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武田綾乃さんが読んできた本たち 作家の読書道(第222回)

「本屋チャンス」が楽しみだった

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 保育園の頃だと思いますが、自分で最初から最後まで全部読んだ本をすごく憶えています。絵本の『白鳥の湖』でした。内容というよりも、はじめて自分で全部読んだ、ということで印象に残っています。

――昔から本はよく読んでいましたか。

 家が結構本だらけでした。絵本は定期的に送られてきていたし、毎月5000円までは、小説でも漫画でも図鑑でもラノベでもなんでもいいから本を買ってもらえる、「本屋チャンス」というルールがあって(笑)。たぶん、それで小説をよく読むようになりました。

――ご兄弟はいらっしゃるのですか。兄弟にもそのチャンスがあったならかなりの本の数になるなと思って(笑)。

 6歳下の弟がいて、弟は私の選んだ漫画を読んでいました。趣味がまんま一緒なんです。「本屋チャンス」のほかに、小学校に入ると図書室にも行くようになりました。児童書が好きで、「こまったさん」シリーズとか、「ズッコケ三人組」シリーズとか読みました。青い鳥文庫もめちゃくちゃ読みましたね。だからあさのあつこさん、はやみねかおるさんからすごく影響を受けています。あさのさんの「テレパシー少女「蘭」事件ノート」シリーズとか、はやみねさんの「怪盗クイーン」シリーズや「名探偵夢水清志郎」のシリーズなどはすごく憶えています。松原秀行さんの「パスワード探偵団」シリーズもよく読んでいました。
 一番読んでいたのは「ハリー・ポッター」で、圧倒的な影響を受けています。毎日読み返していたので、実家にある第一巻の『ハリー・ポッターと賢者の石』はもうボロボロになっています。それが小学校低学年の頃でした。その頃、二宮金次郎って呼ばれていたんです。本を読みながら帰って、電信柱で頭を打ったりしていたので。

――「ハリー・ポッター」のどういうところに惹かれたんでしょうね。やっぱり魔法学校のディテールとか...。

 「おジャ魔女どれみ」などの世代なので、そもそも小さい頃から魔法というものに対する下地があったのかもしれません。「ハリー・ポッター」のほかに「ダレン・シャン」や「バーティミアス」なども好きでした。「ハリー・ポッター」の資料集やファンタジー図鑑なんかも舐めるように読んでいました。
 その頃、ファンタジーが流行っていたのと同時にライトノベルも全盛期で、電撃文庫がちょうど学級文庫に入ってきた時期でした。小学校高学年の時に、生徒が図書室と学級文庫に入る本を選べる機会があったんです。体育館にずらーっと本が並べてられていて、そこから選んでいく、みたいな。それでみんなラノベを選んでいたので、学級文庫に『キノの旅』とかがありました。ラノベも一般文芸も意識せずに読んでいた世代だということも大きかった気がします。

――漫画は読みましたか?

 好きでした。親が漫画好きで、うちはトイレの棚や廊下が全部本棚になっていて、そこに漫画の本がしっちゃかめっちゃかなくらい入っていました(笑)。曽田正人さんの『め組の大吾』とか『シャカリキ!』とかがとにかく好きでした。『ONE PIECE』も普通に読んでいましたし、あ、それと『ガラスの仮面』や『ポーの一族』も家にあったので読んでいました。『ドラえもん』もあったし、当時「週刊少年ジャンプ」に掲載されていた漫画はほぼあったと思います。
 漫画だけでなく、宮沢賢治全集なんかもあって、それもいっぱい読んでいました。

――充実したおうちですね。

 親が忙しくて、いわゆる鍵っ子だったんです。家で過ごす時間が長かったので暇をつぶすことが一番重要な課題で、ゲームと小説、漫画にはまりました。特に本は1冊で2時間くらい楽しめるので、それが私としてはすごくいい要素だったんです。

