原体験となった子供向けの全集
――いちばん古い読書の記憶から教えてください。
寝る時に母親が読み聞かせてくれたことだと思います。最初の頃は普通に絵本や童話だったと思うんですが、ある時なぜか、上温湯隆の『サハラに死す』を読んでくれたんですよ。サハラ砂漠を渡ろうとして行方不明になった青年が遺した、日記や手紙などから構成した本です。なぜ母がその本を選んだのかは謎なんですけれど。最初は毎日ラクダと一緒に旅をしていて楽しそうだな、と思いながら聞いていたんですが、最後には行方が分からなくなる。「でも、生きているんでしょう?」と訊いたら「そうじゃないみたいやねん」って母親が言うんです。「ええーっ」となるじゃないですか。まあ、考えてみればタイトルにそのまま「死す」ってあるんですけれど。でも途中から物語を聞いている気持ちになっていたし、主役が死んでしまう物語なんて知らなかったし、そもそも死ぬってことがよく分かっていなかったので、愕然としました。最近出た『るん(笑)』という本に、過去の記憶としてちらっと使いましたが。トラウマでもないんですけれど、人生最初に抜けなくなった棘みたいなものですね。
――それが小学校に入る前くらいの話でしょうか。
3~4歳くらいだったと思います。同じ頃に、講談社の「こどもの世界文学」という30巻くらいの全集を買ってもらいました。これなんですけれど(と、モニター越しに本を見せる)。装丁も箔押しで、デザインも素晴らしくて。これがルネ=ギヨの『こいぬの月世界探検』で、こっちは『しあわせの王子』。何年か前に実家から持ってきて手元に置いてあります。
このシリーズはいろんな意味で原点になっています。『こいぬの月世界探検』は、はじめて触れたSFでもありますね。挿絵が竹川功三郎さんという、『霧のむこうのふしぎな町』の挿絵を描かれた方で、原書のイラストを元にしているようなんですが、たとえばこの月世界の絵とか......(と、ページを開いて見せる)。
――通路の天井にレールが通っていて、頭に滑車をつけたロボットがそれでシャーッと走っていく絵ですね、面白い。このシリーズは作家としての原点であり、イラストレーターとしての原点でもあったわけですね。
このシリーズで、本というのは文章と挿絵が組み合わさったもの、と刷り込まれたのかもしれません。たぶん、だから両方書くようになったんだと思います。
『こいぬの月世界探検』は、イダルゴという名前のダックスフントが飼い主と旅行中に迷子になって、ケネディ宇宙センターに引き取られるんですね。そこでロケットに乗せられて月に行くと、すでにカリオペア人という謎の宇宙人がいて、月面基地を作っている。人間たちは追い返されて犬だけが残って、アタルという名のロボットに飼われるようになります。アイボみたいなロボット犬が出てきたり、バーチャル本みたいなもので「白雪姫」の世界に入っていったりと、今を先取りしていて面白くてですね。
――ああ、今見せてくださっている挿絵のロボット犬、本当にアイボみたいですね。
でしょう。アイボが出た時、びっくりしたんです。でもこう見えて嫉妬深くて、イダルゴに自分の飼い主をとられたと思って、意地悪するんです。で、アタルが「お仕置きだ」っていって何をするかと思ったら、そのロボット犬を分解して箱に入れてしまうんですね。なんだかすごく悲しい気持ちになって。
最終的にイダルゴは地球に戻ることを願ってロボットたちと別れるんですが、ちょっと怖かったのが、アタルが「どうしてもイダルゴと別れたくない」と言って癇癪を起したために、頭の回路の一部を抜き取られて、イダルゴとの楽しい日々の思い出を全部失ってしまうんですよ。それで「そういえばロボット犬がいたな」と、分解した箱を持ってきて元通りに組み立て直してまた一緒に暮らすという。
――うわあ......すごい話ですね。
次によく憶えているのは小学校2年生くらいの頃、親が図書館から『宇宙人デカ』という本を借りてきたんです。「エスエフ世界の名作」という子供向けのSF全集の1冊でした。主人公の少年が、地球に墜落した宇宙船から脱出したゼリー状の宇宙人に寄生されるんです。その宇宙人は刑事で、逃げ出した犯罪者を探しているんですが、どの人間に寄生しているのか分からない。寄生した少年に協力してもらおうと、体の一部を文字の形にして瞳の前にニョニョニョって出して意思疎通をはかる。面白くて夢中になりましたね。僕はなんでも自分でやってみたい子供だったので、練り消しで文字を作って目の前にぶら下げてみたんですが、近すぎてぼやけて見えない。この宇宙人の試みはちょっと無理があるのでは、と子供心に思いました。
――そのストーリーって、もしかして...。
そうなんです、ハル・クレメントの『20億の針』のジュブナイル版だったんです。その後引っ越しして、別の図書館で『星からきた探偵』という面白そうなタイトルを見つけて読んだらデジャヴュ感がすごくて。で、大人になって、『20億の針』という本を見つけて読んだらまたデジャヴュ。全部元は同じ本でした。考えてみたら、この小説にはそうとう影響を受けていますね。のちの自分の作品に共通する要素がいろいろ出てきます。影響が長引きすぎて怖いくらいですけれど。
――気になったことは自分でやってみる少年だったんですね。
その後江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズに夢中になるんですけれど、少年探偵団の少年が敵のアジトに忍び込んで暗闇で息をひそめる場面なんかにドキドキして、自分も押し入れの中にずーっとこもっていたりしました。ようやく出たときはすごく爽快で。
