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村上春樹「猫を棄てる 父親について語るとき」 礼節ある墓標、読者にも反照

 誰もが不可解な記憶を心のどこかに温存している。成功とか失敗とかそんな大げさなものではなく、なぜそんなことを憶(おぼ)えているのかさえわからない、かすかな記憶の断片。本書もそんな思い出を語るところから始まる。家で大切に飼っていた猫を箱に入れて、父と一緒に自転車に積んで、西宮の海岸に棄(す)てに行った、という記憶。理由は定かでない。とにかく箱を置き去りにして、逃げるように家に戻った。すると玄関に、当の猫が先回りして待っていた。父はほっとしたような顔をしていた。そこから父についての回想が始まる。京都のお寺に生まれ、お坊さんになるべく教育を受けた。ところが召集令状が来て兵隊にとられ、中国に赴く。そこで戦争の実相を目の当たりにする。そんな父の足跡をたどり、彼が見たであろう光景を残された俳句から感じとり、父の思いに寄り添う。

 かくして不可解な記憶の意味が明らかになる。その記憶自体に意味があるのではなく、それが鍵となって、いつか開かれるべき秘(ひそ)かな扉の存在が示唆され続ける。そのことに意味があったのだ。

 それにしてもなぜ村上春樹は今、父の部屋を開ける気になったのだろう。端的に言えば、残された時間に対する自覚ゆえのことではないか。個人的な理由から長らく疎遠になっていた父と和解し、父を見送った後、あらためて思い至ったことについて、作家はひとつの礼節ある墓標を立てておきたかった。

 それは同時に私たち読者をも照らす。村上春樹のデビューに衝撃を受け、たちまち熱心な読者となり、新作が出るごとに興奮し、鼓舞され、そして支えられてきた私たち自身にもまた、それほど長い時間は残されていない。片付けるものを片付け、わだかまっていたことを整理し、不可解な記憶を、捨て去るのではなく、その意味と静かに向き合うべき時が来ているのだ。高妍(ガオイェン)による挿画が不思議な奥行きを醸し出している。=朝日新聞2020年6月20日掲載