海外ミステリーでは前々から女性たちの苦難の物語は書かれてきたが、セクハラ被害を告発する#MeToo運動の広がりもあってか、より深い内容のものが目立つようになった。エンターテインメントの場合、不快な読後感を与えないように、ヒロインが直面する経験にも限度があったし、書き方も抑制が利かされていたが、もうそれでは現実を描けないし、読者がついてこなくなった。奇麗事の通用しない残酷きわまりない現実を、覚悟をもって描こうとしている作家たちが増えている。
心身の地獄巡り
たとえば、カリン・スローターの『贖(あがな)いのリミット』。ジョージア州捜査局特別捜査官ウィル・トレントものの一冊で、建設現場で元警官の惨殺死体が見つかり、そこから逃亡した女性が浮かび上がり、それがトレントの別居中の妻のアンジーであることがわかり、アンジーの壮絶な人生が語られていく。
シリーズにおいてアンジーは邪悪な存在だったが、この作品で一変する。悪意と敵意にみちた嫌らしい女なのに、読めば読むほど愛(いと)おしくなる。他者を攻撃することでしか自分を慰められない女の凄(すさ)まじい人生が切々と捉えられているからだ。
それは単発の『グッド・ドーター』にもいえる。母親を目の前で殺され、暴力をうけた姉妹がやがて別れ、二十八年ぶりに事件の真実を見いだす物語だ。作者はここでもヒロインたちを追い込み、精神的かつ肉体的な地獄巡りをさせる。スローターを読むのは「痛みの経験」(霜月蒼〈あおい〉)であるが、暴力の痛みだけでなく、生きることの、愛することの痛みをとことん追求するからである。
大震災で経験した人が多いだろうが、悲しみを癒(いや)すのは笑いでも激励でもなく、その人によりそう他者の悲しみの記憶だ。悲しみは悲しみの、痛みは痛みの記憶でしか癒されないという絶望的真実を見すえている。悲しく、辛く、どこまでも残酷であるけれど、だからこそ救われる。いつまでも読者の胸を揺さぶり続ける。世界で読まれ続けている理由がわかるだろう。
家族の形を直視
『グッド・ドーター』は波瀾(はらん)に富む姉妹の物語であるが、リズ・ムーアの『果てしなき輝きの果てに』もそうだろう。何よりもスローター同様、容赦がない。女性パトロール警官のミッキーが失踪した娼婦(しょうふ)の妹ケイシーを追いながら連続殺人事件の真相に迫る物語である。
舞台はアメリカ東部のフィラデルフィア。全米でも犯罪率の高い薬物蔓延(まんえん)の街であり、妹をはじめ重い麻薬中毒者ばかりが出てきて、いかに彼らと対峙(たいじ)し、信頼を取り戻すことができるのかを、過去と現在を往復しながら探っていく。注目すべきはスローター同様、安易な妥協も人間性への甘い幻想も一切抱かずに家族の崩壊、秘密と嘘(うそ)にまみれた犯罪を冷徹に直視している点だろう。だからこそ血縁を超えた本物の家族の肖像が、静かに確実に胸に刻みこまれる。
スローターとムーアは正面から真摯(しんし)に描いたけれど、不埒(ふらち)な観点からの苦難の物語もある。エルザ・マルポの『念入りに殺された男』だ。主婦のアレックスが営むペンションにゴンクール賞作家シャルル・ベリエがやってきて、あやうくレイプされそうになり、抵抗の勢いで相手を殺してしまう。だが自首などせず、シャルル殺しの最も適当な犯人は誰かを探り、その人物に罪を着せようとする。
フランス的皮肉
何ともふてぶてしい作品である。#MeToo運動につながりながらも、フランスの作家らしく、皮肉が利いていて強(したた)か、そして実に大胆だ。アレックスは自ら進んで苦難に積極的に対処していく。生存を偽装して、妻や娘や愛人たちにメールを送り、姿を見せないことの正当化をはかり、書きかけの原稿にも挑戦していくのだ。
面白いのは、アレックスが挫折した元作家という設定で、なりすましているうちによこしまな分身を見いだして、作家としての真の実力にめざめる点だろう。中盤からはアレックスを追い詰める探偵も現れて、展開が二転三転するのもいい。窮地にたたされながら“犯人捜し”を行い、予想外の終点へと突き進む。不思議なカタルシスを生み出す結末も見事。間違いなく今年のミステリーの収穫だろう。=朝日新聞2020年10月17日掲載