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朝日新聞書評委員の「今年の3点」③ 須藤靖さん、武田砂鉄さん、戸邉秀明さん、長谷川逸子さん、藤原辰史さん

須藤靖(東京大学教授)

①窓辺のこと(石田千著、港の人・1980円)
②時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて(高水裕一著、講談社ブルーバックス・1100円)
③湯川秀樹の戦争と平和 ノーベル賞科学者が遺した希望(小沼通二著、岩波ブックレット・682円)

 ①は初回の書評で取り上げたかったものの、出版後2カ月以内の原則に抵触して断念した。先の見えない時代だからこそ、本書を通じて、この世界を満たしている懐かしさと切なさを思い出してほしい。今年読んだ本の中のイチオシだ。
 なぜ時間は過去から未来に向かって流れる(ように思える)のか。②は、この未解決の超難問に、最新の物理学がどこまで迫りつつあるのかを、丁寧にしかもごまかさず説明してくれる好著。著者の興奮がそのまま素直に伝わってくるような文章が素晴らしい。
 ③は、日本初のノーベル賞受賞者を通して、科学と軍事の関わりの複雑さを教えてくれる。戦後75年が経過し、戦争と平和に対する考え方の世代間ギャップが目立つ今こそ読んでみてほしい。

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武田砂鉄(ライター)

①無敗の男 中村喜四郎 全告白(常井健一著、文芸春秋・2090円)
②わたしはオオカミ 仲間と手をつなぎ、やりたいことをやり、なりたい自分になる
(アビー・ワンバック著、寺尾まち子訳、海と月社・1540円)
③国道3号線 抵抗の民衆史
(森元斎著、共和国・2750円)

 これだけの危機の中でも私利私欲を優先する姿勢と、ジェンダーの問題を軽んじる姿勢と、個々の抵抗を無視する姿勢に、ずっと怒っていた(奇跡的に、その矛先がいつも同じだった)。
 ①はタイトル通り、ゼネコン汚職で逮捕されて以降も、当選を重ねる彼はなぜ選挙に負けないのか、その愚直な手法を探る。「『この仕事は私が手掛けた』と言い始めたら、中村喜四郎は終わりですよ」。「沈黙の政治家」の告白には、言葉の重みがあった。②は、元・女子サッカーアメリカ代表による、バーナード大学の卒業式祝辞から生まれた一冊。スポーツ界に色濃く残る男女格差を正面から問いかけた。③は、福岡から鹿児島まで九州を縦断する国道に付着している抵抗の歴史を、この現代に引っ張り出した。

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戸邉秀明(東京経済大学教授)

①近世蝦夷地在地社会の研究(谷本晃久著、山川出版社・9900円)
② 戦中・戦後文化論 転換期日本の文化統合(赤澤史朗著、法律文化社・7150円)
③ 生活綴方(つづりかた)で編む「戦後史」 〈冷戦〉と〈越境〉の1950年代(駒込武編、岩波書店・5390円)

 今年、もっと注目されるべきだった論点を中心に。
 ①は19世紀前半、大きく変動する蝦夷地の社会構造を解明した大冊。和人の搾取のなかでもアイヌ文化が成熟していく過程に目を凝らす。その姿勢と史料の読みの確かさは、学問が果たすべき役割を指し示す。
 ②は敗戦を挟む1940年代の日本の文化や思想を総合的に描く社会史。戦争責任を問い続けた鶴見俊輔や藤田省三。彼らの戦後思想との格闘なしに、あの時代の実相追求は今後もありえないと痛感させる一冊。
 ③は1950年代に世界中の子どもたちが自己と社会を見つめた作文とその出版企画から、教育の可能性の歴史を書き直す共同研究の成果。巨大祝祭による国際交流とは異なる「世界」との出会い方が、ここにある。

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長谷川逸子(建築家)

①未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために(ドミニク・チェン著、新潮社・1980円)
②活動の奇跡 アーレント政治理論と哲学カフェ
(三浦隆宏著、法政大学出版局・3740円)
③哲学の誤配
(東浩紀著、ゲンロン・1980円)

 ①「コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容(い)れるための技法」と著者。共有ではなく共存の場。多数の人が自由にいるコモンズを求めて私は建築をつくってきた。多数言語が混ざり、共に在る未来。
 ②アーレントにとって政治の存在理由は自由である。パリから世界に広がった「哲学カフェ」を、著者自身の活動と絡めて取り上げている。
 ③人間は国家や理念といった大きな物語に仮託して生きている。一方で快楽に導かれる動物的主体でもある。この二層のズレが予想外のことを引き起こす。人間はこうした誤配によって生きていて、人間の豊かさはそこから生まれるという。

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藤原辰史(京都大学准教授)

①戦争・革命の東アジアと日本のコミュニスト 1920―1970年(黒川伊織著、有志舎・3080円)
②〈わたしたち〉の到来 英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト
(中井亜佐子著、月曜社・2200円)
③ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論
(デヴィッド・グレーバー著、酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹訳、岩波書店・4070円)

 ①はアジア諸地域と縁を切り結んだ日本コミュニズムの国際史。党派的歴史認識と決別し、無名のコミュニストたちの思考と行動と死の積み重ねを抱きとめた上で描かれた歴史は読みごたえ十分。
 ②も渾身(こんしん)の抵抗の書。単なる文学批評と思って読むと火傷(やけど)する。虐げられた者たちが、あえて「われわれ」と名乗り歴史をつくりかえようとするとき、コンラッド、V・ウルフ、C・L・R・ジェームズの言葉は今なお心を揺さぶる。
 ③は「俺はお前らより偉い」ことを示すためだけに創出され、する本人も意義を感じぬ「仕事」の人類学。それに回されていた給料を看護師や介護職員や清掃員などの仕事に回せば、社会全体にゆとりといたわりが回復するはずだ。

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>朝日新聞書評委員の「今年の3点」①はこちら

>朝日新聞書評委員の「今年の3点」②はこちら

>朝日新聞書評委員の「今年の3点」④はこちら