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2020年の文芸界を振り返る 覆う「正しさ」、あらがう魂

金原ひとみさん、いとうせいこうさん、藤野可織さん

世界を書き換える、強さと軽やかさ 

 今年読んだ小説から一作を選ぶとするなら、金原ひとみ「アンソーシャル ディスタンス」をおいてほかにない。コロナ禍による緊急事態宣言が出ていた5月7日発売の文芸誌「新潮」6月号(新潮社)の巻頭を飾り、いち早い文学からの応答として、おそろしいほどに現実を見通していた。

 感染症が広がるなか、堕胎手術を終えた大学3年の沙南と、一つ先輩で入社を控える幸希(こうき)のカップルが主役。交際に反対する幸希の母親は神経質が高じてノイローゼ気味になり、〈コロナはそれぞれ個人が高い意識と正しい知識を持たないと打ち勝てない疫病なんだから〉と言いつのる。反論不能の「正しさ」が抑圧となり、息苦しさを招く。

 大学の卒業式も、沙南の本命だった企業の就職説明会もなくなり、2人が心の支えにしていたバンドの公演は中止になる。絶望を深める沙南は幸希に〈心中しない?〉と持ちかけ、2人はレンタカーで鎌倉へ。

 本気だろうか? 若気の至り? そんなことはどうでもいい。心中すると決めたから、〈この旅行中は一切の欲望を我慢しない〉と決められる。やむにやまれぬ逃避行。逃げるのはコロナから? いや、世間をおおう「正しさ」からだ。連日のように耳にした社会的距離(ソーシャルディスタンス)への抵抗を表すタイトルが、生き死にの瀬戸際で仁王立ちする。

 会えない日々が恋愛への想像をかき立てるなら、その究極のかたちでもある「心中もの」が、時代を超えてよみがえってきたのも必然だったのではないか。

シスターフッド続々

 いとうせいこう「夜を昼の國(くに)」(文芸春秋刊『夢七日 夜を昼の國』所収)ではまさに、歌舞伎や浄瑠璃で語り継がれる江戸時代にあった心中事件の主役、お染と久松が現代によみがえる。ネット上で繰り返されるデマや中傷へと向けられる染乃の怒りはそのまま、〈わたしたちの恋愛と、やったらあかんかったこと〉を好き勝手に消費してきた人間たちへの呪いとなる。

 正しくないもの、不謹慎なものとして「書かれた世界」に閉じ込められた染乃が、怨霊となって現実世界を書き換えようと決意する結末はうつくしい。その性急なまでの力強さや切実さは、今年相次いで書かれた女性同士の新たな連帯を描く「シスターフッド」の物語にも通じる。

 藤野可織『ピエタとトランジ〈完全版〉』(講談社)が書き換えるのは、男性同士で描かれることの多かった「バディもの」だ。名探偵シャーロック・ホームズと助手ワトソンの関係を、「事件誘発体質」の探偵トランジと親友ピエタの女性2人に移し替えた。

 年老いたピエタがトランジに言う〈なんで二人でいるとすぐ恋とか愛とか言われるのかなあ? 別にそんなのどうでもよくない?〉とのせりふは、「こうあるべき」という偏見や抑圧を軽やかにはね飛ばす。

 それに呼応するように、文芸誌「文芸」秋号が「覚醒するシスターフッド」を特集。掲載された王谷晶『ババヤガの夜』(河出書房新社)は、男性社会の戯画であるヤクザの世界を内側から裏返そうとする物語だった。かごの鳥のような暴力団会長の一人娘を救い出す、護衛として連れてこられた女傑の新道依子。作中に吹き荒れる暴力は、男ばかりの「ヤクザもの」とは意味合いがまったくちがう。

 若頭補佐の男に〈この業界はな、こと信用においては聖母マリアさまより泥棒乞食でも男の方が上なんだよ〉と笑われ、依子は決然と言い放つ。〈餓鬼じゃないんだよ。そんなことはとうの昔に知ってる。何が“この業界”だ。世の中みんなそうだろう〉。あきらめなどではない、真っ向からの反逆の狼煙(のろし)だ。

過去の物語をいまに

 現実を書き換えようとする物語が相次ぐ一方、過去の物語をいまに読み替える動きも目立った。英国のブッカー国際賞で最終候補に残った小川洋子『密(ひそ)やかな結晶』(講談社文庫)は初刊が四半世紀前だが、記憶が失われる島で秘密警察の監視を逃れ、隠れ家で暮らす人物たちの寓話(ぐうわ)が現実味を帯びた。

 ステイホームが叫ばれるなか、東北出身のホームレスを主人公にした柳美里『JR上野駅公園口』(河出文庫)が、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞したのも偶然ではない。こちらは初刊が2014年。過去、現在、未来を超えて、物語は何度でもよみがえる。(山崎聡)=朝日新聞2020年12月16日掲載

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