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本屋ロカンタン(東京) 自宅の一室が本屋。38歳店主の、山あり谷あり人生に本あり

文・写真:朴順梨

 ある日の13時過ぎ、見知らぬ番号から着信があった。折り返してみると、訪ねる予定の本屋ロカンタンの店主、萩野亮さんからだった。
「あの、今日いらっしゃる予定ですよね」
「はい、14時に」
「えっ、13時でしたよね?」

 なんと私が約束時間を、勘違いしていたのだ。到着を待っていた萩野さんを知る由もなく、この日最終回だった韓流ドラマを見終わってゆっくり支度をしていた私は、急いで西荻窪に向かった。

 JR西荻窪駅の南口からgoogleマップをたよりに6分ぐらい歩くが、マップが指し示す場所に本屋は見つからなかった。着信アリの番号に再度かけなおしてみると、バス通りに面していないドアから萩野さんが姿を見せたので、5.5坪のスペースに招き入れてもらう。ここは自宅兼本屋だと、萩野さんは語った。

マンション1階にある本屋ロカンタンは、大きな「本。」の文字が目印。

 「じゃあ2階に部屋があるんですか?」
 「いえ、ここが家なんです。閉店後は平台を移動させたスペースに、布団を敷いて寝てます」

 予想だにしていない答えが返ってきて、一瞬固まってしまった。というか、土足で入っていいんですか?

 「大丈夫です。欧米だと思ってください」

 大丈夫なのか……。変な納得の仕方をしつつ改めて書棚を見回すと、絵本やアート、人文書などに並んで、映画のパンフレットが100円で売られていた。萩野さんは個人書店の店主であると同時に、映画批評家でもあるのだ。

萩野亮さん。ロカンタンはサルトルの『嘔吐』の主人公の名前だが、英語ではなく響きが「文学的」で「奇天烈」なところが気に入っていると語った。

芸人志望→作家志望→研究者志望→

 現在38歳の萩野さんは奈良県出身で、三重県の名張市で育った。学生時代に目指していたのは、お笑い芸人。高校卒業後は芸人を養成する、吉本総合芸術学院(NSC)の大阪校に入学した。時は1990年代後半でダウンタウンやナインティナインなど、関西の芸人たちが気を吐いていた頃だ。

 「芸人になるとかたく決めていたので、何なら中卒でNSCに入りたいくらいだったのですが、さすがに高校は出ておかないと親不孝かと思って」

 しかし萩野さんは腹式呼吸が苦手で、大きな声が出せなかった。ネタを書くのは楽しく、評価されるものの、ステージで披露すると思い通りに演技ができない。演者には向いていないと思った。

 かくして芸人修行を辞めた萩野さんは、小説を書き始めた。その方が自分の面白さを、100%出せると思ったからだ。しかし、それも思うように書けない。そんな日々をしばらく送っていたが、突然「大学に行こう」と思った。

 「まさに神か仏が枕元に立つような感じで。1年ほど受験勉強をして、センター試験で東京・町田の和光大学に入学しました。仏像が好きで、教理にも関心があり、そのうえ俗世間にも厭気が差していたので、京都の龍谷大学で仏教学を専攻することも考えたのですが、『受かったら僧侶になる道しかない』と思ったら急に俗世間が恋しくなって。もっと広い世界を見ようと、フィールドワークを学知の基礎に据えている和光に決めました」

 非常に淡々とした語り口ながらも、聞いているとなぜか笑ってしまいそうになった。

「本はそれ自体がメッセージを伝えようとしている」から、説明のためのPOPはほぼなし。

 萩野さんは21歳で上京。日本の中世思想史を専攻したことで、地域の神楽などの伝統芸能を見るために、全国を巡る日々が続いた。でも大学2年になった頃、自分の興味が映画に移っていたことに気づいた。

 「東京には、『映画』がありました。田舎には映画館もなく、ビデオ屋で借りられる作品も限られている。町田にも当時3館くらい映画館がありましたし、新宿や池袋に出ればミニシアターも名画座もある。それと、大学の講義で『夜と霧』を見たのが大きくて」

 1956年に公開された「夜と霧」は、ホロコーストを告発した32分の作品で、「去年マリエンバートで」などで知られるアラン・レネが監督している。記録映画ではあるものの、ホロコーストの場面そのものは表現されていない。それを見た萩野さんは、「映画は、記録できないものを記録できないものとして表現しうる領域だと思った」そうだ。

 しかし芸人→仏教美術研究者→映画批評家へと目指すものが変わっていったが、本屋とはどうつながっているのだろうか?

 「いや、全くつながっていません。というより、本屋になれるとは思っていませんでした」

萩野さん放出の古本とともに、映画のパンフレットが並ぶ。

こたつが平台、風呂は銭湯に

 なれるとは思っていなかった本屋への道が拓けたのは、30歳の時だった。それまで映画批評の傍らレンタルビデオ店でアルバイトを続けていたが、あるときうつをわずらってしまった。さらにアトピー性皮膚炎もあり、36歳までの間に3回入院することになった。

 「半年働いて1年半休む、みたいなサイクルを正確に3回、繰り返しました。治ったと思ったらまたドーンと落ちる日々だったのですが、2018年の秋頃から調子が上向いたんです。でも同時に『この先どうやって生きて行こう』という不安がでんと横たわっていました。アルバイトですら続けることに無理がある。病気を得てからは何より外に出ることが億劫で、自宅でできる仕事はないか、と考えました」

