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関取花さん初エッセイ集「どすこいな日々」インタビュー 音楽活動の合間の喜怒哀楽たっぷりな日常

文・土佐有明 写真:山田秀隆

 関取花を初めて知ったのは、爆笑問題のラジオ番組でだった。「2時間男になれるとしたらなにをしますか?」というお題に「風俗行きます。賢者タイム入れてちょうど2時間」と回答。他のインタビューでも「やたら倒置法で話す男はナルシスト」など名言を連発。テレビ番組「行列のできる法律相談所」では、駅でいちゃつくカップルを僻んだ「べつに」という曲がクローズアップされ“ひがみソングの女王”と紹介されていた。

 だが、実際にアルバムや曲をフル尺で聴いてみると、そうした先入観は雲散霧消した。「べつに」のような一発ネタはアルバムやEPに1曲か2曲程度。他の曲は、爽やかで清々しいヴォーカル、ポップでキャッチーな楽曲、スマートで洗練されたアレンジなどが際立っていた。特に楽曲の普遍性はずば抜けており、かつて「関取さんの考えるポップスの定義は?」と彼女に聴いたところ、「一度聴いたら忘れられない曲」と言っていたことを連想する。その平易で明瞭な歌詞と覚えやすいメロディ・ラインは、NHKの「みんなのうた」で採用されたのも納得できる。J-POPとしてのクオリティも高く、アコースティック・ギターを使った弾き語りも極上である。

 ちなみに、関取は幼少期にドイツと中国で過ごした。高校生の時に軽音楽部に入って音楽活動を開始。大学時代に「閃光ライオット」という10代のアーティストが参加する音楽コンテストで審査員特別賞を受賞した。出場したのは2009年の回で、GLIM SPANKYらも名を連ねていた。その後しばらく表立った音楽活動はなかったが、神戸女子大学のCMソングとなった「むすめ」が高く評価され、認知度を上げた。その後は徐々にファンを増やし、昨年メジャー・デビューを果たした。

 その関取、ブログなどに掲載されたエッセイも秀逸である。ざっくばらんでユーモラス、化粧を一切せずにすっぴんで筆をとったようなエッセイは、日常の些事を綴ったものがほとんど。カリスマとして崇拝の対象になるよりも、共感されるミュージシャンでいたいと常日頃から話している彼女らしいエッセイが並ぶ。

 ドラマティックな森ガールファッションに傾倒していた頃の話、美容院でファッション誌ではなくグルメ雑誌を差し出された話、ラーメンのすすり方を練習していた話、移動の時に暇すぎてひとりしりとりをした話等々は、どれも等身大の彼女のキャラクターが伝わってくるもの。

 『どすこいな日々』の前書きで彼女が〈誰から見てもキラキラしているような思い出や、わかりやすくドラマチックな出来事とかでは決してありません〉と書いているが、ふとした瞬間に思い出し笑いをしたり、胸の奥がじんわりしてくるようなエピソードはどれも魅力的だ。

 そうした話が多くを占める一方で、学生時代からの友達がこっそりチケットを買ってライヴに来てくれたり、サイン会に並んでくれたりといった話も落涙もの。また、ストレスが原因で声が出なくなってしまった時期に、あえてラジオのメイン・パーソナリティの仕事を引き受け奮闘したり、ライヴでの歌声が万全でない時にMCの比率を多くして凌いだり、落ち込んだ時の自分の心境もあけっぴろげに開示する。曲が出来ない時の産みの苦しみもなにごともなかったように綴っているのだ。そんな関取の文章が編集者の目に留まり、3編の書下ろしを加えた本書が完成した。

エッセイは音楽で埋められなかった所を埋めてくれる

――まとまった文章を書き始めたのはいつ頃?

 大学でエッセイを書く授業をとったのがきっかけでした。生徒が20人もいないような授業で、今小説家をされている方が先生でした。エッセイは先生にすごく誉められて、「君は何か(表現を)やってるの?」って訊かれて。「エッセイ、すごく面白いから、自分の為にでもいいから書き続けてみてください」って言ってくださって。人生で初めてだったんですよ。授業が楽しい、勉強が楽しいっていうのは。締め切りに間に合わせるためになんとかやる、というのじゃなくて、もっとこうしたいああしたいというのが出てきて徹夜するという。書いている時はもうずっとアドレナリンが出ている状態で。そこから1カ月に1回くらいブログを更新するようになりました。

―――その時はどんな話題を?