――ゲームは何をやっている世代なんでしょうか。

 「ポケモン」と「どうぶつの森」と「マリオパーティ」とかの世代です。今思うとその頃はポケモン人気がすごかったです。私もポケモンパンを食べていたし、「ポリゴンショック」でポケモンの放送がなくなった時は、私、泣きながら「ピカチュウをテレビで見せてください」って葉書を書いていたらしくて。親が言っていました。
 でもたぶん、割合的には小説6、漫画3、ゲーム1くらいで、圧倒的に小説で時間を潰していることが多かったです。アニメも好きだったんですけれど、昔はストリーミングじゃなかったから、1回30分しかないので全然時間が潰れない。本だと、シリーズものを一気に読めば、それだけで10時間くらいかかるから、そっちのほうがいいなと思っていました。

――自分で物語を考えたり文章を書いたりはしていましたか。

 小5の頃から小説を書いていました。でも毎回、完結しない。今読み返すと、自分でも「小5にしては文章上手いな」って思うんですけれど(笑)、でもだいたいノート1ページで終わっているんです。文章で背伸びしすぎて、続きが書けないんですよ。いっつもいいところで放置していて、「ああ、最後まで書けないなんて、文章って大変だな」って思いました。

――国語の授業は好きでしたか。

 小学生の頃は国語のテストが苦手だったんです。なぜかというと、たとえば「『風がぴゅーぴゅー歌っている』とはどういう意味ですか」という問題の意味が分からなくて。風はぴゅーぴゅー歌うもんだと思っているから、何を訊かれているのか理解できないんです。「いや、歌ってるじゃん。そう書いてあるのにそれ以上何を答えるんだ」って。中学生になって塾に入って、「『風がぴゅーぴゅー歌ってる』というのは、風が音を立てて吹いているという描写である」と答えるものだよ、と教えられた時に、「あ、国語のテストって文章の解像度を下げろってことなのか」と分かって、そこからもう、信じられないくらい成績が上がったので、塾に行ってよかったなと思いました。テストの質問の意味がようやく分かったんです。
 入塾試験みたいな時は50人中、たぶん40位台でしたが、2か月後に1位になったんですよ。さすがの衝撃体験でした。それまでは、どう答えたらいいのか誰にも教わらないまま授業を受けていたんだなと思いました。だから私の中では、結局教わり方なんだな、という意識が強いです。自分の考え方にしても他人や環境に大きく作用されるものなんだな、ということを強く実感しています。
 国語が苦手な子って、そういうパターンがすごく多いんじゃないかなって密かに思っています。

視界に入るものを文字化する習慣

――じゃあ、作文や読書感想文なんかは...。

 塾に行ってから急に伸びて、中高の時には読書感想文で賞を獲ったりしていました。それまでは感想を書くのが苦手だったんです。もう、受けたものがすべてじゃん、と思っていたので書くことが難しかった。絵のほうがよく評価してもらっていました。小学生くらいから絵も結構好きで、最初の頃は漫画家になりたかったんですよね。

――そうだったんですか。

 すぐ挫折したんですけれど(笑)。小学校が漫画の持ち込みが禁止だったので、すごく絵の上手い友達が描いた漫画が教室内で流行っていて。自分でそういうふうに創作できるってすごいなと思ったのを憶えています。それで、自分は漫画の原作者になりたいと思いました。とにかく話を作るのが好きだったという感じですね。
 漫画家になりたい人って、授業中でも絵を描いていたりするじゃないですか。作家志望でも何かできないかなと思って、私は小学生くらいからずっと、クラスメイトの様子とか、学校を通う時に視界に入ってきたものを頭の中で全部文字化することをしていました。電車に乗っている時もずっとまわりの様子を見て文字化していくことをやっていました。今でも見たものをすぐに文字にするのは得意なんです。

――比喩的表現を使ったりしながら?

 そうですね。本にするならどう書くかな、って考えながら。自分では「模写」だと思っていて、台詞などは一切使わず、淡々と描写していくようなことをしていました。他の作家さんと話してもそういうエピソードを聞いたことがないから、もしかして特殊なのかなと思うんですけれど...。やりすぎると脳がパンクするので良くないなって思うんです。映画とかも観ながらずっと頭の中で描写してしまうので「あー、邪魔だ」ってなる時があるんです。