「少年探偵団」シリーズでは明智小五郎も怪人二十面相もよく変装しますよね。僕、1回、ほっぺたに綿を入れてセロハンテープで釣り目にして、帽子被って架空の友達のふりをして、自分の家を訪ねたことがあるんです。チャイムを鳴らしたら母親が出てきたので「酉島くん、いてるー?」って訊いたら「上の部屋にいたと思うけど」って、一瞬騙されかけてました。でも、そこで僕がこらえきれずに笑ってしまって、ネタばらしを。どこまで騙されるのか見届けたかったのに。
――それでもお母さんを一瞬騙せたというのはすごい。
ほっぺたの綿と釣り目でけっこう変わるんですよ。鏡を見ながら何回も調整はしましたけど。でも、母親は「履いてる靴、私買ったやつやな」と気づいて、ちょっとおかしいとは思ったらしいです。
――ふふふ。読む本は、図書館や図書室で借りるものが多かったのですか。
図書館には毎日のように通っていました。夢中になっていた頃は、朝行って借りて読んで、昼行ってまた借りてくるみたいな。まあ、子供用の本ばかりでしたし、けっこう読み飛ばしていたんじゃないかと思います。基本、僕はかなり読むのが遅いので。
その頃に「ドリトル先生」シリーズにはまりました。ロフティングが自分で描いた挿絵がすごく素敵でしたし、井伏鱒二の訳も素晴らしかったですね。双頭の山羊みたいな動物の名前が「オシツオサレツ」だったり。
たぶん、この頃に最初の小説を書いているんです。「少年探偵団」シリーズの『黒蜥蜴』を真似た、「赤いルビー」とかそんなタイトルの。「ドリトル先生」のパロディみたいな「なんとか先生」というものも書きました。その話ではオウムのポリネシアみたいな相棒役として、トカゲが出てくるんですが、手術でトカゲの頭蓋骨を人間の形に入れ替えたので人語を話せるようになったという設定でした。たぶん『ブラック・ジャック』の影響でしょうね。当時よく病院に通っていたんですが、待合室にあるのが怖い漫画ばっかりだったんですよ。楳図かずおだと『猫目小僧』、『おろち』、『イアラ』。『猫目小僧』の「妖怪肉玉」とかは、読みながら叫び声をあげそうになりました。手塚治虫だと『ブラック・ジャック』、『きりひと讃歌』、『どろろ』。手塚治虫って、ばらばらになった身体を繋ぎ合わせるという、フランケンシュタイン的なモチーフが結構出てくるんですね。脳を混ぜて一人分の脳にするとか。その衝撃もいまだに響き続けている気がします。
言葉遊びが好き
――自分で小説を書き始めた時、挿絵も描いていたんですか。
ああ、ちょこちょこっと、挿絵みたいなものは描いていました。
――外で遊ぶより、家で文章や絵を描くほうが好きな子供だったのですか。
どっちも好きでした。外だと、庭を掘って窪地にして、一部に水を溜めて、ビオトープのようなものを作ろうとしていました。ザリガニやミミズや甲虫や蟻を採ってきて棲まわせるんですが、じきにわらわら逃げられてしまう。
――あ、野球とかサッカーとかではなく。
野球などもしましたがあまり得意ではなくて、穴を掘ったり秘密基地を作ったりするほうが楽しかったですね。家の前が川だったんですけれど、冬になると枯草だらけになるのでそこにトンネル状の秘密基地を作っていました。家と川の間に急斜面の土手があって、遠回りするのが嫌で、一人でスコップで少しずつ段々を掘って、一週間くらいかけて階段を繋げたこともありました。そのうち近所の人たちまで階段を使いはじめたときは嬉しかったですね。
――幼くして地域貢献を。
数ヶ月後には段々が崩れてなくなってしまいましたけれど。そんなふうに、外で遊ぶ時は、だいたい何かを作っていました。
それと、やっぱり昆虫や小動物は好きでしたね。ハムスターや兎も飼っていましたし。ハムスターはどんどん子供を産むのですが、なかなか貰い手が見つからず、買い取ってくれると聞いてペットショップに売りに行ったんです。1匹30円くらいで本当に買ってくれて。自分で売っておきながら、「なんだろう、生き物を売るっていうのは」と、ショックを受けました。
――へええ。その後、小学校時代に読んで憶えている本はありますか。
高学年になるとソノラマ文庫を読み始めました。よく憶えているのは光瀬龍『暁はただ銀色』とか、清水義範の『エスパー少年抹殺作戦』とか。その続編の『エスパー少年時空作戦』はタイムトラベルもので、パラドックスに混乱して時系列を箇条書きにして把握してましたね。それと、加納一朗の「是馬・荒馬シリーズ」は大好きでした。これも実家から持ってきた本です(と、モニター越しに本を数冊見せる)。
――すごくきれいに本をとってあるんですね。『イチコロ島SOS』、『半透明人間の逆襲』、『踊るエレベーターの謎』...
半透明人間とか人工生命体とかが出てくる、兄弟もののSF風ドタバタ小説です。「ひげ中顔だらけ」みたいな言葉遊びも面白くて。敵から電話がかかってきてどうやって逆探知するのかと思ったら、電線を辿っていくんですね。途中で電線が分かれたら棒を立ててどっちに倒れるかで決めて、それで本当に敵のアジトに着いてしまうという。馬鹿馬鹿しいんだけれど独自の屁理屈があるところが好きでした。三十作近くあるので、近所の幼馴染みと別々に買って貸し合っていました。それが小学校4、5年生の頃ですね。
――小さい頃から、「ひげ中顔だらけ」のような言葉とか表現とかに敏感でした?
敏感でした。僕、喋りが上手じゃなくて、よく言い間違いをする子やったんですね。未だにそうですが。よく憶えているのは、父親に「そうこうばんがとれたねん」と言ったときのことです。
――そうこうばん?