 醤油バターご飯が好きだという話、鳩が嫌いになった話、実家のお湯が止まった話とか。その時はそれが誰かに見られているか考えてなかったんですけど、ミュージシャンの仲間がツイッターで引用RTしたりしてくれて。花ちゃんのブログが面白いってアピールしてくれたんです。劇作家の鴻上尚史さんもずいぶん前から文章を誉めてくださっていて。

――歌詞を書いて、テレビやラジオで喋って、ライヴではMCをし、エッセイを書く。この中でのエッセイの位置づけは?

 話すと長いものとか、文字で書いたほうが勢いが伝わるなっていうものはブログに書きます。テレビやラジオだと、テロップがついているとある程度伝わるんですけど、意外と早口になっちゃって伝わりづらいので。あと、ライヴでマイクにリヴァーブがかかった状態でMCをやると、意外と詳細がお客さんに聴き取ってもらえない。そういう時はブログに書いたり。

――テレビやラジオに出るのは、音楽をより広く聴いて欲しいから?

 メディアで自分の個性を見せることで、音楽も聴いてもらえると嬉しいですね。自分の中身も知ってもらったほうが、結果的に長く楽しく音楽を続けられるだろうなって。『どすこいな日々』はそういう意味では、音楽で埋められなかった箇所を埋めてくれましたね。パーソナルなこととか、他のメディアではうまく説明できなかった部分とか。ゆくゆくは、私の曲を知らなかった方たちに音楽が届いて、その後に本を読んで「実は花ちゃんってこんな人だったんだ」と思ってもらえたらいいですね。

向田邦子のエッセイに導かれて

 彼女の音楽は、一般的にはJ-POPに括れるものだが、一方で、キャロル・キングやジョニ・ミッチェル、ジュディ・シルといったアメリカのシンガー・ソングライターからの影響も感じさせる。ジュディ・シルは2枚のアルバムを発表した後に音楽シーンから消え、1979年に薬物の過剰摂取によって他界したヴォーカリストで、作品が再発されて人口に膾炙したのはここ10年くらいの話だ。マニアックといえばマニアックな存在で、彼女から触察されたというソロ・ミュージシャンはあまり聞いたことがない。

 そうしたリファレンスがあるからか、コード感やアレンジなどの細部には音楽通をも唸らせる企みや仕掛けも含まれている。例えば関取のライヴでは、彼女が歌いながら“ゾーンに入る”ような瞬間があり、関取と曲の雰囲気が一体になっていることが分かる。そのアーティスト然とした佇まいは、ファム・ファタル的とも言えるだろう。

 一方、曲が終わると彼女なりのくだけたMCが始まる。ざっくばらんなMCだが、ライヴでの主役はあくまでも曲であり演奏。そこまで長時間あけっぴろげにトークを続けるわけではない。だが、『どすこいな日々』は自称「ダメなやつ」を公言する彼女の、ある種自堕落なキャラクターは「自分もそういうこと、あるある」と思わせてくれる。アーティストとしての真剣極まりない表情と、エッセイで見せるすっぴんの表情は、まるで別人格……とまでは言わないまでも、どちらか一方しか知らないファンにとっては、音楽が先でも、エッセイが先でも、彼女のアザー・サイドを見ることになるはずだ。

――影響を受けているエッセイストはいますか?

 向田邦子さんですね。さっきお話しした大学の授業で、先生が色々なエッセイストを紹介してくださって。スライドを使って授業をしてくださって、向田邦子さんの写真が映って。「なんてキレイな人なんだろう!?」ってびっくりしました。写真だけで、「あ、この人好きかも」って思って。そこから彼女の人柄に興味を持つようになって、おのずとエッセイを読みました。エッセイってその人の人柄とか考え方に興味があるから読みたくなるものだと思うんですよ。

――影響を受けたのはどんなところ?