――中学生になってからの読書生活はいかがですか。

 「ハリー・ポッター」がまだ好きでしたね。他には「十二国記」シリーズや「涼宮ハルヒ」シリーズとかを読みました。森絵都さんや伊坂幸太郎さんを読み始めたのも中学生の時だったかな。児童書から離れて一般書に足を踏み入れるようになって、ラノベと一般文芸をよく読むようになりました。星新一さんのショートショートを読みだしたのも中学生の時で、中高通してすごく読みました。

――相変わらず「本屋チャンス」があったんですか。

 はい。「本屋チャンス」でどんどん買って、当時のラノベをたくさん読んだ記憶があります。でも、中学生の時に読んだのか高校生の時に読んだのか、結構記憶が曖昧です。あ、森さんの本は学級文庫にいっぱいあったので読みました。『永遠の出口』とか『カラフル』とか『DIVE!!』とか。
 そういえば高校生の時、あさのあつこさんの『NO.6』を間違えて2巻から読んでしまったこともありました。『NO.6 2』とあったからそういう表現なのかなと思って(笑)。読み始めて「なんか変だな」と思いながらもそのまま読んでしまって、後から「あ、続篇だ」って気づきました(笑)。

――読む本はどのように選んでいたのですか。

 高校生の頃は「本ならなんでもいい」というメンタルで、本屋さんで目を閉じて本を選んだりしていました。自分の趣味じゃないものも読みたかったんです。なんか、全部楽しもうと思って。楽しめないとしても、どこがいいかちゃんと考えよう、みたいな。
 好きな本って自分が好きだからいいところが分かるだけで、自分が面白くないと思ったものでも評価されていたり人気があるってところが絶対にあるから、それはどこかちゃんと分析できるようになりたいな、みたいな気持ちがありました。なので、人に勧められるものを優先して読んだりもしていました。それで、伝記とかノンフィクション系とか、谷崎潤一郎とか太宰治とか森鴎外といった文豪の本も読むようになりました。
 通っていた高校が図書室が充実していたんですよ。私、高校を選んだのは図書室が決め手だったんです。

――いろんな本を読むなかで、意外な発見があったりもしましたか。

 図書室の司書の先生が私のために新しい本をいっぱい入荷してくれて、いろいろ読んだんですけれど、それで、自分には本格ミステリーは向いていないんだって思ったのは憶えています。私の頭では追いつけない、と思いました。登場人物の感情が描かれている部分は好きなんですけれど、トリックにそこまで興味が持てなかったというか。それで、シャーロック・ホームズなどもそれほど読んでいなくて。あまりミステリーを通らずに来てしまいました。でも、宮部みゆきさんや東野圭吾さんはたくさん読んでいたので、感情が絡むミステリーが好きなんだと思います。宮部さんは『火車』みたいなミステリーだけじゃなくて『ブレイブ・ストーリー』のようなファンタジーや『ICO』のようなゲームのノベライズも書かれていますし、どれも好きです。弟は人生で一番好きな本は『ブレイブ・ストーリー』だと言っているんですが、それは私が買い与えました(笑)。
 それにそれこそ、辻村深月さんはずっと好きですし。

――武田さん、辻村さんと「小説現代」で対談されていましたよね。すごく好きなんだなと伝わってきました(笑)。

 辻村さんは、高校の図書室にデビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』が置いてあったんです。それがもうめちゃくちゃ好きでした。学校で辻村深月さんブームがすごくて、みんな読んでいました。
 話すうちに思い出してきましたが、高校生の頃に京極夏彦さんもすごく好きで読んでいました。『塗仏の宴』とか『魍魎の匣』とか、スクールバッグの中に入れると鈍器のようで(笑)。文庫ですらこの重さなんだと思いながら持ち歩いていました。
 それと、綿矢りささんも好きでした。綿矢さんがデビューされたのって私が小学校高学年の頃だったんです。小学生だからまわりは読んでいなかったんですけれど、私は読んで「わーっ」となって。私には刺さったんですよね。綿矢さんがいなかったら、その後も純文学は読んでいなかったと思います。小学生で「高瀬舟」を読んでも全然分からなかったし「羅生門」を読んでも「何が書いてあるんだろう」と思ったけれど、綿矢さんは読んで共感できたので、「現代ではこんな形で世の中に適応して純文学というものが受け継がれているんだな」「そんな堅苦しいものじゃないんだな」というようなことを思いました。

