包んで用ひ、打てば煙の如くに細かい粉が出る」という記述がある。高橋さんは「ひと昔前の時代劇でこんなシーンあったよね、と思い出しました。よく、侍が刀の柄をつかんでトントンと打粉を打つ所作がありましたよね。文字を映像にしたら、ああなるんだと。時代劇全盛期の太秦などの撮影所の人たちはこういった所作を忠実に再現していたのではないでしょうか」と説明する。

 前半は解説書としての役割が大きいが、後半には「正宗抹殺論」「村正は妖刀か」などをテーマに、興味深いコラムがまとめられている。その中で異質なのが「軍刀の選び方」。1939年という時代背景を感じさせる。

 「当時の社会情勢では、書かざるをえなかったんでしょうね。こう選んだ方がいい、こうすると傷まないといった内容にとどめ、抑えた筆致で書いている。本間先生の趣旨は、美術品としての日本刀を大事にしておられた。だからこそ、軍刀の部分を(本記でなく)コラムにしたのだと思います」と高橋さんは推察する。

 岩波書店にかつて在籍した名編集者、中島義勝さんは「この企画は、岩波茂雄(同社の創業者)が本間の日本刀に関する講演を聞き、興味を感じ、新書の編集者に企画化をすすめたものである」と『日本刀』出版について述懐している。創刊して間もない岩波新書のラインアップに加えられたことは、刀剣を文化として伝える重要性を、出版社側も認識していたことがうかがえる。

著者の思いを受け継ぐ現代の刀剣女子

 この筆致は、その後の本間の活動を知るうえでも示唆に富む。

 本間順治の最も大きな功績の一つは、戦後の日本刀文化の危機を救ったことだ。太平洋戦争の終結後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は武装解除の一環として全国で刀剣の接収を行った。それに対して、美術的に価値のある刀剣を守るために、先頭に立って奔走したのが本間だった。

 刀剣の全てが武器ではないことを理解してもらうため、本間らは粘り強く交渉を続けた。その努力が実り、1946年には進駐軍が持っていた日本刀の所持許可権が日本政府に譲渡された。登録制による所有が可能となり、古来の日本刀の製法で作られたことが審査によって認められれば、原則として許可されるようになった。

 本間の「日本刀を守りたい」という意志を、現代の刀剣女子たちはまさに受け継いでいる。『日本刀』の文中で「国宝指定刀剣目録」の25番目に挙げられた太刀「蛍丸」は、GHQに接収された後に行方不明になったとされていたが、2015年11月、刀工らが「蛍丸」を復元するためにクラウドファンディングを始めると、目標をはるかに上回る資金が集まった。「刀剣乱舞」で擬人化された「蛍丸」は人気キャラクターの一人で、その人気が資金調達の大きな原動力になったという。

 また、関東大震災で焼失したとされていた「燭台切光忠」が、焼けた状態で再発見され、写し(実物が現存する刀の復元)が作られた。これも「刀剣乱舞」のファンによる働きかけや寄付の力が大きく、全国各地でさまざまな日本刀の復元や一般展示のプロジェクトに貢献している。

配信が始まった電子書籍『日本刀』。本と比べると、このとおり新字体で読みやすい。

 形あるものとして再生した刀たちと、一振り一振りの刀に込められた人々の思いや物語。ある意味、今回復刊した紙の書籍と、テキストデータの電子書籍との関係に似ているのかもしれない。日本刀を愛する人々、書籍づくりに真摯に取り組む人々の思いが結集し、令和の世に『日本刀』はよみがえった。

 「紙あっての電子書籍。編集部の人が面白い本をつくってくれて、私たちはそれを電子化することによって、より多くの読者にお届けしていきたい」と、高橋さん。

 宮下さんは「両方買う場合は、紙の本を持っている人が電子書籍も買う、と思いますよね。実は、逆のケースも多くあります。『場所を取らないから電子書籍を買ったけど、やっぱり紙も欲しくなった』という方もいて面白いですね。本屋さんに行く人が減ったと言われていますが、本との出会いの場はむしろ広がっていると感じています」と、両者が共存していく可能性に期待を寄せる。

 「ファンの方々は、紙版も電子版もじっくり読み比べていただき、本間順治の世界に浸ってもらえると思います。同じ『日本刀』でも違った形で楽しめることを知っていただければ」と中山さんは話している。

復刊と電子書籍化、互いの仕事をねぎらう中山さんと高橋さん