「絆創膏」と言ったつもりだったんです。父親には「装甲板いうたら、戦車とかについているやつやないかい」とからかわれましたが、言葉ってちょっと変えるだけで全然違う意味になるんだと知って、なにかを発見したような感動を覚えました。
そうそう、思い出しました。小学校の高学年だったか、言葉遊びだらけのでたらめな事典を作ってました。ネットに載せている「棺詰工場のシーラカンス」という、注釈を注釈で繋いだ小説があるんですけれど、その原型ですね。例えば「紫外線」の語呂合わせで「市外線」という目に見えない路線の項目があったり。「棺詰工場のシーラカンス」では「視外線」として使っています。すっかり忘れていましたが、やっていることの変わらなさにいまちょっと呆れました。
――その頃は将来、ものを書く人になりたいと思ったりはしなかったんですか。
不思議と小説家になるという発想は浮かばなかったです。漫画家には憧れたけれど、1コマにこだわりすぎてなかなか次に進められず、今まで完成させられたことがないんです。イラストなら1枚で終わるので大丈夫なんですけど。
――漫画は、手塚治虫さんや楳図かずおさんの他に何を読まれていたんでしょうか。
大友克洋の『AKIRA』とか『童夢』とか。諸星大二郎の『妖怪ハンター』などの作品の数々には、かなり影響を受けています。星野之宣の『2001夜物語』とか、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の影響も大きいです。漫画でもSF系が多いですね。板橋しゅうほうもよく読みました。『アイ・シティ』『凱羅』『セブンブリッジ』など。 あとは士郎正宗全般ですね。
――テレビの影響はなにか受けていますか。
いろいろあると思いますが、海外SFドラマなどは結構見ていました。これは言ってもなかなか知っている人がいないんですけれど、「透明人間ジェミニマン」っていうドラマがあったんです。事故の影響で透明になってしまったエージェントが、それを制御するデジタル時計を腕にはめて、危機に直面するとボタンを押し、15分間だけ透明になって切り抜ける。すごくスマートで好きでした。あとは「宇宙空母ギャラクティカ」「サンダーバード」「謎の円盤UFO」「バイオニック・ジェミー」「超人ハルク」なども見ていました。
――酉島さんって、小学生時代に「機動戦士ガンダム」が大流行した世代ではないですか。
ずばりその世代でした。ガンプラブームだったので、朝5時に起きて模型店に行くんですけど、すっごい行列ができている。ガンキャノンが欲しかったのに、自分の番が来た時にはガンタンクしか残っていない。当時はその格好よさに気づいてなかったので、ただただ悲しい気持ちに。父親は「ガンダム買って来たぞー」って、パチモンのプラモを買ってくるし。
アニメだと、サンライズ系はかなり見ていました。富野由悠季って毎回一から新しい世界を提示してくれるじゃないですか。ガンダムの次は「伝説巨神イデオン」という異星人との星間戦争ものになって、いろいろと衝撃を受けました。異星人のバッフ・クランが、自分たちの星を「地球」と言い、地球人のことは「ロゴ・ダウの異星人」と呼ぶんですよ。異星人も向こうの主観では地球人だという、言われてみれば当たり前のことにはっとさせられました。
――「ノストラダムスの大予言」の大流行を少年時代に経験した世代でもありますよね。1999年に世界は終わると言われていましたが。
わりとオカルトっぽいものも好きで「月刊ムー」もよく読んでいたし、僕、本当に1999年に死ぬんだって思ってました。僕だけでなく、楽しいことは今のうちにしておかなければいけないという、生き急ぐような空気があったと思います。まあ今、全然生きていますけど。終末への恐怖だけではくくれない、不思議な感覚がありましたよね。
子供の頃は本当に信じやすくて。「ムー」だったかに天井から紐を吊って手にかけて鉛筆を持てば霊が降りてきて自動筆記できる、と書かれていて、その通りに鉛筆持ったまま1時間くらいじーっとしていたことがありました。なんっにも書かれず、うなだれました。
――1時間も。家族に見つからなかったんですか。
家族がいない時でした。この間もエッセイに書いたんですけれど、家で本を読みたいばかりに、水銀の体温計をわーっとこすって38度にして、学校をよく休んでいました。たまにこすりすぎて39度くらいになり、振って戻そうとしたら割れて水銀の玉が散らばったりして。
親は意外に騙されてくれていたんですが、繰り返しているうちにとうとう、どこも悪くないのに検査入院させられました。父親が警察官だったので、警察病院だったのも恐ろしくて。検査でも怖い思いをしましたが、極め付きはクラスのみんなが折った千羽鶴が贈られてきて、ものすごい罪悪感で倒れそうになりました。
――今おっしゃった38度とか千羽鶴とか、すごく新作の『るん(笑)』の内容を想起させますね。
ええ、そうなんですよ。わりと自分の体験を足場にして想像を広げることが多いというか。『るん(笑)』の「三十八度通り」なんかはわりとそのまま書いたエピソードも多いんです。結婚式でいきなりミラーボールが回っていたのも、実際に結婚式場でアルバイトしていたときの出来事で。意外にも気づかれないまま、最後までずーっと回り続けてました。
――ところで、作文は得意でしたか。
わりと得意でした。誰でも考えそうなことですけれど、「何を書いたらいいか分からない」ことだけを書いた作文が学校文集に載って、「是馬・荒馬」を貸し合った年下の幼馴染みも、面白いなー、と言ってくれたんですが、何年か後に妹の文集を読んでいたら、その幼馴染みが書いたほとんど同じ作文が選ばれていて笑いました。
――科目のなかでは何が好きだったんですか。
なんだろう。やっぱり図画工作や美術が好きでした。
伝奇小説を読む
――さて、中学生以降はどんな読書生活を?
