日本のマンガが、海外、とくにフランスで大人気を博していることは、ご存知(ぞんじ)の方も多いでしょう。
いっぽう、フランスもマンガ大国で、経済的な規模では日本に及ばないとはいえ、芸術的な水準においてはまったく遜色なく、日本のマンガと異なる高度な表現技法を見せてくれる多くの作家や作品を擁しています。
一時期、日本で翻訳され評判を呼んだメビウスやスクイテンやビラルといったマンガ家たちは、そうした感嘆すべきマンガ表現の可能性を探求した偉大なアーティストです。
また、フランスには、日本と比較できる例がちょっと思いつかないような、批評的なユーモアをたたえた〈社会派〉ともいうべきマンガの領域があって、これが非常に面白いのです。
今回は、この4月に続けて日本語に翻訳された〈社会派〉のフランスマンガを2冊ご紹介しましょう。
まずは、リアド・サトゥフの『未来のアラブ人2』です。
作者の名前から分かるとおり、この人はシリア人の父とフランス人の母から生まれたハーフで、このマンガは、彼の自伝の第2巻なのです。
第1巻では、6歳になるまでの幼年期が語られましたが、この第2巻では、6~7歳のサトゥフ少年がシリアで暮らした小学校時代が主に語られます。
体罰で国家主義や宗教信仰を叩きこむ小学校の教育事情、結婚せずに妊娠した娘を殺してしまう親たち、貧富の異常な格差などショッキングなことが多く描かれますが、重要なのは、サトゥフ少年がそれらを拒否せず、すべて自分の身に受けとめていくことです。この少年のまなざしに、異文化に接するときの私たちへのヒントがあります。サトゥフ少年と一緒にシリアのアラブ文化を見ていくと、私たちにもそれをありのままにとらえる心がしだいに養われていく気がするのです。そこがこのマンガの懐の深いところです。
もう1冊は、ティファンヌ・リヴィエールの『博論日記』です。
カフカについての博士論文を書くことに生活のすべてを捧げる女性の物語で、博論執筆の煩雑な手続き、金銭的苦労、恋人や家族や友人や指導教官とのねじれた関係が異様なリアリティをもって迫ってきます。しかし、ヒロインに絶妙の距離を置くことで、そのカフカの小説のような迷宮世界は、不思議なユーモアを滲(にじ)みださせます。そして、ヒロインの不毛に見える人生がなんだか愛おしく思えてくるのです。そこにこのマンガの救いがあります。=朝日新聞2020年6月10日掲載