 何をするかは全く決めていなかったが、「警察に捕まらな」くて「ボロい」商売がいい。何があるのかとGoogleで検索しまくり、パソコンパーツの個人輸入に行き着いた。

 「試行錯誤するうちに、香港の腕利きの業者と出会い、それなりの利益が出るようになってきました。そこで『自分が好きな本の店をやってみよう』と思うようになりました」

 でも果たして、どうしたら本屋を作れるのか。またもGoogleで検索していると2019年の春頃、下北沢の本屋「B&B」の内沼晋太郎さんによる本屋開業の指南書『これからの本屋読本』の、全文公開noteがヒットした。まさに2度目のご神託のようなものが、内沼氏によって降りてきた。

 書店員の経験はゼロ、自己資金も限りなくゼロ。いきなり物件を借りて店を始めるのはリスクがある。そのころ住んでいたアパートで、「本屋を開いていいか」と管理会社にダメもとで尋ねたら、なんとOK。準備期間を経て2019年9月、仮店舗としてオープンした。

 予約制ながらもお客さんがつき始めたのに、2カ月後の11月に突然「出ていってほしい」と言われてしまう。「OK」はその時の担当者の、独断でしかなかった。

 「次の物件を決めるまで待ってくれと食い下がり、今の場所に12月20日に引っ越して、翌年の1月15日に新装開店しました」

 店の壁を埋めている本棚は、すべて萩野さんがホームセンターで木材を買ってきて、自分で作ったもの。壁に直接穴を開けないように、壁と棚の間に板をかませているのが特徴だ。ちなみに布団は店の奥にあるテラスに干していて、平台のうちの1つはなんとこたつ。だけど生活感を感じさせる家具類は、一切置かれていない。トイレはあるが風呂は徒歩2分のところにある「天狗湯」に通っているそうだ。

 「生活感がない部屋ですねと言われますが、生活らしい生活が私にはありませんから」

古本スペースの在庫が減りつつあるので、ギャラリーとして活用している。店のレイアウトは、永遠に流動していく。

本は値段で買うものではない

 現在の品揃えは新刊が約1,000冊。ZINEと萩野さんの蔵書も古書として置かれている。しかし古本については相場が分からないこともあり、仕入れる予定はないと語った。

 「荻窪の本屋『Title』の辻山良雄さんが『新刊の棚を見れば、時代がわかる』というようなことを著書に書かれていて、最初はピンとこなかったのですが、やっていくうちによく分かるようになりました」

 かなりのスペースを割いている韓国のフェミニズム小説やジェンダーに関する本は、確かに5年前には今ほど刊行されていなかったものだ。だから本はまさに、時代の流行を映す鏡――。と言いたいところだが、映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーによる本体価格6,800円のタロット研究書『タロットの宇宙』(国書刊行会)が3冊売れた時は、何が求められているのかわからなくなったという。けれど4冊目が売れた時に、ひらめくものがあった。

 「本は値段や流行りで買うものではない。お客さんを信じて、高額なものでもひるまずに並べようと思うようになったんです」

 以前紹介した同じ西荻窪の今野書店は駅チカだが、ロカンタンは住宅街にある。だからわざわざ目指してくる人も多いが、地元の人もフラッと入ってくることもあるという。じっくり棚を眺める人がいる半面、半周してすぐに出て行ってしまう人もいるそうだが、店の前の「本」の文字の吸引力は、かなりのもののようだ。

閉店後はこたつになる平台。最初は大好きなこたつを店名に掲げた、「こたつブックス」にする予定だったとか。

 「わたしが実践しているのは、『私的所有の放棄』です。マイホームもマイカーも要らない。雨風がしのげて、眠れる場所があればいい。こたつがあればなおいい。社会に出ることが難しい代わりに、自宅を本屋として社会に開く。蔵書を手放して、代わりに新刊を商う。そうして日々、お客さんを迎える。それだけでいいんです」

 うつを抜けて2年、本屋を始めて1年。調子は日々上下するものの、大きく体調を崩すことはなかった。だが萩野さんは現在も、うつとアトピー性皮膚炎と付き合い続けている。「治る」をゴールにせずに車谷長吉が言うところの「業柱」を抱きしめながら、これからも生きていきたいと笑顔を見せた。

 店に入って約1時間半の間、話を聞いていて私は何度も笑ってしまった。でも最後の方は萩野さんが笑い、その笑顔に触れたことで、少しだけ体温が上がった気持ちになった。

 「今は持ち合わせがないけれど、原稿料が入ったらこれ買いにきますね」

 とある本を眺めながら口に出してみたら、とても社交辞令っぽい気がした。でも、本気なのだということを伝えるためにも、近いうちに再訪したいと思っている。

オススメ

●『ヴィジュアル版 化粧の世界』リサ・エルドリッジ(国書刊行会)
 大判のカラー図版はながめているだけでも楽しく、また示唆に富む。線と色彩がもたらす呪術と政治、そして美学。あるいは社会的意味と心理的効果。この一冊でたとえば映画史の一部は容易に書き換えられうる。

●『イルカも泳ぐわい。』加納愛子(筑摩書房)
 かつて目指していたお笑いからいまや遠く隔たり、M1グランプリですら見なくなったわたしが、十数年ぶりに嫉妬をおぼえたのがAマッソのコントだった。著者の日本語へのずば抜けた感性は、本書でいっそう純度を高めて別の輝きをはなっている。遠くない日に文学を更新する人だと思う。

●『病と障害と、傍らにあった本。』(里山社)
 いつかゆっくりと読む本。本書に収められた、いずれも病や障がいを抱えた著者たちのことばは、いまはあまりに近すぎる。胸のあたりがきゅんとなって、思わず目をつむり、そのまま頁を閉じてしまう。この本がだれかの傍らにあってほしい。

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