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季節さがし 澤田瞳子

 春野菜が好きで、毎年、季節になるとそればかり喜んで買っている。瑞々(みずみず)しい春キャベツや新玉ねぎはもちろん、フキノトウやタラの芽を始めとする山菜類も好物なので、この時期に山に近い場所に行くと、直販所で大量に買い物をする。

 だが今年はそんなことも叶(かな)わず、近所のスーパーで野菜欲を満たすしかなかった。タケノコだけは友人が送ってくれたのでおなかいっぱい食べられたが、その他の山菜類にはほとんど出会えず、寂しい思いをした。

 ちょうど五年前、実家でちょっとした騒動が持ち上がり、ひと月ほど、朝晩の区別がつかぬほどバタバタした。その余燼(よじん)はいまだ燻(くすぶ)っているのだが、ともあれ最初の波乱がわずかに鎮まった頃、母が突然、「今年は枇杷(びわ)を食べていない!」と言い出した。

 初夏の果物である枇杷は母の大好物。ただその時はすでに旬を過ぎかけていたので、スーパーの方に相談の上、ケース単位で取り寄せていただいた。注文も引き取りも意外と手間がかかり、「枇杷ぐらいで文句を言わなくても」と思ったが、複数の春野菜に出会えぬまま春が過ぎた今は、母の気持ちがよく分かる。

 季節とは自分で考えている以上に、人の肌身にぴったり張り付いているものらしい。そして折々の風物詩や食べ物やイベントなどはその推移を知らせるタイマーで、それらに触れぬまま季節が過ぎると、自分だけが無理やり一カ所に立ち止まらされているような焦燥を覚えるのだ。

 ちなみに今年は長崎から美味(おい)しい枇杷をお送りいただき、母は満足のうちに初夏を迎えている。一方で私はまだ春のただ中に置き去りにされているような気分でいたが、先日の夜、窓の網戸に張り付くカメムシを見かけ、「ああ、もうそんな季節か」との声が思わず漏れた。

 わかりやすい季節の移ろいは、これからはなかなか手に入れ難くなるのかもしれない。しかし道路の脇に生える雑草にも、窓に寄る虫にも、折々の影はあるはず。そういう小さな季節を、少しずつ探していきたい。=朝日新聞2020年6月10日掲載