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選ぶ苦しさの向こうに 津村記久子

 十年ぶりぐらいに聴きたい曲があって、しばらくダウンロードで曲を買うだけだった音楽プレイヤーを一年ぶりぐらいにパソコンにつなぎ、どうしてこの曲はプレイヤーに転送されてくれないのか……、というようなことと毎日二時間ぐらい格闘している。自分が持っている音楽のデータの量が手に余るから作業がつらいのかもしれない。なんだその程度かと思われそうで、具体的な数字を出すのは恥ずかしいのだが、仕事なので打ち明けると、パソコンで管理している曲は五六九〇曲あって、うち三一〇曲がうまく転送されてくれないようだ。おそらく聴きたい曲はその三一〇曲のうちのどれかだ。

 厄介だが、それでもこれは財産だと思う。四十二歳の自分が、十六歳の自分に向かって、「よくこんな曲聴いてたな」と褒めてやりたくなることも実はある。それが小説の仕事に生かされることもある。

 子供の時に音楽を聴くことは、必ず選ぶ苦しさを伴っていた。要はお金がないから、欲しいCDが十枚あっても買えるのは一枚だった。選ぶためには、自分が何を聴きたいのかについて学ぶ必要があった。学びには失敗や無力感もあったけれども、それを何度も繰り返すうちに、ジャンルや時代を超えた「何を聴きたいのか」が自分でわかってきた。

 本当に自分に合った音楽を探すのは、実はとても難しいことだとこの数年思っている。音楽には、演者の見た目、ダンス、流行などの付加価値が付きまとい、「自分に合う」という重要な要素が容易に見失われる。しかし、その人にとっての「良い曲」の価値は、時代もどれだけ聴かれたかも超えて突き抜ける。良い曲を知ることができたら、たぶんその先三年は「どれだけつらいことがあっても最悪あの曲がある」という強い基盤が自分の中にできる。

 まずは自分で何かを選ぶこと。音楽に限らず、あらゆることの起点にそれはあって、それは苦しいけれども、必ず自分を強くする喜びにつながっていると信じたい。=朝日新聞2020年8月19日掲載