中学校の頃は、菊地秀行とか、夢枕獏あたりの伝奇小説ばかり読んでましたね。最初に読んだ菊地秀行は『風の名はアムネジア』でした。ロードノベル風のポストアポカリプスもので、感化されて似たような小説を書いたりも。『吸血鬼(バンパイア)ハンターD』とか「エイリアン」シリーズにもはまりました。菊地秀行の発想って、もう、なんでしょうね。『エイリアン魔界航路』にはノアの方舟が出てくるんですが、どうして今まで人類に見つからなかったのかという説明が「あまりに巨大すぎて見えなかった」という。『エイリアン妖山記』では、トレジャーハンターの八頭大が山に登って、洞窟の奥に石板みたいな宝を発見するんですが、いざ山を下りようとするといろんな罠に阻まれる。やっとのことで麓まで下りたと思ったら、そこが迫り上がって山の上になってしまうんですね。石板を持ってる限り山から出られないという。そういうぶっ飛んだ奇想が好きでした。で、中学の終わり頃かな、『家畜人ヤプー』の漫画版を、たまたま書店かどこかで立ち読みしたんです。
――沼正三の小説が原作の。
そうです。石ノ森章太郎がこんな漫画を、と驚いたんですが、そのあと、中学の終わりか高校に入った頃に、文庫版で原作を見つけて、読みはじめるなり仰天しました。エロティックであったりマゾヒスティックである部分よりも、言葉だけで現実認識を変えてしまう方法論に衝撃を受けたんですね。日本人は遺伝的に家畜とされていて、いろんな種類のヤプーに改造されるんですが、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ......とそれぞれ開発番号があって、シータ、イオタときてカッパは河童なんですよ。馬鹿馬鹿しいけれど妙な説得力があるじゃないですか。雪隠の由来が英語の「セット・イン」だとか、1個だけならただのギャグだけど、そういうものを大量にちりばめることで、我々には異常に見えつつも、その社会の住人には当たり前の世界が徹底的に作り込まれていて驚愕させられます。脳に焼き付きすぎたのか、ほとんど読み返してないんですが。
――あ、好きな本は本来は何度も読み返すほうですか。
わりと読み返しますね。気づいたらアントニオ・タブッキの『供述によるとペレイラは......』を読んでいて、レモネードの飲み過ぎを心配してしまう。あの本はすごく好きなんです。ポール・オースターの 『孤独の発明』とか、W・G・ゼーバルトの『アウステルリッツ』あたりも。『アウステルリッツ』は建築史家から聞いた話という体で時間と空間が多重的に構成されていて、間接話法を過剰に使った語り口がすごくいいんですが、そのせいか読んだ後に輪郭がつかめなくてすぐに読み返したくなるんですね。
日本の作家だと、「新青年」系というか、夢野久作や小栗虫太郎、久生十蘭あたりはたまに字面を見たくなります。あとは安部公房とか。
イラストレーターへの道を選択
――絵の道に進もうと決めたのは高校生の時だったのですか。
高校の時は、バンドというかギターに夢中になっていましたけど、ミュージシャンにはなれるとも思えず、「自分に一番向いているのって、絵を描くことかなあ」っていうくらいの漠然とした気持ちでした。それなら本の挿絵を描くような仕事をしたいと思うようになったんですが、ノストラダムスのせいかも知れないけれど、大学で4年間学ぶのはすごく長く感じたんです。専門学校なら2年間だから、とそちらに進みました。すぐにでも働きたかったんですね。
でも、2年間では時間が足りなかったというか、もうちょっと勉強したくなって、研究生としてもう1年行きました。
デヴィッド・クローネンバーグ監督あたりに影響されて、学校では、筆やエアブラシで気持ちの悪いものばかり描いていたので、同級生には心配され、先生にはものすごく怒られました。「お前、こんなん描いてこれからどうするつもりや」と説教されて、腹を立てつつも「それもそうやな」って一度封印したんです。確かに、そんな絵では就職先も見つかりそうにない。。
――酉島さんがクローネンバーグって、すごく納得です。
『クローネンバーグ オン クローネンバーグ』っていう本で、クローネンバーグが愛読していたと語っていたJ・G・バラードやウィリアム・バロウズも読むようになりましたし、影響は多岐にわたりますね。クローネンバーグがグロテスクなビジュアルを使わずに撮った作品の方法論にも。
――ああ、「ヴィデオドローム」とか「ザ・フライ」とかバロウズ原作の「裸のランチ」のイメージが強いので、前に久々に新作を観た時、「あれ、映像あんまりグロくなくなったな」と思いました。
それは「マップ・トゥ・ザ・スターズ」か「コズモポリス」か「ヒストリー・オブ・バイオレンス」か......
――「ヒストリー・オブ・バイオレンス」です。
そのあたりから、一見普通の世界で、歪つかつ切実な精神性を描くようになっていったんですよね。グロテスクなビジュアルはないにも関わらず、あった頃の作品と変わらない異様な余韻が残るという。自分も『るん(笑)』のように人間しか出てこない話では、その感じを踏襲しているところがあります。
学生時代の話に戻ると、クローネンバーグの他にも、デヴィッド・リンチとか、ヤン・シュヴァンクマイエルといった監督の映画にはまっていましたが、フリッツ・ラングの「メトロポリス」をはじめて観て、モノクロ映画の光と影の美しさや、建築物に魅了されたことが、グロテスクなもの以外の絵を描くきっかけになりました。
――卒業後は就職されたんですか。
建築物を描けるようになりたくて、建築系のイラストレーション事務所に就職しました。初日からもう毎晩終電という生活でしたし、仕事のレベルが高くて、不器用な自分では全然ついていけなくて怒られてばかりでした。まあ、そのおかげで少しは建築物を描けるようになったんですけれど。
大きいビルのエアブラシイラストだと、アシスタントとして下絵にマスキングフィルムを貼り、何百という窓を1個1個くり抜かないといけないんですが、くり抜いて、くり抜いて、と延々繰り返していると朦朧としてくるんですね。フィルムだけ切らないといけないのに、うとうとしてブスっと紙にカッターを刺してしまう。するとエアブラシを吹いた時に毛羽立って、下手するとやり直しになる。いろいろと病みそうになって、デザインとプランニングの会社に移りました。そこではキャラクターのイラストを描いたり広告デザインをしていました。でも、可愛いキャラクターを描いていても精神が澱んでくるんですね。それなりに達成感はあって面白くもあったんですけれど、やはり忙しく、頭が空っぽになっていく恐怖を感じて、27歳くらいで仕事を辞めるんです。