 意識的にというのはないんですけど、どこかで影響は受けてますね。言葉のリズム感、句読点の使い方、比喩、目の付けどころ……。エッセイって読めるか読めないか、自分の肌に合うか合わないかが1ページとか2ページですぐ分かるんですけど、向田さんは絶対読めるなって。あと、向田さんは「である調」で読点が多いので、そういう面でも癖になっていたりします。20代前半で、いきなり「である調」でブログ書いている子とか周りにいなかったので(笑)、授業の影響で今に至る感じですね。

エッセイは日用品のようなもの

 向田邦子の名前が挙がったのは腑に落ちる。独特のリズム感を持った文体が心地よく、すらすら読めてしまうが、二回、三回と読むうちに、徐々に彼女のひととなりが滲み出ていることに気づく。そして、関取のエッセイにも同じことが言えるように思う。楽曲の歌詞はメロディやアレンジとの整合性をとるために、見たものや感じたことを、ある程度圧縮や省略しなければないらない。だが、エッセイにはそうした制限がないから自由に書けるのではないか、と。

――歌詞とエッセイだとどちらが書きやすいですか?

 実はエッセイは作詞で煮詰まった時の息抜きになっています。文章は机に向かえば絶対何か出てくるっていう確信があるんですよ。歌詞だと、かっこつけようとかいい曲書こうってなる。でも、いい文章を書こうっていうのはないから気持ちが楽なんですよ。

――いい曲を書こうっていうのは昔から?

 昔に較べたらなくなってきてはいるんですけど、でも私の代名詞となる曲を作らなきゃっていう焦りは根底にはまだまだあります。ミュージシャンって多分皆そうだと思います。売れたとしてもそれを超える曲を書かなきゃって思う。もしそれが売れても、今度はこれが私の本質じゃないんだ、本質を書いた曲を聴いて欲しいってなったりする。そうするとどんどん頭でっかちになって、出口が分からなくなっちゃうんです。でもエッセイはもっと生活の延長線上にある感じですね。

――書名は関取さんが考えたんですか?

 最初本のタイトルを『人生なんてネタ探し』にしようと思っていたんです。「もしも僕に」っていう曲の歌詞の一部で。色々大変なことがあっても、何年か経って笑って話せればいいなっていう意味で。でも(版元の)晶文社の方が、「ネタ」っていう言葉はすごく強いから、関取さんのことを知らない方には、自虐的で消費されやすいものに取られてしまうかもって。あと、ネタ探しと言うと、普段から目を凝らしてネタになる話を一生懸命探している人って捉えられちゃう。そうすると当然、盛ってないんだけど盛っているようにも見えちゃうかもしれないなと。

――この本の題材は日常の些事ですが、ドラマティックな出来事が起きることが少ないですか?

 あるのかもしれないけど、そこに自分が面白さを見出すタイプじゃないんだと思います。日常の些細なことのほうがよっぽど面白いって元々思っているので。本当はドラマティックなことも起こっているのかもしれないんですけど、逆にそっちを覚えてない。「あ、そんなことあったね」っていう。

――『どすこいな日々』は日用品のようなものって言ってますね。生活必需品とは違う?

 生活必需品って言ったら冷蔵庫とか炊飯器とかですけど、日用品だったらワサビのチューブくらいですかね。なくても別にいいかもしれないけど、一ヵ月に一回くらいお刺身買った時にワサビついてなかったら、「あ、うちにはワサビないな」って恋しくなる感じ(笑)。

――関取さんにとって、ミュージシャン、関取花の最大の勝負どころ、ターニング・ポイントはいつでしたか?

 エッセイにも書いている通り、10代の時「閃光ライオット」っていうイベントに出たんです。その時にまったく緊張しなくて、ただただ楽しかったんですよ。そのことは強烈に覚えています。目の前に自分の歌を聴いてくれる人たちがいて、しかもその反応が直に見える。それがすごく面白くて、嬉しかった。そのあとで言うと「むすめ」っていう曲を出した時。CM曲だったので当然良いものも悪いものもいろんな反応が返ってきて。でもあまり落ち込まなかったんですよね。歌い続けていれば、いつか伝わる気がするって前向きに取り組めた。そのふたつは大きな転機だったと思います。でも実は本当の勝負どころやターニング・ポイントは、これからなんじゃないかいう気がしていて……。この本が出たり30歳になるというタイミングっていうのもありますけど、これが出て「関取花 第一章」が終わった気がしますね。

――ありがとうございました。第二章を楽しみにしています。