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中村光夫「二葉亭四迷伝」 時代追わず、原点見失わず 筑摩書房・増田健史さん

 仕事で迷ったとき、読み返す本がある。中村光夫の『二葉亭四迷伝』だ。

 言文一致の文体で日本の近代小説の扉を開いた二葉亭四迷。だが、中村は二葉亭の文学的業績の査定に終始するわけではない。本書は、「失敗」の連続に終わった二葉亭の生涯を「明治という時代精神の演じた悲劇」と捉(とら)え、これでもかと実証的に描き出す。

 西洋文明を慌ただしく輸入し、近代化へと突き進む明治日本。過渡期ゆえに生じる理想と現実の著しい落差。そんな時代の不幸を、二葉亭の迷走の人生こそが先鋭的に体現したと中村は見るのだ。その筆致は洞察と共感に満ち、胸を打つ。大学を留年した頃、二葉亭を一冊も読んだことなくこの評伝を手に取ったが、それでも無類に面白かった。

 本書の刊行は高度成長期に入った昭和33年。人々の関心が「これから」に傾くなか、なぜ中村は時流に逆らうかのように二葉亭にこだわり続けたのか、引っ掛かった。批評家の三浦雅士氏は、中村の議論の特長を「あらゆる事象を明治以降の日本近代の流れに置いて眺めようとする」ことと述べている(『近代日本の批評Ⅱ』)。腑(ふ)に落ちた気がした。現在の問題も、その起点に立ち返って視座を置かねば本質はつかめない。中村はそう考えたのではないか。

 筑摩書房に入り、中村がこの会社の草創期に「編集顧問」を務めるなど縁の深い人だったと知った。そのせいか、本書を読み返すたび諭された気持ちになる。時代を追いかけないこと。原点を見失わないこと。その心意気をつなぎたい。=朝日新聞2021年2月10日掲載