小説を書き始める
――会社に勤務していた頃、読書する時間はあったんですか。
少しでも時間ができると個展のための絵を描いていたし、頭は疲れているしで、今までで一番本を読めなくなった時期でした。それでもクライムノベルなら楽しんで読めたんですね。タランティーノの「パルプ・フィクション」にはまって、タランティーノがよく言及していたエルモア・レナードを読むようになって。ドナルド・E・ウェストレイクの「ドートマンダー」シリーズも好きでした。"ダイムストア(安物雑貨店)のドストエフスキー"という惹句につられジム・トンプスンの『ポップ1280』を読んではまり、『残酷な夜』では、パルプノワールでこんな前衛的なことをしていたのかと驚かされました。最後のほうで語り手が正気を失って、訳の分からない文字列になっていくんですね。その頃には、京極夏彦さんもよく読んでました。
――フリーランスになってから、小説の投稿を始めたのですか。
フリーの仕事を適度にこなしつつ、アート系の作品に集中していたんですが、うまく展開できずに行き詰まって。その時に、「もともと何がしたかったのか」を自分に問い直して、ふと、「小説書くのが好きだったな」「夢中になって書いていたな」と思い出して、ひさびさに書いてみたんです。そしたらすごく楽しくて。当時読んでいた小説の影響もあって、近未来クライムノベルみたいな内容だったんですけど、書き上がると、せっかくなので日本ファンタジーノベル大賞に応募しました。酒見賢一さんや佐藤亜紀さんをはじめ、受賞作には好みの作品が多かったですし、賞金が500万円というのも魅力的でした。とはいえ、箸にも棒にもかからないだろうと思っていたのですが、一次選考に通ったので、「もしかして、呼ばれているのでは」と思い始め、それからも書き続けていきました。
でも小説にのめり込みすぎてだんだん生活がきつくなって、6時で上がれることに惹かれて刷版工場に勤めだしたのですが、ワンオペ状態になることも多くてきつかったですね。どんな感じだったかは『オクトローグ』収録の「金星の蟲」に柔らかめに書いたのですが、一人で大きな刷版を運んで、焼付機にいれ、出てきたら現像機に入れたりしつつ、パソコンの方でもデータの処理や割り付けをしながら、やたらとかかってくる電話にも応対するという。だんだん、宇宙人に訳の分からない仕事をさせられているような気持ちになってきて、ある時、そのまま小説に書いたらいいんじゃないかって気づいたんですよね。
――もしかしてそれが、創元SF短編賞を受賞する「皆勤の徒」でしょうか。そこにたどり着くまでも、いろいろ新人賞に投稿されていたわけですよね。
そうですね。2回目にファンタジー大賞に送って一次を通ったのが、さきほど言った、「棺詰工場のシーラカンス」なんですが、ある日、『文学賞メッタ斬り!』を読んでいたら、大森望さんがそれについて話しているんですよ。筆名も作品名も出ていないんですが、内容説明で自分の小説だと分かって。「超弩級の異色作で、大賞候補に残したんだけど他の人全員に反対されて、候補にも残らなかった」みたいなことが書かれていました。
――なにも知らずにたまたま読んでいたら、その箇所に行き当たったんですか。
ええ。寝っ転がって読んでいて、跳ねるように立ち上がりましたよ。それでまた、「やっぱり呼ばれている......」と勘違いして、余計に本気になってしまったんですが、そうなるとなかなかうまくいかないもので。だんだん読書の興味が純文学の方に傾きだして、純文学系の賞にも送るようになったのですが、そちらは全然うまくいかなくて。自分の作風に合う賞やジャンルが分からなくなっていました。 SFは好きで神林長平さんの小説などにのめり込んでいましたが、自分には書けるとはとても思えなくて、 SF系の新人賞には送ったことがなかったんです。それがある時なんとなく落選作を小松左京賞に送ったらいきなり最終選考に残って、「もしや SFに向いているのか」と気づき始めたんです。
――SFの大家の大森望さんが推してくれたのに、なかなか気づかなかったという。
不覚でした。もちろん、大森さんが面白いと思うようなものを目指して書き続けていたのですが。落選が続いて、大森さんが一次から最終選考まで全部関わる賞があればいいのに、と無茶なことを願っていたら、まさにそんな無茶な創元SF短編賞ができたんです。しかも選考委員が応募作を全部読むと言う触れ込みで。第1回の応募数は612編、第2回も550編あったのに、全部読まはったそうです。さすがに3回目からは編集部と分担になったそうですが。1回目は間に合わなくて手持ちの短編を送ったら一次には通り、今度は全力を尽くそうと半年かけて「皆勤の徒」を書きました。一番得意なもので挑もうと考えときに、封印していたグロテスク資質が溢れ出してきたんですね。小説の賞に応募を始めて11年目くらいだったので「これが最後かも」という気持ちでした。
――それで第2回創元SF短編賞で見事受賞、と。
第1回で山田正紀賞を受賞した宮内悠介さんもこの「作家の読書道」で「創作の神様はぎりぎりを見極める」と言ってたと思いますけど、僕も「ぎりぎりを見極められたのかな」と。
――「皆勤の徒」では、造語にあふれた世界を作り出していますよね。
幾つかの小説で実験的には造語を使っていたのですが、全面的に造語を使えば、自分の思い描いているビジュアルイメージを言語化できるんじゃないかと思ったんです。言葉じたいが牢獄になるような小説を目指してはいたものの、自分でも困惑するくらいの文面になってきて、「これ、読めるのかな」と思ったんですが、「まあ、大森さんなら大丈夫だろう」と。
実は、最初はアートブックみたいな作品にするつもりで、絵から描きはじめたんです。それまで絵と小説は別々に取り組んできたのですが、自分の中では切り離せないものだと気づいて。普通、応募原稿に挿絵をつけるのはあまり推奨されませんし、これまでやったことはなかったんですけれど、創元の賞に関しては当時、「どういうものを送ってきても、あなたがSFと思うものなら構わない」みたいなことが募集要項に書かれていたので大丈夫だろうと。でも、だんだんと文章の比重が多くなって、現在の形になりました。