――17歳でデビューした人がいると知って、「10代でも書いて応募していいんだな」というようなことは思いませんでしたか。

 ああ、小学生にとって高校生は大人なので、単純に「うわー、すごいー」って思っただけでしたが、でもやっぱり「本って書いていいんだ」と思いました。読むものじゃなくて書けるものなんだな、って。

――実際、創作活動はどうでしたか。

 高校で文芸部に入って書くようになりました。定期的に出している部誌に小説を掲載して、それを雑誌にして文化祭の時などに配布していたりしました。今と同じような、現実を舞台にした話で、自分で言うのも何ですが、クオリティーは高かったと思うんです。でも、好きな作家さんの影響が若干出過ぎていたかと(笑)。
 人に読ませるという経験という意味では、すごく仲のいい友達に「連載」と言って、毎日勝手に通学前にメールで小説を送り付けていたことが大きかったかもしれません。

――お友達は、感想はくれたんですか。

 はい。その子は今でも感想をくれます。その子は小説は書かないけれど、読むのが好きだったので一緒に文芸部に入ったんです。当時は廃部寸前でほとんど活動がなかったんですけれど、今はすごく活気があるみたいです。
 部誌は、たぶん先生が近隣の中学校にも配っていたんです。そうしたら、私が書いたものが好きで高校を選んだ、みたいな子もいて。「部誌で作品読みました」とか言われたりして。高校生だったので、やっぱりびっくりしました。「そんなことある?」って。「部誌に書いていた小説、あれはもう売ってる本じゃん」とかも言われたりもして。

――売ってる本のレベルだってことですよね。その頃、新人賞に応募しようとは思わなかったのですか。

 全然。発想がなかったです。自分の本が商品価値があるレベルとは思っていなかったんです。「まだ早いな」という気持ちが強かった。友達に読ませるためだけに書いていたので、ネットで発表するということも1回もしたことがないです。
 だから幻の長篇があって。友達に読ませるためにラノベを連載して完結するまで書いたものが原稿用紙で700枚くらいあったんですよ。でも「未熟だな。これが残っているのは嫌だな」と思って、新しいパソコンに買い替える時にその原稿のデータは引き継がずに捨てたんです。その子が読んだからもういいや、みたいな感じでしたが、今思うともったいなかったな、と。アレンジして出せばよかったなって思うんですけれど。
 そういうふうに本ばかり書いていたので、高校では一気に成績が下がりました。もう、露骨に下がりました(笑)。

芸人のネタを文字起こし

――日記や読書記録というのはつけていましたか。

 全然。だから何を読んだかあんまり憶えていないんです。あ、それで思い出したんですが、高校生の頃、お笑いブームだったんです。私はすごくお笑いが好きなので、芸人さんのネタを文字起こしして分析したりしていました。何が面白いと感じるのか、ちゃんと自分で分からないと嫌だったんです。でもやっぱり文字じゃ面白くないんですよね。間とか喋り方とかが文字では表現できないので。「あ、これを小説にそのまま持ってきても駄目なんだな」って思っていた記憶があります。お笑いの影響はすごく大きい気がします。

――へえー。お笑い芸人さんは、どの方たちが好きなんですか。

 オードリーさんがすごく好きで(即答)。当時、2008年とかなんですけれど、ちょうどナイツとオードリーとNON STYLEがM-1グランプリで決勝に残った頃ですね。「レッドカーペット」とか「レッドシアター」とかの番組もすごくありがたかったです。
 それで高校生の頃はよく文字起こしをしていたんですけれど、キャラの立て方はすごく勉強になりました。自分はなぜこの芸人さんが好きなんだろうって思った時に、「ああ、こういうキャラだから好きなんだ」とか、「こういうやりとりのここがいいんだ」とか分かるんです。オードリーさんはネタそのものは文字に書き起こすと本当の面白さは伝わりにくいんですが、ラジオを書き起こすとすごく面白い。文章そのものが面白くなるんです。芸人さんって、媒体で見せ方をちゃんと分けているんだなあって。

