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ローティーンの深緑野分さんに勇気を与えたJUDY AND MARY 少年にも少女にもなりたくていいのだと励まされた

 音楽のストライクゾーンが狭い。映画や本は結構雑食だけれど、音楽はなぜか「良い」と感じる曲が少なくて、好きなアーティストでもハマる曲とハマらない曲がある――あ、そりゃ普通か。

 それなりに音楽を聴くようになったのは20歳を過ぎてからで、10代の頃はそんなに音楽を知らなかった。今でさえレディオヘッドやらポーティスヘッドやらプロディジーやら洋楽を聴くけれども、大人になる前に親しんでいたのは日本のポップスやロック、あるいは映画のサントラ、映画で知った洋楽ロックなどだった。

 そんな状態でJUDY AND MARYは好きになったのは、私が「男の子になりたい女の子」だったからだと思う。正確には、男の子になりたかったというより、女の子のまま男の子の世界でも遊びたかった、が正しい。

 小学生の頃の私は少女漫画誌の「なかよし」と「りぼん」を愛読していて、6年生になると姉の買った「LaLa」なんかも読むようになっていた。でも私はずっと少年漫画を読みたかった。アニメなら「ドラゴンボール」とか「スラムダンク」を観るけれど、「週刊少年ジャンプ」に手を出したくて、でもきっかけが摑めなかった。90年代はまだそこの壁が高かったし、黒いランドセルがほしいという私の気持ちを「大きくなったらきっとみんなと違って恥ずかしいと思うわよ」の言葉で封じた母に縛られていたとか、学校のクラブ活動でサッカークラブに入ったら女子は私だけで、小4の丸一年間仲間に入れなくて、それでも変えることを許してもらえずひとりぼっちで出席し続けた苦い思い出なども、近寄れない重苦しい枷になっていたのだと思う。

 そんな小6の冬、もうすぐ中学に上がろうとする頃に、アニメで「るろうに剣心」を観た。そのオープニングテーマがJUDY AND MARY「そばかす」だった。

 少年漫画のアニメなのにボーカルが女の子だ。それにすごく元気がよくて、ギターはかっこよくて、突き抜ける青空みたいな爽やかさもある。周りが心配で気絶するくらいおてんばな女児はなんだか嬉しくなり、とりあえずお小遣いでシングルCDを買い、「るろうに剣心」が読みたくて週刊少年ジャンプも買った。はじめてのジャンプは、少女漫画誌の紙とまったく違うにおいがした。「やったぞ」と思った。

 ジュディマリは甘くてかっこいい。ローティーンだった頃の私にとって一番しっくりくる姿勢だった。ギターもドラムもかなりごりごりで複雑に変形しているのに、声はどこまでも甘く高く、お菓子みたいに可愛いけど意外とハスキーで、歌詞はパワフルで鋼のように強く、自由も人生も愛も肯定する。少年にも少女にもなりたくていいのだと励まされたような気もした。アルバム「THE POWER SOURCE」が発売された日、家に駆け戻ると中学の制服から着替え即自転車に飛び乗り、ひとりでは行ったことのなかったレコード店まで漕いだ。商品陳列棚に置かれたアルバムジャケットを今も覚えている。

 YUKIちゃんになりたいと思ったことは今も昔もないけれど、10代の私に確かに勇気を与えてくれたバンドだった。そしてここで「いろんな音がする音楽が好きだ」と自覚して、この後の音楽の好みに繋がっていく。