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牧野修「万博聖戦」書評 子ども時代への扉を開く、奇想満載のSF

文:朝宮運河

 1980年代に書かれた初期短編「召されし街」以来、牧野修は一貫して〝世界と意識の変容〟を描いてきた作家だ。『月世界小説』以来、約5年ぶりとなる新刊『万博聖戦』(ハヤカワ文庫JA)は、そんな牧野ワールドの集大成ともいえる作品。あの大阪万博は子どもと大人の戦場だった、という独創的なアイデアを核にすえたSF巨編である。

 大阪万博開催を目前に控えた1969年、中学一年生の森贄人(=シト)と親友の御厨悟(=サドル)は、自分たちを取りまく空気が少しずつ変化していることに気がついた。街から何人もの子どもが姿を消し、治安を守るために自警団が結成される。カリスマ教育評論家に率いられたコドモノヒ協会が影響力を強め、子どもたちの言動に目を光らせる。サドルがいち早く指摘したとおり、「オトナ人間」による侵略が進行しているらしい。

 危険を感じた一部の子どもたちは、体をぐるぐる回転させることで身につく特殊能力を駆使し、オトナ人間の侵略に抵抗する。彼らが大人になることを拒むのは、子どもらしい「馬鹿みたいな」心を失いたくないからだ。しかし次々と捕らえられ、矯正施設めいた病院に閉じこめられてしまう。大人にとって居心地のいいクリーンな世界が、子どもにとってのディストピアとなる。本書で描かれているのは、そんな対立構造だ。

 翌年、シトとサドルは同学年の少女・波津乃未明をともない、一路大阪を目指していた。万博会場を訪れる約七千万の人々が、オトナ人間に憑依されるのを防ぐためだ。戦後、ひたすら膨張を続けてきた大人たちの欲望と、子どもたちが抱く未来へのワクワク感。相容れないふたつの価値観が、未曾有のお祭り騒ぎの中で、激しくぶつかり合う。万博のさなか太陽の塔に籠城した男がいた、という史実をシトたちの物語に絡め、SF的奇想もふんだんに織りまぜながら〝もうひとつの1970年〟を描いてゆく手腕は圧巻の一言。

 物語後半の舞台は2037年。度重なる災害や経済危機を乗り越え、最先端のVR技術によって巨大なアミューズメント都市に変貌を遂げた大阪は、二度目の万博・エキスポ大阪2037の誘致に成功する。読者はこのけばけばしいバーチャル都市で、年齢的にはすっかり大人になったシトとサドルに再会するはずだ。彼らの心はまだ子どものままか、それとも年相応になっているのか。それが後半のポイントである。

 クィア・クランと称する自警団を率いる性別不明の松露夫人、天才的プログラマーの鰐小路姉妹、巨大な裁ち鋏をもった殺し屋、ヌートリアとともに地下世界に住む男など、際立った個性のキャラクターが次々と登場し、ビザールな世界観を作りあげていく。SFとホラーの両ジャンルで長年活躍する牧野修は、こうした異様にカッコいい物語を紡ぎ続けてきた人でもあった。

 大人と子どもの対立というシンプルな、だからこそ扱いが難しいテーマに著者がどんな答えを用意したのか、ここで述べるわけにはいかない。しかし間違いなく言えるのは、これは世界の変容についての物語であり、読む者の意識を変容させてしまいかねない、危険なフィクションということ。この本を手にする人は、自らも「聖戦」に巻き込まれる覚悟が必要なのだ。

 私自身は大阪万博後に生まれた世代だが、まったく問題なく本書を楽しむことができた。万博は知らなくとも、かつて子どもだった経験はあるからだ。本書には、体をぐるぐる回転させるだけで楽しかったあの頃の感覚が、大人になった今では失った「永遠」が、確かに刻印されている。めくるめく奇想が子ども時代への扉を開く祝祭のような物語を、ぜひとも味わってほしい。