――若林さんは読書家だしご自身でも本を出しているし、文章も上手いですよね。そういうのも追いかけていますか。

 いやもう、怖いくらい追いかけてて(笑)。もうなんか、ひどいです。はじめてオードリーさんを見たのが2008年の「ぐるナイ」番外の「おもしろ荘へいらっしゃい!」っていう深夜番組だったんです。ふたりがテレビで漫才を披露したのはそれがはじめてで、そこから追いかけているので、もう10年以上ラジオを聴いて、DVDを買っていることになります。高校時代は出演番組は全部録画していました。でもオードリーさん、当時400本くらい出演していたので全然追えなかった。今はもう、「あちこちオードリー」などの彼らがメインのテレビ番組とラジオを追いかけているくらいなんですけれど。でも、若林さんの出した本は何回読み返したか分からないくらい読み返しました(笑)。
 私、笑うことが大好きなので、今もテレビで第七世代とかが出ていると見ちゃいますね。

――注目しているのは。

 四千頭身さん。3人とも好きですけれど、後藤さんはすごいとシンプルに思っていて。あとは宮下草薙さんも、若手であんな間の使い方するんだっていう衝撃があります。キャラクターありきの漫才というか、当人以外が同じネタをやっても面白くないじゃないですか。そういうネタが好きで...って、普通に「面白かった」だけを伝えたいのに、私、分析癖がひどくて、こういうふうに分析的に言うのはよくないなって反省するんですけれど。私はネタとか作れないし、人を笑わせるのって一番難しいことだから、本当にすごいなって思っています。

――芸人の方で、エッセイや小説を出す方もたくさんいますよね。

 コントを書く人は本を書くのも上手そうと感じていたので、自然に受け入れて読んできて、家に大量に芸人さんの本があります(笑)。最近では阿佐ヶ谷姉妹の『のほほんふたり暮らし』が大好きで、人に布教しまくってました。

――ご自身で振り切ったコメディ小説を書きたいとは思いますか。

 コメディって難しいんですよね。結局、会話で笑いを取りたい気持ちはあるので小説でも結構そういう会話を盛り込むようにはしているんですけれど。とはいえ、本職の方たちは本当にすごい。5分のネタのために何百時間とかけているかと思うとやっぱり「すごい」と思いながら見てしまいますね。

――それにしても、そこまでお好きだとは知りませんでした。

 私、作家になったらやりたいことの3本柱みたいなものがあるんです。ひとつが「学校の試験問題に使用される」で、2つ目が「賞を獲る」で、3つ目が「若林さんに帯文を書いてほしい」で(笑)。ただ、試験問題はすぐに叶ったのですが、3つ目は叶わぬ夢だなと思っています。10年追いかけていると、最初のうちは「ラジオこの先も続くかな」って心配していたのが、どんどん「すごい。追いかけよう」という気持ちになっていて。ずっと第一線で人気の方だし、そういう依頼も殺到しているだろうし。私、追っかけているから重々承知しているんですが、もう、とんでもなく忙しくされていますよね。なのでひっそりと人生の目標として掲げておこうと思います(笑)。

大学時代にプロデビュー

――大学に入ってからは変化はありましたか。

 大学に入ったらいっぱい応募しようと決めていたので応募して、1年生の時にデビューが決まったんですよね。私、先ほど言った700枚のライトノベルのせいで一浪しているんですよ。授業中にそれを書いていたので(笑)。身体が弱くて通学時間に耐えられなかったということもあったんですけれど。それで、こんなことを言うのもあれなんですが、浪人生活がめちゃくちゃ楽しかったんです。ずっと本を書いて本を読んで、テスト勉強をちょっとしてという超充実した1年で、その時にいっぱい本を書いていたので、翌年大学に入学して速攻でデビューできたのもそのおかげかなと思ったりします。

――2012年に宝島社の「日本ラブストーリー大賞」に応募した『今日、きみと息をする。』が最終選考に残り、「隠し玉」として翌年刊行してデビューされたわけですよね。

 大学に入ってから、新人賞の年間スケジュールを立てたんです。1年間に5個書いて5個応募しようと思っていて、新人賞の締切を全部まとめているサイトのリストの上から順番に応募することにして。その最初に締切があったのが日本ラブストーリー大賞だったので最初に送ったんです。「すばる」とかにも送るつもりだったんですけれど、先にデビューが決まったんです。

