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節目の力を信じて 朝倉かすみ

 来たる八月、六十歳になる。俗にいう還暦である。ここにきて食習慣の改善に取り組んでいる。

 たとえば、なにかしらの病を得て食事制限を余儀なくされるその日まで、思うさま甘いものを摂取し、動けなくなるまでごはんを食べて寝る生活を続けるのも一興、という、いかにも魅力的な考え方がある。今更食習慣の改善を試みたとて時すでに遅し、わたしはあらゆる生活習慣病にやられちゃってるかもしれないし、運よく無事だったとして、この先どんなに気をつけても、絶対にやられないとは限らない。

 老年期を迎えるにあたってのわたしの目標は、なるべく快適に過ごすことで、その「快適」とは、すべてにおいて簡素であること、と、これは前に書いた。「簡素」について付け加えるなら、わたしの憧れる「簡素」は「質朴」とほどよく交じり合ったものである。たとえ他人に知られてなくても、過剰な行為に繰り返し耽(ふけ)るとき、わたしは鮮明な引け目と、漠然とした負い目を感じる。それらをみんな取り除き、ありのままのわたしが、生活が、プレーンで、明らかで、さっぱりしていたら、さぞや「快適」であろうとあられもなくウットリするのだった。

 食習慣を変えたいのは、オンラインゲームや飲酒や喫煙をやめたのと同じく、「なりたい自分」、「してみたい生活」に近づきたいというのが最大の理由で、健康問題は、実のところ、わたしの中でさのみ重要ではなかったりするのだが、しかし。半白頭の六十女としては「なりたい自分」に近づきたくて、とはなかなか言い出しにくいのだった。健康問題を引っ張り出さないと世間さまのオッケーをいただけないような気がする。うっかり口にしたら「若いコみたいなことを言って」とか、「その歳(とし)になるまで何やってたんだ」と憫笑(びんしょう)を浮かべられそうで、ちょっと怖い。

 思えば「なりたい自分」は幼稚園児の頃からあった。以降、その時々の境遇や人間関係や流行や個人的な趣味思惑に応じ、ひらひらと、ふわふわと、するすると移り変わった。いずれも外に向かって「わたしはこう!」とアピールしたい気分が主成分で、「なりたい自分」に見えさえすればそれでよかった。けれども今の「なりたい自分」へのなりたさは内向きで、外は関係ないのである。この意識の変わり方に還暦の持つ「節目力」とでもいうものを感じる(感じすぎかもしれないけど)。

 食習慣の改善チャレンジはもう四週間続いている。小さな手直しを重ね、コツコツと新しい習慣を作っている最中で、ということはつまり、まだいつでもズルズルと元に戻る可能性があるわけで、まー言うなれば予断を許さない状況ではあるのだが、わたしは節目力を信じている。=朝日新聞2020年7月25日掲載