――受賞の連絡があった時はいかがでしたか。
ちょうど牛丼を食べようと蓋をあけた時に電話がかかってきたんです。その回はゲスト選考委員が堀晃先生だったんですが、当時手伝いに行っていた事務所の近くの店に堀晃先生がよくお見えになるという噂を聞いていたので、電話を替わられた時に、もっと大事なことを話せばいいのに「堀先生がよく行くお店知ってます」などと言ってしまって。そうしたら「そこで祝杯をあげよう」となってご一緒し、その後その店がだんだんSF作家のたまり場みたいになっていきました。「マーガレット」という、ジャズ関連に強い、たこ焼き居酒屋だったんですけれど、残念ながらなくなってしまいました。
衝撃を受けた作家その1
――小説の投稿をはじめてから、読書生活に変化はありましたか。
小説を書けば書くほど、読書が面白くなって興味の幅も広がっていき、古典や純文学、海外文学も貪るように読むようになりました。最も仕事をしなかった頃、プルーストの『失われた時を求めて』を全巻読めたのはとりわけ幸福な体験でした。
その頃に多和田葉子さんを読むようになって、脳がすりおろされるような感銘を受けたんです。最初に読んだのは『アルファベットの傷口』だったんですけれど、意味が硬直していないというか、言葉とはなにか別のものを読んでいるような感覚がありました。ドイツ語の言い回しを取り入れた表現や言葉遊びも多くて、比喩や描写のひとつひとつが自分とは異なるものの見方で描かれていたり、普段私たちが無自覚に使いがちな言葉を常に捉え直しているような印象を受けました。どんなに読んでもそういう姿勢はなかなか身につかないんですけれど、言葉との距離感がだいぶ変わった気はします。
若島正さんの「乱視読者」のシリーズを読み始めたのも同じ頃だったと思います。無茶苦茶面白くて、どうしようかと思いました。これほど深く小説を読み解ける人がいるのかと。
――『乱視読者の冒険』とか『乱視読者の英米短篇講義』とか『乱視読者のSF講義』とか、いろいろ出ていますよね。
どれも必読ですね。ナボコフの『ロリータ』はそれ以前に読んでいたんですけれど、ピンとこなかったんですよね。でも、若島先生が『ロリータ』について書かれた文章を読んで、あまりの自分の読めてなさにびっくりして。初読時には情報量の多さに目が滑りまくっていたんでしょうね。若島先生のテキストを踏まえた上で読むと、これまで見えていなかった面白さが続々と立ち上がってくるんです。
「乱視読者」シリーズは、掲載時にはまだ翻訳されていなかった本もどんどん紹介していて、当たり前ですけれど、日本語に訳されているのはほんの一部でしかないんだと気づかされ、英語の本をどんどん買うようになりました。すでに少しは洋書を読むようになっていたものの、すらすら読めるわけもなく積みあがる一方でしたが。ちなみに一番最初に読んだ英語の本は「The Hobbit」でした。
――邦題でいうと『ホビットの冒険』ですね。
子供向けだから読みやすいだろうと思っていたら、そもそもろくに単語も知らないからけっこう難しくて。ちょっとずつ読んで1年くらいかかってしまいました。でも、よく分からなくてぼんやりしていた文章が焦点を結ぶ瞬間にたまらない魅力を感じて、そこから色々と読むようになりました。邦訳されたものでも原文がどうなっているのか気になって照らし合わせたり。きわどい部分がカットされているのを発見したこともあります。
スラスラ読めないからこそ味わえる面白さを日本語で再現しようとして、造語だらけの「皆勤の徒」を書いたところがありますね。
衝撃を受けた作家その2
――プロとして小説を書くようになってから、読書傾向に変化はありましたか。
プロになってからよりも、小説を書き出した時の方が変化が大きかったですね。一貫して海外の変わった小説を好んで読んでいますが、そのきっかけになったのは、ニコルソン・ベイカーの『中二階』ですね。
――会社員の男性が、中二階のオフィスに上がる短い間に考えるこまごましたことが書かれていますよね。靴紐のこととか。
そうです、靴紐とか牛乳パックとかストローとかミシン目とか。晴れた日にロビーの大理石やガラスがが作り出す光のエスカレーターや、回転する羽根を次々に飛び移りながらも静止している光、ちりとりをずらした時にできる埃の線、といった細かい描写には、こういう文章を読みたかったんだと痺れました。注釈だらけで、時にはどちらが本文なのか分からなくなるのも面白いんですね。「こんな書き方があるのか」と驚かされ、「こんな面白い本を翻訳している人がいるのか」と翻訳家の岸本佐知子さんを知り、岸本さんのエッセイ集『気になる部分』を読んで「ご本人が書くものもこんなに面白いのか」となって。旅先できのこ尽くしの宿に泊まる「「国際きのこ会館」の思ひ出」なんて、腹抱えて笑いました。
そこから岸本さんの訳書を色々読むようになったんですが、特にジュディ・バドニッツの『空中スキップ』は好きですね。「ハーシェル」という短篇の、赤ちゃんをパンみたいに手でこねて作る描写が素晴らしくて。焼きあがる時に、蕾みたいな形だった耳が花びらのように開くんですよ。
ありえないことを信じさせてくれる小説が好きなんですね。例えばエリック・マコーマックの『隠し部屋を査察して』の表題作では、治安判事に尋問された女の人が口からいろんなものを吐く場面があるんです。体長四十五センチのウツボを四匹とか、七匹の蛇のようにからみあった七色の毛糸の束とか、彫刻刀とかピストルとか。大量の血液も吐いたけれど、病理学者によれば彼女の血液型ではなかったとか。凄いですよね。ずっと復刊を願っていたんですが、最近文庫がようやく重版されて嬉しかったです。
――『空中スキップ』もずっと入手が難しい状態ですよね。
そろそろ文庫化されてほしいですよね。「犬の着ぐるみを着た男が、ドアの外でクンクンと鳴く」という一文から始まる「犬の日」も胃に錘をかけられるような面白さで。
奇想短編だと、ゴンブローヴィッチの『バカカイ』という短編集の「冒険」などを偏愛しています。主人公が船長にいたぶられたあげくガラス球に封じられて海原に放り出さるんですよ。グスタフ・マイリンクの「灼熱の兵士」もいいですね。兵士の体温がひたすら上がっていき、最後は焼けた炭みたいに赤く光るという。