――2013年には第2作となる『響け!ユーフォニアム』を刊行しましたよね。これがシリーズ化していきなりアニメ化も決まって...って、怒涛の大学生生活だったのでは。

 自分でもびっくりしました。とんとん拍子すぎて、みたいなところがありました。だから文芸サークルにも入らなくて、美術サークルでイラストを描いていました。学生時代、本について熱く討論するといったことは全然なくて、いろんな先輩にアニメや漫画を貸してもらって、毎週友達の家に泊まって映画の鑑賞会をして。

――作家であることについては、周囲から何か反応はありませんでしたか。

 4回生の時にアニメ化されたので、それからは、もう大変で。でもそれまでは全然、身近な友達にしか言ってなかったんです。他の人たちには「バイトめっちゃしてる奴」とか、「絵を描いている子」という印象が強かったかも。
 アニメ化のタイミングでシリーズを3冊くらい一気に出す予定で、そのことは誰にも言わず密かに仕事をしていたんです。やっぱりもうSNSとかがあったので、誰かがうっかり「アニメ化するらしいよ」と漏らしたら終わりなので、誰にも言えなかったんです。だから私が作家だと知っている子たちにも「もう次の本は出ないんだな」って思われていたかもしれません。でも、隠すというよりも、言うほどのことでもないなという気持ちが強かったかな。本を書くのも楽しいバイトのような感覚だったので(笑)。

――楽しいバイト(笑)。

 私は小学生くらいの時から、兼業作家になるつもりでいたんです。「作家になる=兼業作家になる」だと思っていたんですよ。もう割り切っていて、新人賞に応募するのも、駄目でも働きながら5年とか10年とか送り続ければいいというくらいのテンションで、専業になりたいとは思っていなかったしなれるとも思っていませんでした。日本ラブストーリー大賞でも大賞を獲ったのではなく「隠し玉」だったので、気楽といえば気楽だったんです。だから、本を書くのはすごく楽しいバイトだなと思っていました(笑)。

――アニメ化の話が来た時は「うわーすごい!」とはなりませんでしたか。

 もう、それはなりました! 電車に乗りながら提出期限が迫った論文のために参考文献を読んでいたら編集から電話がかかってきて、「アニメ化決まったんだけど」って言われて、「なんで」って。「なんで」が第一声だったんですよ(笑)。

――しかもそれ、まだデビューして第2作を出したばかりの頃なわけですものね。

 本も売れてもなかったので、本当に「なんで」みたいな。アニメ化って売れている本が選ばれるんじゃないのかと思って、びっくりしました。本当に運がいいんです。

デビュー後の読書、作家仲間

――アニメーションで好きな監督や作り手はいましたか。

 幾原邦彦監督がすごく好きです。「少女革命ウテナ」の監督で、「美少女戦士セーラームーン」の総監督もされた方で、もうドはまりしました。「輪るピングドラム」がすごく好きです。ゲームが好きなので、「逆転裁判」の巧舟さんのシナリオも大好きですね。アドベンチャーゲームが特に好きなので、ライター買いすることが多いです。
 自分の好みを排除して本を選ぼう、みたいなのは大学生の時は顕著だったかもしれません。大学に通っているからにはちゃんと元を取ろうと思って、図書館でいっぱい本を借りたんです。家には絶対にない本を読もうと思って、落語とかシェイクスピアもむちゃくちゃ読みました。新書も結構読んでいましたが、それも偶然性に期待して「目についたものを読む」ということをしていたので、すごく知識に偏りがあります。
 私は美学芸術学科という、芸術学の専攻で東洋美術を専攻していたので、それが大きかったかもしれません。大学一雑な学科と言われていて、なんでもありだったんです。演劇学とか広告学とか、教授のやりたいことをなんでも授業にするみたいな感じで、脚本を分析する授業とかは役に立ったかなと思います。それで脚本系の本もいろいろ読みました。

――それにしても、読むのは速いのではないですか。

 速いほうだ思います。速読はできなくて、普通に読むだけですけれど。

――プロとして小説も書いて、本も読んで、他にもいろいろ吸収して...。でも武田さん、学費と生活費のためにアルバイトに明け暮れている女子学生が主人公の『愛されなくても別に』についてお話おうがかいした時、ご自身も学生時代にかなりアルバイトしていたっておっしゃっていましたよね。

