「太平天国」書評 解放・平等の理想と悪夢の虐殺
ISBN: 9784004318620
発売⽇: 2020/12/21
サイズ: 18cm/256,5p
太平天国 皇帝なき中国の挫折 [著]菊池秀明
衣服と食の分かち合いという精神に根ざし、上帝ヤハウエのもとでの平等を掲げる新興宗教が一八四三年に中国南部で誕生した。
教祖は洪秀全。漢人社会の周縁で下層移民社会を形成していた客家(ハッカ)の出身で、科挙試験に失敗したあと、夢の中で「至尊の老人」(のちにヤハウエだと確信する)に、この世を救えと命じられた。
太平天国を建国し、清の政治の腐敗に対する下層民の不満を背景に、「中国人意識」に訴えつつ支持者を獲得していく。滅満興漢(めつまんこうかん)を訴え、清と内戦を繰り広げて、膨大な死者を出した末に、一八六四年に滅びた。一四年に及ぶ歳月、清王朝を震え上がらせた。
一八六二年に上海を訪ねた幕府使節団は、この騒乱の内実を聞き、島原の乱に重ね合わせ反感を抱いたという。たしかに、キリスト教との出会いが生んだ激しい下層の解放戦争だった点では、両者は似ている。
『天条書』という布教書には「上帝のお恵みにより日々衣服と食物を得られ、災いを免れ、魂が昇天できますことを感謝します」とあった。食を蓄え平等に分配する「聖庫制度」も存在した。弁髪と纏足(てんそく)からの解放を訴え、戦場では略奪暴行をせず、敵地でも弱者はいたわった。腐敗した清軍とは正反対の太平軍に好感を抱く人も多かった。
ところが、太平天国は不寛容で排他的な性格も色濃くあった。洪秀全は豪奢(ごうしゃ)な食事を好み、毎年若い娘を六〇人選び後宮に入れ、命令に従わぬ者は親子共に処刑した。戦争の過程で乱暴狼藉(ろうぜき)も増え、軍事組織に属した旗人(きじん)を虐殺した。女性には、批判対象のはずの儒教的な規範を押し付け、男性への服従を説いた。
中国史では珍しく太平天国が不十分ながら分権的な体制を目指したことに著者は注視する。包摂と排除を徹底させ、中華の復興を唱える現代中国の中央集権の今後を見極めるためにも、太平天国の理想と悪夢の歴史の学習は大いに役立つ。
◇
きくち・ひであき 1961年生まれ。国際基督教大教授(中国近代史)。著書に『広西移民社会と太平天国』など。