あとはコルタサルですね。渋滞したまま季節が変わっていく「南部高速道路」とか。「パリにいる若い女性に宛てた手紙」なんて、口から子兎を吐き出す話で、喉の感触の描写がすさまじいですよね。本当に吐いたらそんな感じがしそうで。
――奇想系の短篇というと、ジェラルド・カーシュとかも好きですか。
めちゃくちゃ好きです。ジャングルを骨のない生き物がぐにゃぐにゃ迫ってくる「骨のない人間」とか、沖で極彩色の人間が発見される「ブライトンの怪物」とか、土俗的な中にSF要素が垣間見える感じが独特でいいんですよね。『壜の中の手記』で西崎憲さんを知りました。僕も日本ファンタジーノベル大賞に応募していたので、西崎さんが受賞した時に、「あの方か!」と驚かされました。
――ああ、西崎憲さんはカーシュの短篇集『壜の中の手記』と『廃墟の歌声』の訳者のおひとりですよね。西崎さんが『世界の果ての庭』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞された時、私も「あれ、名前が同じだけど、あの翻訳者の人かな」と思いました。
受賞作は訳されるものとすこし雰囲気が違っていましたもんね。西崎さんの小説だと、『未知の鳥類がやってくるまで』に収録された「開閉式」はすごいですね。
短編ばかり上げていましたが、長編の奇想小説だとまず頭に浮かぶのは、カリンティ・フェレンツというハンガリーの作家の『エペペ』ですね。めちゃくちゃ面白いです。邦訳版はもう絶版なんですけれど、英語版が「Metropole」というタイトルでペーパーバックや電子書籍で出ています。
ハンガリーの言語学者がヘルシンキの会議に行くはずが、知らない国に降り立ってしまうという話なんです。その主人公はいろんな言語が話せるんですが、そこではどんな言葉も通じない。それどころか、意思の疎通すらできない。なんとかホテルに泊まってもトラブルだらけで、苦情を言っても分かってもらえない。なんとかこの国の言葉を解読しようとしてひたすら街をさまようんです。
カフカの『城』を読んだことがないときに、粗筋から勝手に期待していた不条理感が『エぺぺ』にはあったんですね。僕はどうやら「到達できない系」に弱いみたいです。戦場から逃げだした兵士を探しに行くティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』とか、リムジンに乗ったままいっこうに2マイル先の理髪店に辿りつけないドン・デリーロの『コズモポリス』も好きですし。
――今検索したら、『エペペ』の邦訳が出たのは1978年なんですね。
ええ、すでに手に入らなくなっていたので、僕は図書館で読みました。たぶん牧眞司さんの『世界文学ワンダーランド』で知ったんだと思います。
あと挿絵や写真など、図版入りの本には惹かれますね。W・G・ゼーバルトの本は、写真やイラストが内容と有機的に繋がってくるところがすごく好きで、参考にしています。エドワード・ケアリーはご本人が挿絵を描いていますが、絵と文章が地続きに馴染んでいていいんですよね。以前ケアリーさんの提案で、互いの小説の絵を描いて交換しあったことがあるんですが、あのときは感激しました。他にも画家でもある作家は好きですね。マーヴィン・ピーク、ブルーノ・シュルツ、ディーノ・ブッツァーティ、アルフレート・クビーン......
――おうかがいしていると、ブックガイド的な本もいろいろと読まれているんですね。
もしかしたら小説よりも書評のほうが好きなんじゃないかって思う時があります。映画の予告編と同じで、書評を読んで「どんな本なのか」と想像している時間が楽しいんですね。。
なのでそうした本はよく読みます。石堂藍さんと東雅夫さんの『幻想文学1500ブックガイド』とか、柳下毅一郎さんの『新世紀読書大全』とか、豊崎由美さんの『そんなに読んで、どうするの?』とか。大森望さんもSF系のブックガイドをたくさん出されていますし、あと、桜庭一樹さんの「桜庭一樹読書日記」のシリーズも好きでした。
――なかなか書店で見かけない名作って、そういう本で見つけること多いですよね。
そうなんですよ。面白そうな本があると飛びかかるように探しますね。「なんでどこにもないねん」と嘆きながら図書館に頼ることも少なくないですが。
――ところで、小説の内容をずいぶん細かいところまで憶えてらっしゃいますね。
去年大学で講義することになって、その準備でいろんな本をざっと読み返して内容をまとめていたおかげかもしれません。ほとんど記憶のない男なので、気になった文章には付箋を貼って、あとでテキストに書き起こすようにしています。だんだん追いつかなくなってますが。さっきのナボコフの文章も、そうしたテキストのひとつです。自分で書き写してみて初めて分かることも多いんです。
――その時にご自身の感想なども一緒に書き込むんですか。
だいたいは箇条書きですこし書いておく程度ですけど、たまに書評並の分量を書かずにはいられなくなることもありますね。
自作について
――デビュー後、別のお仕事も並行されているのですか。
僕は書くのが遅い上に、当初はまだ読める小説を書くことに抵抗があったせいで、編集者から疑問点の指摘が目眩を覚えるほど大量にくるんです。兼業じゃないと生活が苦しいので、ゲラが届く度に休みを貰って対応していたのですが、小説の依頼が増えてくると無理がでてきて、なし崩し的に専業になりました。
――1冊1冊、時間をかけて書かれている印象だったので、つい聞いてしまいました。
いろいろな事情から、『皆勤の徒』の次の本を出すまでに6年もかかってしまいました。その間も、『オクトローグ』や『るん(笑)』に収録されることになる短編や中編などを発表していてはいたのですが。