 バイトもしていました。「学費高いからな」っていう気持ちがあったし、奨学金ももらっていましたがそれは貯めていましたし。逆にいうと、授業は最低限しかとっていなかったです。他の子は教員免許や学芸員の資格を取るための授業も受けていましたが、私は1時間も多く取りたくないという強い意志があって(笑)、たしか単位も卒業に必要な数ぴったりで卒業しました。

――では、大学を卒業してからは。

 そのまま上京して、専業になりました。2か月だけ就活をやったんですけれど、アニメ化の仕事に追われていたので、ひとつも面接に行かないまま終わりました。「これでは就活は無理だな」と思って諦めて、専業になろうって決めました。

――大学卒業と同時に京都から東京にきて、専業になって、読書生活は変わりましたか。

 好きな作家さんしか読まなくなってしまって。それがひとつの懸念でもあるんです。だから一応、背表紙買いも心掛けています。何冊かは、書店の棚差しを見てタイトルだけ見て選んだものを読む。でもそれだと、あさのあつこさんの『No.6 2』の時のように、下手すると何かの続篇を買ってしまうこともあります(笑)。
 それと、知り合いの作家さんの本をたくさん読むようになりました。それはまた違う条件で選んでいることになるので、幅が広がったかなと思います。

――そういえば、ちょっと前に辻堂ゆめさんと青崎有吾さんと集まったことをツイートされてましたよね。同じ賞の出身同士といった接点はないけれど仲良しなんだなと思って。

 そうなんです。私自身は全然作家さんの知り合いを作りようがなかったんですが、『このミステリーがすごい!』大賞が同じ宝島社の賞なので、宝島社経由で知り合った岡崎琢磨さんが飲み会を開いてくださって、青崎さんとゆめちゃんはそれが接点で知り合いました。上京してからずっと、3か月に1回くらいは会っているのでもう結構長いです。青崎さんが顔が広いので、そこから相沢沙呼さんや斜線堂有紀さんたちにもお会いする機会もありました。
 それと、このあいだ「ダ・ヴィンチ」の企画で阿部智里さんと対談させていただいたんです。そうしたら、衝撃的なくらい本の趣味が一緒でびっくりしました。

――ああ、阿部智里さんも小学生の時に「ハリー・ポッター」に夢中になった方ですよね。

 「この本が好きで、この本も好きで」って、何を言っても通じるから途中から怖くなるくらいでした。世代も近いし、浴びてきたものが一緒なんだろうなと思って。荻原規子さんの『西の善き魔女』とか上橋菜穂子さんの『獣の奏者』とか『精霊の守り人』とか。あまりに話が合うのでびっくりして、じゃあどこが二人の分岐点だったのか探ろうということになって、私が『ロード・オブ・ザ・リング』を挫折していたので、そこじゃないかという話になりました。前から阿部さんとは話が合う気がしていたので、「ダ・ヴィンチ」で対談の機会を作ってもらえてありがたかったです。

――阿部さんの「八咫烏」シリーズの第二部第一巻『楽園の烏』が刊行されるタイミングの対談だったんですね。

 そうなんです、それで発売前に最新刊を読ませてもらえて役得でした。当たり前ですけれど、好きなエッセンスが取り込まれていて。私はやっぱりファンタジーが好きで、自分でも書きたいんだけれども、そんな仕事の流れにならないまま来ちゃった、という感じなんです。だから、『楽園の烏』もすごく面白くて、「ああ、こうなるよね」とか「ああ、あれあやりたかったんだろうな」とか思いながら読みました。

アイデアに執筆が追いつかない日々

――今、日々どんなタイムスケジュールで過ごしているんですか。

 本を読む日を決めていて、それ以外はほぼ書いている感じです。基本、朝9時に起きて夜10時くらいまでパソコンに向かっています。でもその間にだらだらしているので、ずっと本を書いているわけでもないです。読む時は、午前中は本の日、と決めて読むようにしています。

