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「共和国と豚」書評 政教分離の裏面に「食卓の分離」

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2020年12月12日
共和国と豚 著者:ピエール・ビルンボーム 出版社:吉田書店 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784905497899
発売⽇: 2020/09/09
サイズ: 20cm/279p

共和国と豚 [著]ピエール・ビルンボーム

 英米の多元主義的な「弱い国家」との対比において、仏独など「強い国家」の「論理」を明らかにしてきた著者が、本書では「弱い国家」への選好を垣間みせる。多様性への寛容さが羨(うらや)ましいのだ。カトリック教会からの分離で実現した国家の非宗教性が、政教分離を認めぬイスラム教徒らの不寛容に転じざるを得ない、現代フランスの悩み。東欧ユダヤ人に出自をもつ著者が、「共和国」の政教分離の裏面を問い、食卓分離を主題化したのが本書である。
 「農民であると同時にキリスト教徒であるフランス国民」にとって、彼らを「長きにわたって陶冶(とうや)してきた」豚食は譲れない一線であり、かねてユダヤ人との、現在ではムスリムとの、見えない「内的境界線」になっている。隣国ドイツやスイスにおいても同様だ。この点、豚食が禁じられるユダヤ人にして啓蒙(けいもう)主義者、モーゼス・メンデルスゾーンが提起したのが、「多様性」の象徴としての「食卓の分離」であった。革命を通じて啓蒙の理想は形を得たが、1905年の政教分離法を頂点とするフランスの公共空間と市民的社交性は、ユダヤ的「特殊小社会」における食卓実践を、遂(つい)に受け容(い)れられないでいる。
 反ユダヤ主義は特有の食肉処理方法(シェヒター)にも向けられた。ドイツでもシェヒター禁止の法制化の動きが盛んだったが、世界に冠たる民主国スイスでは政府レベルでの反対を民意が押し切り、国民投票による憲法改正が実現した。実質的に憲法といえぬ規定が憲法典に置かれる例として著名な「出血前に麻痺(まひ)せしめずに動物を殺すことは、一切の屠殺(とさつ)方法及び一切の種類の家畜についてこれを禁ずる」旧規定がそれだ。
 こうした論点を手がかりに、本書は、近代市民社会に同化しようとする欧州のユダヤ人にとって、食卓が最後の壁であり続けている事実を明らかにする。文章の脱落等の瑕瑾(かきん)はあるが、訳文は読み易く、割注(わりちゅう)が極めて有益、解説も素晴らしい。
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Pierre Birnbaum 1940年生まれ。パリ第1大名誉教授。専門は政治社会学、フランス近代史。