生井英考(アメリカ研究者)
①同性婚論争 「家族」をめぐるアメリカの文化戦争(小泉明子著、慶応義塾大学出版会・2200円)
②アメリカ公共放送の歴史 多様性社会における人知の共有をめざして(志柿浩一郎著、明石書店・3850円)
③ブータンの情報社会 工業化なき情報化のゆくえ(藤原整著、早稲田大学出版部・4400円)
事情で書評に取り上げられなかった心残りの3点。
① は80年代のエイズパニック、90年代の文化戦争を経て今世紀に法廷に場を移したアメリカの同性婚論争の過程をたどる。議論を社会が調停できず、事あるごとに最高裁に頼る「家族法の憲法化」が示唆的。
②は近年「分極化」のめだつ米報道界で「中立」を体現する公共放送網(テレビのPBS、ラジオのNPRなど)の創設から現在までを丁寧に描く。メディアとは「多くの人の知識を共有するためのツール」という当たり前の一節が印象的。③は「工業化」の後に「情報化」という常識をくつがえす。工業化ぬきに情報化を達成した「世界で一番幸福な国」の地域研究。「情報生態系」の理論と事例研究の双方がよく嚙み合った好著。
石川健治(東京大学教授)
①金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫(内海健著、河出書房新社・2640円)
②人、場所、歓待 平等な社会のための3つの概念(金賢京著、影本剛訳、青土社・3080円)
③マックス・ヴェーバー 主体的人間の悲喜劇(今野元著、岩波新書・946円)
①は今年の大佛次郎賞受賞作品。単なる病跡学の著作としては読みたくない。見田宗介『まなざしの地獄』の永山則夫論を連想し、「全体化的モノグラフの傑作」と評した。「リアリティーへの回路が半ば閉鎖」された概念法学は、青年三島の性に合ったであろう。
② が突きつける〈問題〉は本物である。傷ついている人、その傷を真面目に考えたい人は、この本を読むべきだ。空間的把握の再評価が新鮮。鍵概念たる承認の原語は、戦前日本では一般的だった認定であり、その受容史にも思いを馳(は)せた。
③は、反時代的精神の結晶。偶像崇拝でも偶像破壊でもなく、「状況に応じた対機説法」として読まれたヴェーバー。新書という空間的限定が、著者にとりプラスに働いたか、マイナスに働いたか。
いとうせいこう(作家)
①見えないスポーツ図鑑(伊藤亜紗、渡邊淳司、林阿希子著、晶文社・2200円)
②大江健三郎全小説全解説(尾崎真理子著、講談社・3850円)
③ レイラの最後の10分38秒(エリフ・シャファク著、北田絵里子訳、早川書房・2530円)
①は伊藤亜紗らの画期的な研究。目の見えない人に各スポーツの醍醐(だいご)味を伝えるにはどうすればいいか。しかも道具はすべて百円均一ショップで買うような物ばかり。自然、物事の本質を射抜く知恵があふれているし、スポーツとは何かが我々にもわかってきて、新しい世界が広がる。
②は大著。大江文学のすべてを作品に冷静に寄り添いながら語る。小説がそこにあってこその批評であり、この羅針盤によって新しい読者が増えていくだろうし、読んだことのない批評がさらに生まれるはず。
今年も刺激的な海外文学が多く紹介され、読書も充実した。中でもトルコのエリフ・シャファクの想像力豊かな作品は、多様性の国家であるはずのトルコに本来の豊かさを希求して、小説の力に満ちる。
宇野重規(東京大学教授)
① 政治改革再考 変貌(へんぼう)を遂げた国家の軌跡(待鳥聡史著、新潮選書・1540円)
②戦後「社会科学」の思想 丸山眞男から新保守主義まで(森政稔著、NHK出版・1760円)
③自由の命運(上・下) 国家、社会、そして狭い回廊(ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン著、櫻井祐子訳、早川書房・各2860円)
現在の政治状況をもたらしたものは何か、歴史的に振り返るための3冊を。
①は1990年代の政治改革以来の流れを振り返るもの。選挙制度・行政官庁・日銀・地方分権・司法など改革は行われたが、期待された成果は実現していない。どこに問題があったのか、残された課題を考えたい。②は戦後日本の社会科学の変化を、世界の思想潮流との関連で検討する。保守化と新自由主義によって押し流されてしまった知的遺産を取り戻す必要を感じる。③は自由の鍵(かぎ)を、国家に対して社会がきちんと応答責任を課すことに見る。説明を回避する政治権力をどうしたらいいのか。そのヒントを本書に見いだせるかもしれない。来年こそは、緊張ある政治と信頼ある民主主義を復活させる一年としたい。
大矢博子(書評家)
①ザリガニの鳴くところ(ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳、早川書房・2090円)
② ボニン浄土(宇佐美まこと著、小学館・1980円)
③ 季節を告げる毳毳(けばけば)は夜が知った毛毛毛毛(もけもけ)(藤田貴大著、河出書房新社・1870円)
遠出が著しく制限された一年だったが、どんな国でもどんな時代へでも行けるのが物語のいいところ。
①はアメリカのノース・カロライナ。周囲から孤立して生きてきた女性に、転落死事件の嫌疑がかけられる。ミステリとしても秀逸だが、過酷な半生を生き抜いた主人公の凜(りん)とした姿に圧倒された。
②は小笠原諸島が舞台。江戸時代、漂流した船乗りたちが流れ着いた島には異人が住んでいた。ボニン・アイランドと呼ばれるその島は今の小笠原諸島。天保年間と現代のふたつの物語が、小笠原で結びつく。そのつながりが見事。
③は空からコアラが降ってきたり、空気中に危険な〈冬毛〉が蔓延(まんえん)して外出できなくなったりという不条理な世界を描く。言葉の使い方が絶品。