――読み始めて夢中になって止められなくなったりしませんか。

 「途中で止められない」となったら午後も読むことにしたりして。これまで本はだいたい一回読み始めたら読み切っていて、途中で止めるってあんまりしたことがなかったんです。でも、大人になると、どうしても忙しくて「全部読み切れない」となって、人生で初めて中断をおぼえたという感じです。社会人になってそれを経験した時に、「あ、こういう読み方をする人もいるから、やっぱり引きをちゃんと気をつけなくちゃいけないな」って思いました。

――資料を読むことも多いのでは。

 ああ、もう家が参考資料だらけです。でも、資料本がないような題材を選ぶことが多いので、自分が取材した資料が多いです。高校の部活の話などは、本を読むより関係者に話を聞くほうが圧倒的に得るものが多いんです。だから、自分の母校にすごく助けられています。相談したり、アンケートを取ってもらったりして。
 参考資料でいえば、画集や写真集もすごく見ます。結構、絵の構図とか、PVとかにも影響されますね。

――好きな画家は。

 河鍋暁斎という日本画家が好きで、それが卒業論文でした。明治期くらいの人で、当たり前ですがすごく上手なんですよ。あとは岡本太郎さんもすごく好き。東京に来た時、渋谷駅に岡本太郎さんの「明日の神話」というすごい絵があって「東京すごっ!」って私は思ったんですが、みんな絵を観ずに通り過ぎていくのが衝撃で。「東京って贅沢だな」って思いました。

――絵とかPVが、どういうふうに小説執筆に影響を与えるんでしょうか。

 演出、みたいな。こういう曲の時にこういう演出をするってことは、みんなこういう共有イメージを持っているんだな、とか。「なるほど、なるほど」みたいな感じで。

――ちなみに好きな映像クリエーター、もしくは好きなミューシシャンのPVなどはありますか。

 私、川谷絵音さんが好きで、川谷さんのバンドはほぼ好きです。川谷さんが芸人さんたちと組んでいるジェニーハイのボーカルが中嶋イッキュウさんという、tricot(トリコ)というバンドのメンバーなんですが、私、もともとtricotがすごく好きなんです。好きなバンドの人が好きな川谷さんとコラボしているので、もう「好き」の何乗かになっていて、よく聴いています。

――武田さんは吹奏楽部の『響け!ユーフォニアム』やカヌー部の『君と漕ぐ』や高校生がゲーム実況に参戦する『どうぞ愛をお叫びください』といった何かに打ち込む姿を描いた作品のほか、学校の屋上から飛び降りた女子生徒とクラスメイトたちそれぞれの歪んだ感情を浮かび上がらせる『その日、朱音は空を飛んだ』や、先ほど言った『愛されなくても別に』のように大学生の現実や母娘問題に切り込んでいく話など、青春小説といっても切り口や読み心地が違うものを書かれますよね。

 私としては本を書くって「絵を描く」というイメージに近いんです。何の絵を描くかと、何の画材を使うかを作品ごとに分けているんですね。
 最初に「こんな感じのものがある。作りたい」というのがある。たとえばイヤミスとか、ちょっと純文学っぽいものとか、明るいシリーズものとか。そこからモチーフを絞って、女子高生ものとか親子ものとかを決めていく。で、それに適した文体を、絵の具みたいに選ぶんです。それをやっていると、今度は「あの文体で書きたいからあのモチーフにしよう」というのも出てきます。単純に飽き性なんですね。
 で、「あれやりたい」「これやりたい」が沢山出てきちゃって、それを一個ずつ片づけているんですが、アイデアに対して執筆が間に合わなくて。早く書きたいんですけれど、1年で4~5冊が限界だな、みたいな。本当は休みたい気持ちもあるんですけれど、全然間に合わないんです。

――アイデアは、創作ノートみたいなものを作っておくんですか。

 Wordにメモってあります。プロットごと。他は、スケッチブックをメモ帳にして、そこに書いたりもしています。

――この先もアイデアが枯渇することはなさそうですね。今後のご予定を教えてください。

 11月に『放課後探偵団2』というアンソロジーが創元推理文庫から出るのですが、そこに参加しています。メンバーが私と辻堂ゆめちゃんと青崎有吾さんと斜線堂有紀さんと額賀澪さんで、なんかもう、知り合いを集めたようで(笑)。それと、冬に単行本が1冊出る予定になっています。