編集部からは、『皆勤の徒』が大変すぎたせいか、「今度はこの世のものでお願いします」って言われたんですよ。それで地球のところどころに異形の生態系が出現する人間の群像劇を考えて、50枚くらい書いたところで、そっくりな小説が刊行されたんです。SF大賞を獲った森岡浩之さんの『突変』ですね。それで一旦白紙にして一から考え直すことにしたのですが、なんにもアイデアが浮かばないまま時が過ぎ......突然、編集部から「東京創元社のラインナップ説明会に出て」と電話がかかってきたんです。まだ一行も書いてないのに。たぶん発破をかけようとしたんでしょうね。時間がなくて慌ててスケッチを書いたりしているうちに、頓挫していた設定を裏返しにしてアイデアを広げればいけるんじゃないか、むしろそっちのほうが面白いんじゃないか、と閃いたんですよ。そこから、異形たちの「次郎長三国志」みたいな世界に、滅ぼしたはずの人類が密かに忍び寄ってくる、という骨格ができたんです。その時点で、「今度はこの世のもので」という約束の方もひっくり返ってしまったわけですが。そこからも難渋しました。『皆勤の徒』の時は、異形でも人類に由来する存在が多かったからまだよかったんですけれど、異星生物の主観で書くとなると、こちらの意識がついていかなくて。たとえば四ツ目で全方位が見える生物なのに「後ろを振り返る」と書いてしまうんですね。「振り返らんでもええやん」と。なかなか進まず鬱々としていたのですが、あるとき試しに河原で書いてみたら、妙に集中できて捗ったので、それから毎日出ていくようになりました。よく蟹が現れるので、動きを観察して甲殻系のキャラクターに取り入れたりも。
――そうして出来上がったのが、『宿借りの星』なんですね。
ええ。河原でのめり込んで書けるようになったのはいいのですが、キャラクターたちがどんどんプロットにない動きをはじめ、設定が増殖してとめどなくページが増え、刊行するつもりだった年は過ぎていき、最終的には予定していたページ数の倍ほどになっていました。さらにそこからカバーや挿絵を描いて。その頃には『宿借りの星』の世界にあまりにも馴染みすぎて、離れるのが寂しくなっていました。
――「次郎長三国志」は好きだったのですか。
マキノ雅弘が撮った全10作の映画が面白くてですね。村上元三の原作も読みました。道中ものの構造を借りれば長編を書けそうな気がしたのと、異星の殺戮生物なので任侠ものというのはしっくりくるなと。
幕間の「海」では、魚に食べられることで寄生を繰り返していくんですが、あの部分を書きながら思い浮かべていたのは『ぽっぺん先生と帰らずの沼』でした。子供の頃に放映されたスペシャルアニメなんですが、大きい魚に食べられてはそちらに意識が乗り移っていくのがすごく印象的で。あとで分かったんですが、原作を書かれた舟崎克彦さんは、担当編集者の大学の時の先生だったそうです。ちなみに、『宿借りの星』には甲殻系の種族がたくさん出てきますけれど、担当さんは甲殻アレルギーです。
――あはは、気の毒ですね。さて、新作『るん(笑)』は3篇収録されています。現代医学が否定されている世界で、38度の熱が続く男の話、末期の「蟠り」で患う母親が新たな治療法を始める話、山である生物を発見する少年の話。3篇はゆるやかな繫がりがありますね。それにしても、タイトルの意味を知った時、もう、がつーんと殴られた気持ちになりましたよ!
(笑)。まず新たな呼称として「蟠り」を作って、さらなる呼称で二重に覆ってしまおうと考えました。もとの単語と似ている語感で、しかも明るい気分になる言葉といったら、「るん」しかないなと。「(笑)」は、インタビュー記事などによく出てきますけれど、ときどき違和感をおぼえることがあって、そこを強調してみようと。ドラマ「アリー・マイ・ラブ」の笑顔セラピーも頭にありました。ひどいことを言われてもずっと笑顔でいようとしていたのが印象的で。不謹慎だと言われるかもしれないと思ったけれど、そこを書かないと意味がないので。
――似非科学が広まっていたり、フェイクニュース的なところがあったりと、狙ったわけじゃないんでしょうけれど、コロナ禍の今と重なりますね。
そうなんですよね。うちの親が親戚に健康食品を買わされ続けていたことや血液型占いで性格を決めつけられることなど、子供の頃からずっと感じてきた違和感や、知り合いが医学的根拠のない健康法のことを常識のように話していたり、身内が病気になって気づかされた疑似医療の蔓延などから、自分が思っているよりも世界はそうなっているんじゃないかと危惧するようになって。それと同時に、医療では助からないと知らされる絶望や、すがりたい気持ちにも直面することになり、批判だけではなく、そちら側の視点から描くことでなにか分かることがあるかもしれないと。
まあ、こんなふうに現実とリンクするとは思っていなかったんですが。
――違和感を抱いていることや、嫌だなと思ったことは、書いているうちににじみ出てくる感じですか。
にじみ出てくる時もあるし、過去の記憶をたどっていくうちに出くわすこともあります。
――今、ご自身のジャンルに関してはどのように思っていますか。
あまりジャンル意識はないですね。自分が書いているのは、舞台が異世界であっても、その世界の住人が書いているノンフィクションや小説のつもりだからかもしれません。異質に見えるガジェットでも、彼らは我々が冷蔵庫を使うように使います。とはいえ、その世界自体は描かないといけないわけですし、僕の場合は現代の人間の話であれ、SF的な思考を取り入れたほうが確実に話が面白くなる感触はあり、創元SF短編賞でデビューできたのは幸運だったなと思っています。
――普段の生活のタイムテーブルって決まっていますか。
だいたい朝8時か9時くらいに起きてご飯を食べてから、今は寒いのでちょっと無理ですけれど、川に出て2~3時間書いて、帰ってきてご飯を食べてからまた川に出て2~3時間書いて、夜は家で2~3時間、という感じです。やっぱり川だとすごく集中できますね。『るん(笑)』の3話目の「猫の舌と宇宙耳」は猫がいなくなった世界なんですが、書いている時にはよく猫がやってきて傍らでくつろいだりして、不思議な感じでした。視線を感じるなと思って顔をあげたら、イタチがじっとこっちを見ていたこともありましたね。土手の上の道路にすごく仲良さそうな親子がいて「幸せそうやなあ」と思っていたら後ろからカメラと照明が現れて、「ドラマの撮影なんであと30メートル向こうに行ってもらえませんか」って言われたり。いろいろあります。
――今後の創作については、どういうご予定でしょうか。
これまでのような造語を多用した話も書きつつ、もっと人間の話も書いていきたいと思っています。といいつつ、先月出たアンソロジー『短篇宇宙』に書いた短篇は、惑星が主人公ですが。
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