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吉田健一訳「訳詩集 葡萄酒の色」 中原中也の響き濃厚に 国書刊行会・礒崎純一さん

 大学生時代に1年間ほど、毎日、吉田健一の本ばかりを読んでいた時があった。だから、吉田健一の1冊をあげるとなると、評論『文学の楽しみ』や『ヨオロッパの世紀末』でも、小説『東京の昔』や『残光』でも、随筆集『乞食(こじき)王子』や『書架記』でも、あるいは博物誌『怪物』でもどれでもいいのだけれど、ここに選んだ『葡萄酒(ぶどうしゅ)の色』は訳詩集である。本書は岩波文庫を含めて3度ほど本になっていて、私が愛読したのは瀟洒(しょうしゃ)なフランス装の小沢書店版だった。

 『葡萄酒の色』には、英仏の詩人13人の詩が収まっている。有名な第18番「君を夏の一日に喩へようか」で始まるシェイクスピア「十四行詩抄」の匂いたつような訳業もすばらしいが、とりわけ私が愛読してやまなかったのはラフォルグの「最後の詩」だった。27歳で死んだこの仏世紀末詩人の絶唱の訳詩ぶりには、吉田健一が若い時から愛誦(あいしょう)していた中原中也の詩の響きが濃厚に漂っているようだ。吉田健一には同じラフォルグの短編集『伝説的な道徳劇』の訳もあって、これらふたつの翻訳をたしか小野二郎は世界文学史的な事件と讃(たた)えていた。

 吉田健一は、詩をめぐって多くを語り、『詩に就(つい)て』や『詩と近代』『近代詩に就て』といった著作も持つものの、自分の詩を発表したことはついぞなかった。けれども、この薄い1冊の訳詩集は、吉田健一がどれだけすぐれた詩人だったかを明晰(めいせき)に語っていて、「文学は言葉である」ことをこれほど教えてくれた本はなかった。=朝日新聞2020年11月11日掲載