「日本にとって8月は、死者を思う季節である」と、広島と長崎、そして終戦の日に言及しながら、小川洋子は8月6日付のニューヨーク・タイムズに寄せたエッセイ「死者の声を運ぶ小舟」を書き出している。
もちろんアメリカの新聞なので英訳が掲載されたのだが、ありがたいことにネット版では日本語オリジナルが読めるようになっている。
戦争体験者が減少し、記憶の継承が困難になっている。だがそんなときこそ文学が力を発揮すると小川は言う。「文学の言葉を借りてようやく、名前も知らない誰かの痛みに共感できる」と。
アメリカの読者のために、日本の原爆文学、とりわけ原民喜が広島での被爆体験を書いた『夏の花』をていねいに紹介したあと、小川は原の「コレガ人間ナノデス」という詩と、アウシュヴィッツ強制収容所からの生還者プリーモ・レーヴィの『これが人間か』の一節を引用しながら、両者の響き合いを明らかにする。そして文学の言葉は、真実の川の上を、死者の声を乗せて運んでいく小舟なのだと言う。
ああ、これこそが〈読む〉ということだ! 小川は原の詩について「人間とは思えない姿になってしまった人のか細い声を、ただそっと抱き留める詩」と書くが、小川の言葉こそ静かな流れのように原やレーヴィの声を「そっと抱き留める」。その優しいせせらぎに、僕たちはふと目を上げ、そこに忘却に抗(あらが)い、未来に向かって進む小舟があることに気づくのだ。
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言葉は書きつけられた瞬間、過去になる。物語は読む者にとってはすでに完結している。文学の言葉はある意味でつねに死者の言葉である。だから読むこと・書くことは、つねに死者との対話なのではないか。
そんなことを改めて考えさせられたのは、イーユン・リーの『理由のない場所』(篠森ゆりこ訳、河出書房新社)を読んだからだ。
リーは留学したアメリカで、母語ではない英語で小説を書き始め、たちまち国際的に高い評価を得た。
2016年にいまはなき東京国際文芸フェスティバルで来日した彼女に、僕はラジオでインタビューする機会を得た。小川洋子同様、素晴らしい書き手は素晴らしい読み手であると痛感した。彼女はアイルランドの短篇(たんぺん)の名手ウィリアム・トレヴァーを愛読していたが、トレヴァーはその年の11月に亡くなった。
そのトレヴァーの遺作『ラスト・ストーリーズ』(栩木〈とちぎ〉伸明訳、国書刊行会)が刊行された。これが本当に素晴らしい。どの物語でもすべては明かされない。つねに謎めいた空隙(くうげき)があって、読者が想像力でそこを埋めなくてはならない。流れ者の兄弟に家の塗装を頼んだ「足の不自由な男」はどこに消えたのか? 交通事故で死んだ「身元不明の娘」はどのような人生を歩んだのか。「女たち」の主人公、母のいないセシリアを寄宿学校に訪ね、彼女に深い愛着を示す中年女はもしかして……。
先ほど、物語は書かれた時点で完結していると書いたが、そこで生きる人物たちにとってはちがう。物語はつねに〈現在〉であり、僕たちの日々の暮らしと同様、不確かさとわからないことだらけだ。
そして僕たちの日常に穿(うが)たれる謎の中でも、愛する子供の若すぎる自死ほど親にとって理解できないものはないだろう。それがイーユン・リーの身に起きたことだった。
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『理由のない場所』では、ひとりの母親が、16歳で命を絶った息子ヴィンセントと想像上の対話を試みる。母のすべての言葉は、たったひと言に要約できる。どうして?
息子は生きていたときと同じように母を批判しからかうが、母が欲しい言葉だけは返してはこない。それに母が本当に欲しいのは言葉などではない。叶(かな)えられないとわかっていても、母は願う。息子に戻ってきてほしい。それだけだ。
言葉は無力である。それでも母は書く。言葉にできない永遠の傷となった息子の不在を「そっと抱き留める」ために……。
小川洋子はエッセイの結びで、広島平和記念資料館の収蔵品を撮影した写真に触れている。原爆で亡くなった中学1年生の折免滋(おりめんしげる)君の弁当箱と水筒の写真。「息子を思う母親の愛情」とご飯を楽しみにしていた「少年の無邪気さ」が詰まったこの弁当箱がそうであるように、リーの小説もまた「死者の声」を運ぶ小舟であることは間違いない。=朝日新聞2020年8月26日掲載